昔話

 眠りについた王子の姿を、悪魔は残る魔力を用いて出会った頃の姿へと戻した。

 衣服もあの頃に着ていたものに似せた。

 そして以前、彼が住んでいた塔の一番上にある部屋の寝台に寝かせた。

 眠り続ける王子に悪魔が言う。

『お伽噺ってやつは、本当は眠る前にするもんだけどな、俺が知ってる唯一のお伽噺を今から聞かせてやるよ。これから先、良い夢が見れるように、とっておきのやつをな』

 寝台の縁に腰掛け、悪魔は王子の乱れた前髪を正した。


 ◆◇◆


 今は亡き王国のお話です。

 昔、昔。人の子ならば気の遠くなるような昔に、悪魔の大地と呼ばれる荒れ地がありました。土は干上がり、水もろくになく、草木の一本も生えていなかったそこには、一人の悪魔が棲んでいました。その悪魔は永く、代わり映えのしない生に飽きていました。身体を動かすことすら億劫で、空腹にも慣れきってしまっていたため、自ら作った金の棺の中に横たわり、ただひたすら惰眠を貪っていました。するとそんな悪魔を起こす者が現れたのです。

 珍しいこともあるものだ。悪魔が目を開けると、そこにはこちらを覗き込む二十六の瞳がありました。その瞳の全ては金色で、まるで宝石のようでした。悪魔はただ単純に美しいと思ました。

 生きているの?

 その中の一人が訊ねました。

 目が覚めた悪魔は生きていると答えました。

 子供たちは更に訊ねます。

 貴方は悪魔なの?

 そしてこう言ったのです。悪魔なら、私たちを仲間にして欲しい。

 悪魔は驚きました。よく眺めてみれば、彼らは酷く痩せ細っていて、今にも倒れそうでした。意識が混濁している者もいて、彼らは死にかけているところでした。事情を訊ねてみれば、彼らはその金色の瞳が災いして迫害された一族の生き残りだと言いました。美しいと思った金色の眼が、子供たちをこの荒れ地まで追いやったのです。

 悪魔は言いました。

 仲間にはできねぇが、望みは叶えてやっても良い。ただし、代わりにお前たちの魂を喰らわせろ。もう何百年も食ってねぇんだ。

 すると子供の一人が言いました。

 食べられるの、痛い?

 悪魔は答えます。

 いや、死んだ後の話だ。痛いとか苦しいとか分からねぇよ、多分。

 多分、と言ったのは、魂を食べることはあっても、食べられたことはなかったので、はっきりと答えられなかったからです。馬鹿正直に答えなくても良かったのですが、悪魔は嘘を吐くことすら億劫になっていました。

 すると子供は言いました。

 お腹減ってるのね? 何百年もご飯食べてないんだものね?

 口々に訊ねられた悪魔は少したじろぎました。悪魔である自分の方が押されていることに少し悔しくなりました。そして怖がらせてやろうと思い、改めて脅すように言いました。

 お前ら、俺が怖くねぇのか。悪魔だぞ? 魂喰っちまうんだぞ。

 それでも子供たちは怯えるどころか、怖くないよ。ちゃんとお話聞いてくれるもの。ねぇ、食べても良いよ。お願い聞いてくれるんでしょう、と口々に言うのです。

 悪魔はいよいよ面白くなって、子供たちの相手を本気でしてやることにしました。

 よし、お前たち十三人の望みを一人につき一つずつ叶えてやろう。ただし死んだものを生き返らせることはできねぇからな。あと他にも内容によっちゃあ叶えられねぇこともある。俺は神じゃねぇからな。だから望みの内容は要相談だ。それで望みを叶えて満足しても、それから自然に死ぬまでは手を出さねぇから安心して余生を送れ。どうだ、破格の待遇だろう。――さぁ、まずはどいつの望みから叶えようか?

 十三人の子供たちはわいわい話し合いを始め、やがて一人が進み出ました。

 そしてこう願ったのです。

 永く続く私たちの国を作って。金色の眼の人しかいない国よ、と。

 一人目の望みを聞き入れて、悪魔はこの荒れ果てた悪魔の大地に、黄金の国を作りました。そうして一つ、一つ彼らの願いを叶えていって、悪魔は宣言通り、彼らが寿命や病や事故で死ぬまで見守り続けました。退屈の中にいた悪魔は、彼らの死を待つことくらいどうってことはないのでした。なんせ人間たちは一日、一日を忙しなく動き回り、見ていて飽きなかったのです。

 十数年後にやっと全ての魂を食べました。

 悪魔はすっかり満腹になりました。

 そして何百年振りの満足感も得ていました。

 悪魔は、たまには人間と遊ぶもの良いものだと思い、再び眠る前に一つの魔法をかけました。それは十三人の子供の血を色濃く継いだ王族の中に、彼らと同じ類の魂を持つ子供が生まれた場合に作用する魔法でした。悪魔が一目見て分かるように、子供の眼が悪魔と同じ深紅の眼になるようにしたのです。

 そうして悪魔は次の食事を楽しみにしながら眠りに就きました。

 それから百年。

 悪魔が眠ってしまった歳月の中で、いつしか悪魔の大地という呼び名は忘れ去られ、代わりに生まれた王国は黄金郷と呼ばれるようになっていました。そして悪魔は深紅の瞳を持つ子供が生まれる度に眼を覚まし、その魂に会いに行きました。

 望みを叶え、代わりに魂を食べる。

 両者間の利害が一致しているので、何の問題も無いと思われました。

 けれど悪魔は彼らの望みを善悪関係無しに叶えたので、いつしか国には「深紅の眼は災いの眼」という記録が残り、深紅の眼を持つ子供は生まれるとすぐに殺されるようになりました。悪魔はそれを知り、面白くないと思いましたが、一方で人間の相手をするのも飽き始めていたので、暫く放っておきました。

 そしてやはり今度も、深紅の眼を持った子供が生まれたときに眼を覚ましました。

 ですが、今回ばかりは何か様子が違うようでした。しばらく待っても子供が殺された気配が無いのです。いよいよ面白くなって、悪魔はあと数年眠ることにしました。そして次に目覚めた時にもその子供が殺されていなかったとして、その子は自分に一体どんなことを願うでしょう。久方振りの獲物に、悪魔は忘れていた楽しさを思い出していました。

 そしてとうとう悪魔は出逢ってしまったのです。

 気が遠くなるほど永い生涯で愛することになる、たった一人の人間に――。

 こうして十三人の哀れな子供たちが願った王国は、十三代目の王を迎えるまで栄え、最後は一人残らず滅びたのでした。


 ◆◇◆


 悪魔は王子の寝顔をじっと見詰めている。

『お伽噺はこれでお終いだ』

 王子はピクリとも動かない。

『――そうさ。この国は元々、俺が造ったんだ。余りにも退屈でね。そして俺自身の手で壊した。盛者必衰の箱庭を、夢の狭間でのらりくらりと眺めるのはとても面白かったよ。最後の最後でお前に心を奪われなければ――本当に、ただくだらないだけの遊びに過ぎなかったのに』

 冷たい唇にそっと口付けて悪魔は続ける。

『――とても残念だが――何故だろうな? 俺自身はもう二度とお前に逢えないってのに、今とても満足してるんだ。永いこと生きてきて、こんな気分は初めてだ。ゆっくりおやすみ。次に目覚めたときにはきっと、気分が良いに違いない。お前を縛る王も、民も、そして国すらも、何もかもが無くなった。お前は自由だよ、ベリアル』

 知らず涙が頬を伝って、悪魔は驚いた。

 指ですくうと、ほんのり温かい。

 いよいよ本当に、自分がただの人間に成ったことを思い知った。

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