最期の晩餐

 夕食が始まった。

 だが王子の姿だけが無い。

「王子はどうした?」

 王が女中へ訊ねる。

「はい、もう直いらっしゃるかと」

 それだけ告げて、女中は待機位置まで戻る。

 すると食堂の出入り口の大きな扉が開く。

 王子が姿を現す。

「おお、待ちかねたぞ。さあ、晩餐を始めよう」

 王が朗々と言い、次いで異変に気付く。

 王子の白い服には赤い模様が点在している。

 手にはつるぎが一振り握られている。

 鞘は無い。

 血でべっとりと濡れた、剥き身の剣だ。

「……王子? 何をしているのだ……?」

「サフィル姉様、あれを見て! お兄様の肩!」

 酷く驚いた様子で姫が声を上げ、指差した。

 王子の肩には確かに殺したはずの白い鳥が留まっている。

「どうして? 殺したはずよ……」

 王には娘たちの会話が聞こえていた。

 だが、それよりも王子の様子のほうが気になる。

 何度も王子へ声をかけて。

 しかし王子は無言のまま食堂に入り、王の元へと近付いてくる。

 妹たちは異様な空気にその場から動けず、王妃も同様だ。

「お父様、私のお願いを聞いてくださいますか?」

 王子は涼やかに微笑みながら訊ねた。

「な、何だね……お前の望みならば、わしはなんだって叶えるぞ」

「嬉しいです、お父様……。私の望みは――貴方の命。私のために死んでください。私もすぐに参ります」

「!!」

 その瞬間、王は椅子から立ち上がり、その場を飛び退いた。

「出合え、出合え!! 王子が乱心した!! 殺せ!!! 王子を殺せ!!!!」

 王は叫び、兵や武装した女中が集まって来た。

 王妃と双子姫も兵士たちの後ろへと下がった。

 安全を確信した位置から事の顛末を見届けるつもりらしい。

「どうしてですか、お父様。私が死んだら、悲しくて生きて行けないのではなかったのですか……?」

「馬鹿を言うな! お前を今日まで生かしていたわしに恩を仇で返そうだなどと、親不孝も甚だしい!! お前はやはり災いの子だ!! その返り血はなんだ!! すでに外の兵を手にかけたのであろう!!?」

 王が片手を上げ、合図を送った。

 一斉に取り囲んだ兵士が槍を王子へ向けて突き出した。

 何十本もの槍に貫かれて、王子は絶命するはずだった。

 ところが眩い黄金の閃光が走ったかと思った瞬間。

 槍は王子に届く前に全て折れ、矛先は床に落ちていた。

 からん、からん、からん

 複数の甲高い音が辺りに響き渡る。

 兵士たちのあいだにどよめきが起こる。

 王子の肩の上に留る鳥が金色こんじきにに輝き、光を放っている。

「あははははははははははははははははははははははははははは!!!」

 突然、王子が高笑いを始めた。

 腹を抱え、心底おかしそうに笑っている。

 その姿に、その場にいた全ての人間が凍りついた。

 身動き一つ取れないまま、王子の姿を凝視する。

「殺せば良かったんだ!!! もっと早くに!!! こんなことになったのも、全ては因果応報。因果応報だよ、お父様!!!!」

 王子は再び笑い声を上げた。

 そして剣を振るたびに、反応が遅れた兵士が血飛沫を上げながら倒れて行く。

 ひとり、またひとり。

 ついには戦意を喪失した兵士が背を見せた。

 王子は容赦なく斬りつける。

「ねえ、お父様、こちらに座って? お母様も、可愛い姫たちも。さあ、最後の晩餐をしましょう。大丈夫、私もすぐに逝きますから、ね?」

 とびきりの笑顔を浮かべ、軽快に話す王子。

 今まで目にしたことのない彼の様子に、王も王妃もただ茫然とするばかりだ。

 そして抵抗することもできない。

 のろのろと、再び着席して。

 二人ともガタガタと震えている。

 それを見た妹たちも諦めて着席した。

「さぁ、リュクス。晩餐の用意をして?」

 王子の呼び掛けに、傍らの白い鳥が姿を変える。

 執事の姿になった悪魔は、

『かしこまりました』

 そう言って恭しく一礼し、その場を去った。

 王も王妃も双子の姫たちも、皆、揃って驚きの目で見詰めている。

「リュクスはね、料理がとっても上手なんだ。今夜に相応しいフルコースを用意してくれる。きっとお父様もお母様も、お前たちだって気に入るよ」

 やがてスープが運ばれてきた。

 それは真っ赤なスープだった。

「ああ、そうそう、お母様と姫たちにはスパイスを忘れないで」

 王子の言葉に、給仕をしていた悪魔は胸元から小瓶を取り出した。

 あっ、と姫から声が上がる。

「どうかした?」

「いえ……」

「その小瓶に見覚えでもあるのかな?」

 にこにこ笑顔を浮かべて訊ねる兄の姿に、妹たちは何も答えられない。

 ただ小刻みに震え、二人で身を寄せ合っている。

「これをね、振りかけると、とーっても美味しくなるんだ」

 王は気力を振り絞り、努めて明るく振る舞おうと発言した。

「ならばわしも貰おう」

「ふふふ、だーめ。お父様に差し上げることはできません」

「……何故じゃ……?」

「だって、お父様はこんなスパイスに見覚えがないでしょう?」

 王妃は娘たちの様子を見て、それの正体を察していた。

 ごくり、と生唾を飲み、それから堰を切ったように言った。

「私の可愛い王子! これまで冷たく当たっていたのは、ねぇ、分かるでしょう!? 貴方のためです。この国を背負い立ってゆかねばならない貴方の――」

「お母様、スープが冷めてしまいますよ?」

「王子! 貴方は自分を産んだ母を殺すのですか!?」

 妹たちが啜り泣きを始めた。

 王子は首を傾げ、不思議そうな顔をする。

「殺す? 違います。一緒に死んで頂くのです。私はお母様を心からお慕いしておりますので、決しておひとりで逝かせたりは致しません」

 いよいよ王妃の顔から色が失せる。

「さあ、スプーンを手に取って! まさかスープの飲み方を忘れてしまったの? ほら、お前たちも早く、早く。大好きなエビ入りのクリームスープだよ?」

「お、お兄様……ご、ごめんなさい……」

 ぼろぼろと涙を零す二人のうちの、寡黙な姫が詫びた。

 いつも朗々と言葉を操る快活な姫はただ泣き続けている。

「……何が? ふふ、珍しいねぇ、お前のほうが話すなんて」

「ごめんなさい、お兄様。私たち、羨ましかったの。お父様に愛されているお兄様が、妬ましかったの……!」

「いやだなぁ、何を言っているの? 私の可愛い妹たち。いつも一緒に遊んでくれて、とても良い子だったじゃないか。何故、今になって謝るのか、全然分からない。全然、分からないよ? ……さあ、そんなことよりも温かいうちにスープを飲んで。せっかくリュクスが作ってくれたのに冷めてしまうよ!」

「分かりました。スープを頂きます。だから妹たちにそれを飲ませるのは止めなさい」

 毅然とした態度で王妃が言い放った。

「お前はこれから私の身に起こることをよくご覧になれば宜しいわ。そして考えを改めなさい。それでも幼い妹たちに同じ仕打ちをしようというのなら、お前は犬畜生以下だわ。悪魔よ!」

 王妃は金のスプーンを床に投げ捨てた。

 スープ皿を両手で持ち上げ、冷めたスープを一気に飲み干す。

「お、お母様っ!!」

 狼狽する妹たちを尻目に、王子の表情は変わらない。

 王妃はうっと一度えづき、呻き始めた。

 みるみるうちに両手と首と額に血管が大きく浮かび上がった。

 顔は紫色に変色して膨張してゆく。

 強く歯を噛み合わせ過ぎて、歯が砕けた。

 口からはごぼりと血が溢れる。

 白目を剥き、激しく痙攣し始めた。

 喉の奥からは悲鳴ともつかない低い地鳴りのような声が絶えず漏れている。

 首を掻き毟り、髪を掻き毟る。

 ごそりと、頭皮が付いたまま髪が束で抜ける。

 長い爪で皮膚を破くものだから、王妃の顔は血まみれだ。

 見ていられなくなった妹たちは両手で顔を多い、片方はその場で吐いた。

 しかし胃の中に吐く物が無かったらしい。

 激しくえづきながら黄色い胃酸をスープの中に落とし混ぜている。

 王妃は舌を出しきってテーブルに突っ伏した。

 そしてぴくりとも動かなくなった。

 白いテーブルクロスは血で汚れている。

 王は絶句したまま、変わり果てた王妃から目を逸らすことができない。

 身体の震えも止まらなかった。

「ねぇ、いつもはあれを何倍に薄めていたの?」

 王子の問いに、妹たちは答えない。

 いや、応えられない。

「聞こえなかった? いつもは何倍に薄めていたの?」

「……ひっく、ぐす……うぅ…………じゅ、じゅうばい、です…………」

「ふうん、そうなんだ……。十倍でもね、結構キツいんだよ?」

 小瓶を手の中で転がし、王子は続ける。

「まぁ、原液で使うとどうなるか分かったし、もういいや。毒は飽きちゃった。――リュクス! スープを下げて次を運んで!」

『はい』

 てきぱきとスープが下げられる。

「じゃあさ、この短刀でどっちかひとりになってよ。ブランは替えが沢山いたみたいだけど、基本的には一匹だけでしょう。お前たちもひとりで十分だと思うんだ。同じ人間なんてさ、二人も要らないよ。――さあ、使い慣れた短刀だろう、ほら、始めて?」

 王子は二人の目の前のテーブルに短刀を置いた。

 これはかつて妹たちが鳥の姿をしていた悪魔を切り裂いたものだ。

「でも――でも、お兄様は最後に私たち皆を殺すのでしょう? 私たちが殺し合う意味が、無いわ」

「意味? もちろん、意味なんて無いよ。ただ見たいだけさ。ひとりになるまで同じ顔が殺し合うのをね」

「ど、どうして……」

「ゲームだよ? いつも一緒にいろんなゲームをして遊んでいたじゃないか。でも、いつもお前たちのゲームに付き合っていたから、最後くらい私のゲームに付き合ってくれてもいいだろう? ね?」

 ぶるぶると二人は首を振る。

 けれどそうしたところで事態が好転しないことは分かっていた。

 どちらが先に動いたのかは分からなかった。

 なんせ二人は双子だ。

 何をするにも、考えるにも、全てが大体、同じタイミングだ。

 二本の腕が短刀に伸びる。

 先に掴んだのは快活な姫のほうだった。

 手にした短刀で、寡黙な姫の喉を一息に斬り裂いた。

 美しい鮮血が弧を描く。

 それに合わせるように、寡黙な姫は床へ倒れ、絶命した。

 白亜の床に、赤い水溜まりが広がる。

 そして残った姫は金切り声を上げながら王子へと斬りかかった。

 冷静沈着な王子は手にした剣で姫の短刀を握った腕を斬り落とした。

 姫は床に這いつくばり、ありったけの罵詈雑言を並べた。

 王子はその頭を思い切り踏みつける。

 姫の口から血が溢れる。

「凄いね。窮鼠猫を噛む、だね。猫を倒せはしなかったけど。――愛しているよ? 可愛い私の妹。サフィル。リュビ。先に逝って待っててね」

 王子は手にした剣を振り下ろした。

 姫の頭は胴に別れを告げた。

「二人きりになりましたね、お父様」

 返り血で赤く染まった王子は満面の笑みを浮かべた。

「結局、サラダも手を付けられませんでした。残りはメインディッシュとデザートです。せめてその二つはゆっくりと味わいましょう?」

「……お前の望みはなんだ」

 すっかり色褪せた表情で王は訊ねた。

 王子は変わらず笑みを浮かべている。

「おや、先刻言いましたよ? お父様の命が欲しい、と。私は災いの子です。誰も心からは愛してくれない。お母様ですらそうでした。――でもお父様だけは違う。お父様だけはそんな私を心から愛してくださいました。だから私が死んでしまうことで、お父様を悲しませたくはない。そこで私は考えたのです。お父様が先に死んでしまえば、悲しませることはない。そうでしょう? ――私はもう、死にたいのです」

「ならば簡単だ! お前ひとりで死ねばいい!! わしのことならば案ずるな!! お前を失った悲しみを抱えてなんとかやって行ける!!!」

「いいえ、無理です」

 王子は無慈悲に否定した。

「お父様は愛するお母様と、娘である妹たちをも失っているのですから、もはやお父様に抱え切れる悲しみの量は許容を超えています」

「戯言だ!!」

 王は堪らず叫んだ。

「あんなに素直で良い子だったのに……そこの悪魔の仕業だな!? お前が私の可愛い王子を狂わせたのだな!!?」

 悪魔は全く気に留めていない。

 メインディッシュの準備を手際良く進めていて。

 子羊のリブからは香ばしい良い匂いが漂ってくる。

「……お父様……最期に一つ、真実を教えてくださいませ」

 剣を握ったまま、王子は王の傍に佇んだ。

 深紅の瞳には、怯えと怒り。

 それから後悔が入り混じった顔をした王の姿が映っている。

 一方で、金色の瞳にはどこまでも無機質な、深紅の眼をした王子が映っている。

「お父様は私を本当に愛していましたか?」

 王は疲れ切った表情を浮かべた。

 そして力無く微笑む。


「……――あ、ああ、――もちろんだとも…………」

 

 その完全に諦めきった顔。

 王子の顔は歪んだ。

 絶望に彩られた笑みを浮かべ、大粒の涙を零す。

 涙は留まるところを知らず、あとから、あとから溢れては地へ堕ちてゆく。

 そして一言。


「嘘吐き」

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