しずけさや

壬生 葵

導き蝉

導き蝉1 魔女とバイトと少女と

 私の町には不思議な蝉屋さんがある。

 昆虫ショップでもペットショップでもない。正真正銘、蝉専門のお店だ。

 このお店には様々な事情を抱えた客がやってくる。そして、ここで育てられた蝉を受け取って帰ってゆく。受け取った客が再びこの店を訪ねてくることはない。

 私はこの店に雇われたアルバイト、たまたまここの店主に誘われて、店番を任されている。

 早速、今日もお客さんが一人やってきた。少し若作りした雰囲気のおじさんだ。近くの飲み屋さんで紹介されて、「せっかくだし」と興味本位で来たらしい。

 ここを知ったきっかけと簡単なプロフィールを聞いたら後は丸投げだ。奥でくつろぐ店の主を呼ぶ。

「沙夜さん、お客さんですよ」

「はいはいー」と気だるそうに返事して、妙齢の女性がのそのそと出てきた。おじさんが息を呑んだのがわかった。そりゃそうだよね。すっごい美人だもの。

 沙夜さんはお客さんを一瞥するとそのまま「こっちにどうぞー」と店内のテーブルへ案内する。私には「水を用意しておいて。水道水でいいから」と一言だけ伝えてきた。

 水道水ならそういうことかと私は一人納得して、コップに目一杯水を注いで持って行き、テーブルでお客さんと向かい合う沙夜さんに渡す。

「ん、ありがと」と言うや否や、沙夜さんはおじさんに水をぶっかける。

「帰りな。あんたみたいなのはお断りだよ」

 おじさんはあっけに取られて呆然としている。まあ、そうなるよね。

「いきなり何なんだ! こっちはマスターから紹介を受けた客だぞ!」

 たしかに、いきなりこんな仕打ちを受けたら文句言いたくなるよね。

 タオルくらいは渡そうかと思ったけど、沙夜さんが目配せで「しなくていい」と制してきたので、そのまま突っ立ってることにした。

「バレバレな嘘は辞めな。紹介だというのなら先方から事前に一言連絡が入ってくるんだよ。大方、美人がいるって聞いて寄ってきたんでしょうよ。股からよだれ垂れてんのわかってんだよ」

 自分で自分を美人と言うのはどうかと思うが、本当に美人だから仕方ない。おじさんは怒気と屈辱で顔が真っ赤になっていた。

「女だから手を出さないと思って、言いたい放題言いやがって! おらぁ!」

 そういうと彼は勢いよく立ち、椅子とテーブルをはっ倒してこちらを恫喝する。ここに勤め始めた頃はこの手の人間が怖かったが、今は「それ直すの私なんですけど」という以外に感想が湧かない。

 怒りを漲らせてにじり寄る彼とは対照的に、沙夜さんはいつもと変わらぬ様子で椅子にゆったり腰かけたままだ。

「やるかい? そしたら大変なことになるけどいいのかい?」

 不可解な忠告に男は怪訝な顔をするが、即座にこの場の異変を感じ取る。


 ジワジワ……。

 音が少しずつ少しずつ増えていく。

 ジワ、ジワジワ、ジワワワ……。

 風のさざめきのような音が徐々に重なりだす。

 ジワワワ、ジワワワワ……。

 やがてそれは殺気がこもった呪詛のような響きとなる。

 ここは蝉の舘、彼らは主の忠実な僕、主の身を脅かす者は何人たりとも無事では済まない。放し飼いにされている彼らはゲージの中、植木、調度品、柱や壁、この店のあらゆる所に潜む。


「な、何だ?」

「今のうちに失せな。このままだと身の安全を保証できないよ」

 彼はこの得体の知れぬ雰囲気に呑まれたのか、急ぎ足で店を後にする。男が去ると、音は少しずつ止み、いつもと変わらぬ静寂が戻ってきた。

「はぁ、テーブル戻して床を拭かないと」

 とりあえず雑巾を持ってこよう。

「『シミール』のマスターめ、またどっかで口割りやがったな」

 沙夜さんがぼそっと悪態を吐く。黙っていたら綺麗な人なんだけどな。

「静羽、今日はもう閉めよっか。今のでこの子らも不機嫌になったし」

「今月厳しいからもう少し開けていてほしかったな」と思いつつ、「はーい」と返事をする。時給制で雇ってもらってはいるものの、来客もまばらで儲かってなさそうなのに、どのようにして給料を工面しているのか不思議に思う。


 片付けを済ませて、玄関の暖簾を下ろそうと扉を開くと少女が立っていた。この近辺にある高校の制服を着ている。入るかどうか逡巡している所にいきなり扉が開いたので、面食らったようだった。

「こんにちは。どうしたの?」

 私は精一杯の優しい声色で彼女に問いかける。

「あ、あの、えっとすいません! やっぱいいです」

「あ、ちょっと」

 慌てて手を伸ばして引き止める。まあ、若い女の子がこんなとこに来るのは勇気がいるよね。

「別に取って食べたりはしないから落ち着いて。うちに来たってことは何か気になることがあるんだよね?」

 少女は私の問いかけに答えない。じっと俯いたままだ。

「おーい、どうしたー?」

 騒ぎを聞きつけたのか、沙夜さんが店の中から覗いてきた。少女を見て、微かに表情が曇った気がしたが、気のせいだろうか。

「沙夜さん、この子何か困っているようなんです。店の前で悩んでたみたいで」

「ふうん」

 沙夜さんは女の子をじーっと観察する。客を一瞥でバッサリ切り捨てないということは、この人も何か気になるみたいだ。

「この子なら大丈夫か。うん、入りな。あ、静羽、暖簾は片しておいて。この子を見たらそのまま閉めるし」

 主の手招きに応じて、縮こまっている少女の背を押して店に入る。妙な店の妙な人に絡まれた少女の運命や如何に、なんてね。

 沙夜さんは椅子に腰かけ、少女にも座るよう促す。行儀よく席に着く彼女を見て、自分にもこのような時があったなと微笑ましく思った。

「さて、まずはお名前と年齢から伺おうかな」

「小野玲奈です。年齢は十七才です」

 私は二人の会話を聞きつつ、「玲奈ちゃんっていうのね。いやー若いねー」と心中で呟きながらお茶の用意を始める。

「うちを知ったきっかけは? 若い子が来るのは珍しいから聞いてみたいな」

 沙夜さんもいつもとは違って、朗らかなトーンで声をかけている。あまり無理したらぼろが出ますよと口を挟みたいくらいだ。

「えっと、昔におばあちゃんから聞いたことがあって……。ここに行けばどんな悩み事も解決してくれるって」

 世代間のリピーターさんと言う訳か。この店にはとある決まりがあって、本人は顔を出せないけど、その子や孫がやってくるというのは珍しくない。

「ん? おばあちゃんも同じ名字?」

「いえ、親元のおばあちゃんなので違います」

「あ、あの小野さんではないのね」

 どの小野さんなのかな。それはともかく、淹れたお茶をテーブルに運ぶ。玲奈ちゃんはカップが席に置かれると小さく会釈してくれた。ああ良い子だな。

「静羽、ニヤニヤきもい」

「あ、すいません」

 心のにやつきが漏れていたようだ。さっきまで優しいお姉さんを演じていたので少し恥ずかしい。

「まあいいや。たしかにここはあなたのおばあちゃんが言った通り、人の悩みや願いを聞いて、それが上手くいくように助ける所。でもそれには条件がある」

「条件?」

「一人一回しか叶えられないってのが条件。もちろん、「願い事が百回になるように」って願いはもってのほか。だから、どうしても叶えたい、解決したいことがある人しか相手にしない」

 さっき来たおじさんを思い出す。あの人、びしょ濡れにされたけど、風邪を引いてないと良いな。

「一回……」

 玲奈ちゃんは噛み締めるように復唱する。沙夜さんが話を聞くということは、彼女も何か深刻な悩みを抱えているということだ。このようないたいけな少女が一体、何に頭を悩ましているというのだろう。

「さて、じゃあ本題に入ろうか。願いを叶えるかどうかは別として、あなたの話を聞かせて」

「私は……」と言い出したところで玲奈ちゃんの口が止まる。

「大丈夫だよ? ゆっくり話してくれたらいいから」

 傍に寄って声をかけてあげる。

「おかしい話なので、言っても笑わないでくださいね」

「もちろん」


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