悪魔の晩年
城には物好きな従者たちだけが残った。
悪魔は城の地下で研究を始めた。
魔界の知識を余すことなく使い、自分を模したからくりを作り始めた。
素材は悪魔の力が宿る、この国の黄金だ。
そして悪魔は残る魔力をありったけ注いだ。
しかし、己の記憶を物質化する魔力だけは温存しておく。
無理な魔力の消費が老いを進行させるのも構わなかった。
そうして悪魔を辞めた悪魔はからくりの開発に明け暮れた。
たまに、思い出したように王子に会いに行く。
螺旋階段を登ると息が上がった。
老いと衰えを実感する瞬間だった。
到達した寝室で、王子の変わらぬ姿を確かめる。
今は温かいその手で触れる。
歳月によって深みを増した声で話かける。
「大丈夫だ。俺はここにいる」
いつもの台詞。
けれど何よりも切実な台詞だ。
悪魔が黙ってしまえば、辺りは静寂に支配される。
鳥の囀りすら聞こえない。
『噂は真だったようだねェ?』
静寂は無遠慮に破られた。
いつの間にか出窓には一羽の鳥が止まっている。
この国には存在しないはずの、色鮮やかな赤い
その赤は王子の瞳の色よりも下品で、軽薄な色をしている。
「――マモン」
悪魔はその名を口にした。
応えるように、鸚鵡が真の姿を現わす。
燃えるような赤い髪。
鋭く光る
捻じり曲がった二本の角を持つ男に変わった。
強欲を冠する、
赤髪の悪魔は猫目を細めて、人を食うような調子で言った。
『いい男だったのに、そんな皺々になっちまうなんざ、あァ勿体無い』
悪魔は赤髪を睨んだ。
「何をしにきた」
殺気立つ悪魔の様子に、赤髪はこれみよがしな溜め息を吐く。
わざと悲しげな声音に変えて、大袈裟に言う。
『酷いねぇ、アタシとアンタの仲じゃないさ、ベルフェゴール』
「その名は捨てた」
『ふうん? ――じゃあ、はじめまして。お名前は?』
「生憎だが、悪魔に名乗る名は持ち合わせていない」
『へェ、さっそく人間気取りかい。――まあいいさ。ならそこの悪魔もどきはなんて言うんだい? ちゃんと悪魔として目覚めた暁にゃあ、アタシが面倒看てやるよ?』
「余計な世話だ。どうしても世話が焼きたいなら、そのときに本人から直接聞けばいい」
『……ね。アタシ、アンタのこと気に入ってたんだよ?』
赤髪の顔に、すっと悲しみの色が差した。
悪魔は嘘を吐く生き物だ。
だから嘘に関してとても敏感だ。
頬に添えられた赤髪の手を払わずにいるのは、その言葉が真実であったからだ。
悪魔はそっと赤髪の手に己の手を添えた。
「―――その態度は昔からいけ好かねぇが……俺もお前のことは気に入ってたよ。……まぁ、お前の場合は、俺が黄金を作る力を持っていたからかもしれねぇがな」
『心外だねェ……。確かにその力ァ魅力的だ。けど所詮はアンタの一部にしか過ぎねェし、人間んなって力無くしちまったって、アンタがアンタであることにゃあ変わりねェ。そんなふうに思ってたってのにさ……』
赤髪の言葉に、悪魔は優しく笑んだ。
「――悪かった。つい憎まれ口を叩いた。ちゃんと分かっている――だから俺はお前に名を教えない」
赤髪の悪魔は舌打ちをした。
『せめて魂だけでもアタシが持っててやろうと思ったのに。ほんと、どこまでいってもつれない男だよ』
悪魔に背を向けた赤髪の声は震えている。
悪魔を辞めた悪魔と、赤髪の悪魔。
ベルフェゴールと、マモン。
二人は旧知だ。
悪魔の生は途方もなく長い。
彼らは必要以上に慣れ合わないが、互いの執着は人間の想像を超える。
好きだとか、嫌いだとか。
そういった感情では推し量れない。
ただ、単純に、強く、時に激しく執着する。
「最期に間に合うように来てくれたんだろ? ありがとう」
感謝の言葉を贈られた赤髪は、振り返らないまま言った。
『……アンタ、ほんとに人間になっちまったんだね……。いいさ、アンタのことは諦める。代わりにその子を貰うよ。アタシがちゃァんと立派な悪魔にしてやるさ』
だから心配するな。
しかし、そこまでは言わない。
それが悪魔という生き物だ。
かつて悪魔だった男はそれをよく知っている。
「ああ。きっとそこに眠る王子も俺のように黄金を作る力を持つだろう。好きなだけ指南料を貰えばいい」
やはり、宜しく頼む、とは言わない。
赤髪の悪魔は再び鸚鵡へ姿を変えた。
窓辺に立ち、こちらを振り返る。
『じァあな、人間。くたばる日まで悔いが残らぬよう、せいぜい努めやがれ! 大馬鹿野郎!!』
赤い鸚鵡は夕暮れの空に飛び去った。
その姿を肉眼で捕えられなくなるまで眺めた。
窓辺には赤い羽根が一枚落ちている。
それを拾い、ぽつりと零した。
「ありがとう」
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