宮廷魔導師見習いを辞めて、魔法アイテム職人になります
神泉せい
第一部
第1話 序章
遮る物のない空は、頭上を青に染めて水平線の彼方へと姿を隠す。
北西に半島を有し、南には険しい山がそびえ立つエグドアルム王国。魔法大国として知られ、比較的強力な魔物が出没する事でも有名だ。
風も雲もない快晴の下、海上では国から派遣された騎士と魔導師を乗せた強固な三艘の船と、空中を単独で飛行する少人数の魔導師の部隊が、飛沫をあげて荒れ狂う討伐対象に対峙していた。
「違う、これは……、シーサーペントなんかじゃないぞ……!」
「だから綿密な調査が必要だと言ったのだ!それをあの権力闘争しか頭にない馬鹿どもがっ」
「大波が来る! プロテクションを……っ、揺れるぞ!! 甲板に居る者たちは何かに掴まるんだ!」
船では押し寄せる波と魔物が発動させる暴風ブレスの恐怖に、悲鳴や怒声が飛び交っている。
空中から海の化け物に備えていた魔導師達の中で、一際若い薄紫色の髪をした女性が大きく息を吐いた。
「……海龍ですね。しかも上位の……。このままでは海上の者達は、逃げる事すら叶いません……」
「……まさか、このような事態になろうとは! これまで危険な討伐を丸投げにし、ろくに調査の時間すら与えなかった魔導師長め! 奴の怠慢のせいだ……!」
女性の隣に立つ彼女よりも一回りは年が上であるだろう男は、紺のローブの下から憎々しげに呟いた。
“巨大なシーサーペントが現れ、大波を起こす為、漁に出られない。海岸に近くに住む民も、不安を募らせている”
冒険者ギルドを通して海岸沿いの村や町から国に寄せられた陳情。ギルドの手に負えるものでは無かった為、国の討伐隊へ出動が要請されたのだ。そもそもこの辺りの兵たちや冒険者は海の魔物には慣れていたものの、大波を起こすような相手は通常の船では近づくこともできず、かといって飛行魔法は高度な魔法であり、市井の魔法使い達で使えるものは少ない。
現在周辺のギルドに登録してる冒険者はさほど強い者が居るわけではなく、飛行出来るものは皆無だった。その為シーサーペントという情報も遠目に目撃した人間の話であり、確認できているわけではなかったのだ。せいぜい巨木のような体の一部が海上に現れている姿や、尻尾が海原を叩きつける様を彼方に見て逃げ帰った程度だ。
討伐するようにと王命を受けた将軍は、宮廷魔導師長に魔導師の派遣を要請、討伐の為の騎士団を編成して、シーサーペントの攻撃にも耐えられる強固な船を用意した。そして討伐を行う第二騎士団の騎士及び騎士団所属の魔導師を船に、宮廷魔導師長より派遣された飛行可能な魔導師を空に展開させた。
魔導師側で危険な討伐には、ここ数年いつも宮廷魔導師見習いである、今年24歳になる薄紫色の髪に濃いアメジスト色の瞳をした、年若い女性魔導師が選ばれていた。貴族出身が多い宮廷に仕える魔導師の中で、山村の出身で身内に力のない女性は、危険な任務を押し付けられても否やとは言えない。
こうして何度も討伐任務をこなしている内に、共に討伐をこなす騎士達や魔導師達と仲良くなれたことだけが救いではあった。
今回の命令は被害が出る前に早急にと、急かされて討伐に出たが、誰もが最初から不安を感じていた。
そしてそれが現実となった今、生きて帰る事すら難しいと怒りと絶望が皆の心を乱れさせていた。
「皆、私が押さえている間に船に降下! 風を起こし、全力で退避しなさい! 少しの間、私が海龍を押さえます!」
現場において魔導師隊の指揮をしている女性は、海龍を睨みながら命令を下した。隣のローブの男は、弾かれるように彼女を見る。
「しかし…それでは貴女は……っ」
「時間がない、このままでは船が転覆してしまいます! 皆が安全になったところで、私も逃げますから。とにかく港へ引き返し、援軍を要請して出直しましょう……!」
「ならば、私もお供します! 一人で海龍に立ち向かうなど、無茶だ……!」
共に危険に立ち向かおうと言う相手に、彼女は海龍から視線をそらさないまま、小さく笑った。
「……貴方には感謝しています。私のような単なる村娘にお力添え下さって。ですが、ここは私の仕事。貴方は下の者たちをまとめて下さい。船中はだいぶ混乱しているようですから……」
「……解りました。ですが、貴方も……生きて下さい。貴方ほどの魔導師を、私は見た事がない」
強い決意を感じ取り、男は従うしかなかった。
海龍相手に、一人で生きのびられるとは思えない。
それでも皆の命を救おうとする…その志を無駄にすることはできない。
「行くぞ……全員、降下! 命令に従い分散して船に移り、全力をもってこの場から逃れるぞ! 一人も欠けてはならん!!」
三人いた魔導師達が、「御武運を」「必ずお戻りに」と女性に声を掛けてから、船に降り立つ。
彼らからの最後の言葉を聞きながら、女性は詠唱を始めた。
「海よ、大いなる太古の水よ、世界を覆う命の源よ。全てを呑み込む、大いなる力よ……」
海龍はその顔を天に向け、大きく体を海面に打ち付けて、咆哮を四方に轟かす。
グウオオオォォ…と、己を誇示するような力強い鳴き声は、強力な一撃で敵を打ち滅ぼさんとする前触れだと言われている。魔導師たちは甲板に降り立ち、船に乗り込んでいた騎士団の魔導師達と共に並んだ。一斉に魔法を唱えて風を後方に向けて起こし、速度を上げて撤退する。防御班とされていた者たちは、残りの魔力を全て防御の魔法に集中させた。
海龍の攻撃は防ぎきれなくとも、波や魔力による攻撃を和らげることは出来る。
「とにかく退避だ! 隊長殿、騎士たちに我らが揺れなどで倒れぬよう、補助をして頂きたい!」
「了解した! しかし、まだ龍が……」
言いかけた瞬間、海龍は巨体を一気に進めて逃げる獲物に近づき、船体に向かって手を振り上げた。
「う……あ……!???」
驚愕した男達の叫び声が海上にこだまする。
だが、海龍の攻撃が船に届くことはなかった。
海が盛り上がり、壁のようになって海龍と船の間に立ちはだかったのだ。
壁に阻まれた海龍は、巨大な体を後ろへ弾き飛ばされ、ジャバンと大きな音を立てて海に倒れた。
青い障壁は衝撃による波すら退け、船は速度を上げて港へと向かって行った。
「大気よ渦となり寄り集まれ、重ねて我が敵を打ち滅ぼす力となれ! 風の針よ刃となれ、刃よ我が意に従い切り裂くものとなれ! ストームカッター!」
水の壁が全て海に帰ると、向こうに立ち海龍に向き合う体が小さく見えた。両手を伸ばして前で親指と人差し指を合わせて、三角形を作っている。そしてそこから甚大な魔力が放たれ、無数の刃と化した風が海龍に斬りかかっていった。
先ほどとは違って悲鳴とも怒号ともつかない海龍の鳴き声が轟き、強靭さで知られる龍体にいくつも大きな傷が与えられる。
「すごい、さすが……」
船尾から遥かに見える光景に、ため息が漏れる。
一人で龍族の上位に値する存在と対峙するなど、宮廷魔導師であっても出来る者はいるかどうか……
しかし安堵したのも束の間、新たに女性が唱える呪文は途中で途絶えた。
海龍の尻尾が女性を襲ったのだ。
白に髪と同じ薄紫色のラインの入った服を来て、金の刺繍が施された服を着た彼女。
彼女の姿は次の瞬間、海へと消えた。
そしてその後の捜索で見つかる事もなかった。
海龍もまたそのまま海洋に潜ったのか、はたまた移動したのか、姿を見ることはなかった。
騎士たちや関わった魔導師達に「すみれの君」と呼ばれ、親しまれた女性の死が宣告されたのは、10日後の事だった。
女性で、しかも最年少で宮廷魔導師入りするのではないかと噂されていた、若い才能。
「イリヤ」
彼女が呼びかけに答えることは、もうないのだ。
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