空蝉3 真意

 仁紫乃と約束していた日がやってきた。久しぶりの三人での外出だ。今日は千載一遇のチャンス、今度こそ伊代乃さんと恋人になってみせる。その為なら蝉の手も足も借りるのも厭わない。

 姿見で入念に身なりを確認する。服装に関しては違和感はないが、肩に止まる蝉がどうしても目を引く。離れようとしないので仕方ない。

 自宅を出て、いざ隣の家へ。インターホンを押してからも自分の恰好が変ではないかと妙に落ち着かなかった。

「お待たせー!」

 仁紫乃が玄関から姿を現す。今日は何だか普段とは少し雰囲気が違う気がしたが、俺はそれを気に留めず、彼女の後ろにいる伊代乃さんの麗しさに目が釘付けになっていた。

「どう? 今日はちょっといつもと変えてみたんだ」

「ん? ああ、そうだな」

「ちょっと何よ? その反応の薄さは」

 伊代乃さんに意識が向いていて、それどころではなかったとは言えない。よくよく見れば普段よりも女性らしく見える。普段はモノトーンというかシンプルな格好なのに、今日は何と言うか……色が明るい。自分の貧困な語彙で下手に褒めると嫌味に聞こえるので、適当に「可愛いよ」と言っておく。それを聞くと、仁紫乃はものすごく上機嫌になった。相変わらず単純だけど可愛げのある奴だ。

「源君、どうも」

「ああ、どうもっす」

 肝心の伊代乃さんはよそよそしい。それに釣られて俺もぎこちない返事をしてしまった。以前は名前呼びだったのに、度重なる告白のせいでもはや名字呼びになってしまっている。これで今日は上手くやっていけるのか?

「今日はどこ行く予定なの?」

 こういうことは男がプランを立てるべきなのだろうが、仁紫乃の発案だったし、彼女に全て任せていた。女性との外出は相手の行きたい所に付いて行く方が気楽だ。何よりその方が相手を退屈させないで済む。

「今日は私が気になっていた映画を観て、小腹が空いたらカフェにでも入ってのんびりして、色々見て回って、ディナー取って解散! って感じ」

「映画を観たら後は街ぶらってことだな。荷物持ちとしてお付き合いさせてもらいますよ? お姫様」

「ちなみにどんな映画なの?」

 こちらの戯言を無視して伊代乃さんが仁紫乃に尋ねる。挽回不能なほどに脈がない事実に、俺は出発直前にして敗北を悟りつつあった。

「ホラーに近いのかな。怖いのは苦手だけど面白そうだったから観たかったの。両隣りに知り合いがいたら安心できるし」

 恋愛物ではないようで助かった。このやさぐれた心境で観たら地獄だっただろう。

「そう、それじゃあ行きましょうか」

 俺、仁紫乃、伊代乃さんの順で横並びで歩いて駅まで向かう。自然とこの並びになるのが辛い。

 右肩の相棒は体を横に向けて、じっと仁紫乃を見ているようであった。おい、俺の狙いはその隣だぞ。頼むぞ。

 駅に向かう途中、大きなマンション前を通り過ぎる。相変わらずこの街のキャパシティに見合わない大きさだ。ふと上を見上げると植木鉢のような物が見えた。

「なあ、あれって危ないよな?」

 俺に続いて二人は上を仰ぐ。

「あーたしかに。落ちてきて通行人に当たる事故が割りと起こっているよね」

「マンションの規則で禁止になっている場合があるけどどうなのかしらね」

「まあ実際落ちてきて自分に当たるとしたら、それって奇跡的な確率だよな」

「良い方の奇跡もあるけど悪い方の奇跡もあるよね。事故に遭った女子高生が甦る奇跡と頭上の植木鉢が直撃する奇跡、どちらも奇跡」

「後者の奇跡にまみえるのは勘弁願いたいな」

 俺達は雑談も程々にして、そこを後にした。


 それから俺達は久しぶりの三人での外出を楽しんだ。映画館では仁紫乃が恐怖のあまり、両隣りに座る俺と伊代乃さんの手を痕が残るくらい強く握ってきた。女の子に頼られるのは悪い気がしないでもないが、正直、強張った彼女の横顔が気になって映画に集中できなかった。

 その後は緊張でどっと疲労した仁紫乃を落ち着かせる為にカフェでまったり過ごし、頃合いを見てショッピングを楽しんだ。この間、最初はよそよそしかった伊代乃さんにも度々笑みが浮かぶようになり、またいつもの三人に戻れた気がした。

 そしてそろそろ夕暮れ時という頃、二人分の買い物袋を両手に提げ、少し疲れが見えた俺を気遣ったのか、二人は早めに夕食を取ろうと提案してくれた。場所はお酒もご飯も楽しめる創作居酒屋だ。

「ふいー、疲れたー」

「光、今日は付き合ってくれてありがとうね」

「付き合う」という語にドキッとしたが、即座にそちらの意味ではないと脳内で変換する。いつもと服装が違うとはいえ、仁紫乃にときめくなんて、思ったより疲れているようだ。

「気にすんなって。俺も久しぶりに三人で遊べて楽しかったし」

「そうね。仁紫乃が発案してくれなかったら、ずっと三人揃わなかったと思うわ。光君もお疲れ様」

 伊代乃さんの俺の呼び方が名前呼びに戻ったことに、俺は勝機を見出した。もう少し良いムードに持っていけばまだチャンスはある。蝉はというと、ここまで何も役に立っていなかった。ずっと俺の肩に張り付いているだけだった。幸運のお守りにも程がある。ここは自分の手で幸福を掴み取るしかない。

 頼んでいた料理とお酒が運ばれてくる。昼にカフェで軽食を取って以来だから、もうお腹もぺこぺこだった。とりあえず各々グラスなりジョッキなりを持って軽く当てあう。チンと心地よい音がささやかに響く。

「これって何の乾杯よ?」

 和やかな杯の交錯に、仁紫乃が微笑みながら疑問を呈する。

「何だろうな? そうだなあ……。腐れ縁に乾杯?」

 我ながらよく捻り出したものだ。友情だと多少自分の本心からはずれるし、下手なこと言えば伊代乃さんをまた警戒させることにもなる。

「ふふ、それは悪縁に使う言葉よ」

 伊代乃さんのスマートな指摘に俺の心はぐっと熱くなった。俺の発言で彼女が笑ってくれたという事実が天にも昇る心地にさせた。伊代乃さんにとって俺は良縁であってほしいと切に願う。

「じゃあ腐るの反対だから活き縁だね。三人の活き縁に乾杯!」

「そこは良縁とかで良いだろ」

 冷静に突っ込みを入れつつ、乾杯に乗ってやる。二回目の杯の衝突は先ほどより少し大きい音が鳴った。

「さ、それじゃあ料理も頂くとしましょうか」

「あ、伊代乃さん、別に取り分けなくても自分でやるよ」

「そうそう。お姉ちゃんはほんと世話焼きさんだね」

「そうねー。誰かさんが世話焼かれさんだから困っちゃうな」

 ぐうの音も出ない反論をされ、仁紫乃は縮こまってお酒に逃げた。今までなら「何のことかなー」と図太くとぼけていただろうに、今日は不思議なことに何も言わないのか。

 そのようなやりとりもしつつ、すれ違っていた間の寂しさを埋めるように、俺達はこの団欒を目一杯楽しんだ。お酒が入っていたこともあって、思った以上に話が弾み、二人との距離感も今までよりもずっと近くなった気がした。時間はあっという間に経ち、終電も気にしなければならない頃になった。

 そろそろ会計をという所で仁紫乃がトイレに立った。そこそこに酔っているらしく、赤く染まった頬と潤んだ瞳に思わず目移りした。足取りは大丈夫そうなので俺と伊代乃さんは先に会計を済ませて店先で待つことにした。

 さっきまで散々会話をしていたのに、何故か互いの間に沈黙が流れた。何かきっかけをと思った矢先、伊代乃さんが言葉を発した。

「仁紫乃のこと、どう思ってる?」

「…………」

「さすがにもうあの子の気持ちに気付いているでしょう? あなたは自分の本当の気持ちもあの子の気持ちにも気付いているけど、目を背けているだけ」

「そんなことないです。俺は今でも――」

「私の気持ちは変わらないわ」

 再び突きつけられた現実が俺の酔いを吹き飛ばす。俺の本当の気持ち? この気持ちに偽りがあるというのか。言いようのない胸の締め付けと眼の裏に焼き付いたあなたの笑顔がハリボテだと? そんなことがあるはずがない。俺が想っているのは……。

 脳内に二人の女性の姿が浮かぶ。どちらもかけがえのない人なのは確かなのだ。だけど俺は選ぼうとしている。彼女を。彼女? ってどっちだ?

「お待たせー……。ってどうしたの?」

「何でもないよ。終電が近いし急ぎましょう」

 ぐるぐるとまとまらない考えを巡らせながら帰りの電車に乗る。皆、家に着く前に自分が抱える思いを相手に伝えねばと気負っているせいか、車内では会話という会話を交わさなかった。

 電車を降りて駅を出る。もうここからお互いの家まで真っすぐ帰るだけだ。ここでケリを付けねば俺達の明日はうやむやになったままだ。

 三人組は口数少ないまま、歩みを進める。俺はどうしたものかと困って足元を見ると、靴ひもが解けていたことに気付いた。

「悪い、ひもが解けてるわ。先行ってて」

「うん」

 目線が下に向いていたのでどちらが返事したのかを判別しかねた。ただ、二人は先ほどより少しゆっくりめに歩を進めだした。

「まったく、俺は何やってんだか」

 ここまで考えがまとまらない自分に一人ごちる。これまで大人しくしていた蝉も耳元で「ジジジジ」と小さく鳴き声を発している。慰めのつもりか? お前が役に立た――。

 肩に乗る蝉に視線を移そうと首を捻ったら、視界の端に妙な違和感を覚えた。頭上の暗闇で何かが動いた気がした。視界のななめ前には街灯に照らされたあの高層マンション、前方では彼女達がそこをちょうど通り過ぎようとしていた。

 ――悪い方の奇跡が起こったじゃねえか。

 靴ひもなぞに構わず無我夢中で駆ける。大声を発して呼びかけるが、当人達は「どうかしたのか?」とでも言いたげに、こちらにきょとんとした顔を向けていた。

「上だ! 上!」と言われて額を上げた彼女らの顔が青くなる。アルコールによって判断力が鈍った彼女らはその場で立ち竦むことしかできなかった。間に合わない!

 それでも俺は走りを止められなかった。どちらもかけがえのない人で失いたくなかった。幼馴染とか恋人とかではなく一人の人間として命を救いたかった。俺は――。

「俺は二人を守りたい!」



 ヴィヴィヴィヴィヴィヴィヴィヴィ……。


 人の叫びを受けて蝉が鳴く。

 これまで見守っていた静寂は見定める為にあり。

 今は新たな未来を生みだす為に音を為せ。

 人の願いを受けて蝉が鳴く。

 これまで保っていた繋がりは向き合う為にあり。

 今は新たな絆を紡ぐ為に言葉を為せ。


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