最初で最後の執事

 リュクスとは、そもそも王が町で拾ってきた青年の名であった。

 王が都を視察していたときに、彼は往来に倒れていた。

 王を乗せた馬車は障害物となった青年のために停車した。

 先頭の兵士が、持っていた槍の柄で彼の身体をつついた。

 麻袋を縫い合わせた粗末な服を纏った彼は満身創痍な態で。

 ぴくりとも動かなかった。

 兵士から何度か小突かれて、やっと顔を上げ、何かを告げた。

 王は馬車から降り、青年の前に屈んだ。

「申してみよ」

 青年は辛うじて、

「水を」

 そう言い、気を失った。

 王は青年を馬車に乗せ、すぐに城へ運び込んだ。

 まだ彼のような者がいたとは。

 その双眸は鳶色とびいろだった。

 この国は金色こんじきの瞳を持つ民の国だ。

 金色の瞳が正常とされ、たまに生まれる鳶色の瞳を持つ人間は差別された。

 成り損ない。

 半人前。

 そう呼ばれて、眼の色の他には理由が無いまま身分を貶められた。

 彼らは金色の眼を持つ民と同じ学校へは通えない。

 同じ職に就くことも叶わない。

 金色の眼を持つ相手と結婚し、子を成すことも同様だ。

 鳶色の眼を持つ人間は数が少ないので、大抵は己の一族の元で奴隷となる。

 そして一生を終える。

 王はそんな国の体制を少しでも変えようと努力していた。

 鳶色の眼を持つ人間のための制度を幾つも設けた。

 最近では金色の眼を持つ民と同じ学校へ行けるようにした。

 ある程度の職業に就けるようにもしたし、法律上で彼らとの結婚も可能にした。

 今の王になって、鳶色の眼を持つ人間はやっと息ができる心地がしていた。

 それでも街角で私刑に遭う鳶色の眼の民が存在していて。

 王は差別というものの根深さに衝撃を受けていた。

 そんな王に大臣は進言する。

「いえ、もしかしたらこの者にまごうことなき非があったのかもしれませんぞ」

 王は大臣に頷いて見せた。

 だが、本人から話を聞くまでは断定することはできないとも考えていた。

 城で手当てされ、意識を取り戻した青年はさっそく王の間に呼ばれた。

 彼は市場で下働きをしていたと言った。

 そんな折に品物が頻繁に盗まれる事態が発生して。

 やがてはその犯人として吊るし上げられたとのことだった。

 王は身の潔白を断言できるのかと訊ねた。

 青年は王の金色の瞳を真っすぐに見詰めながらはっきりと答えた。

 自分は働いたことは一度も無い、と。

 王は信じた。

 そして新しい衣服を与え、城で仕えよと命じた。

 この城には都よりも多く、鳶色の眼の人間が仕え住んでいた。

 皆、王が直々に命を下し、仕えさせた者たちだった。

 もちろん、強制はしなかった。

 むしろ王の命に泣いて喜んで城へ上る者が多かった。

 改善しつつあるとは言え、都にはまだ差別が色濃く滲んでいる。

 鳶色の眼を持つ人間にとって、都はまだまだ住みにくい場所でもあった。

 そうして青年も首を縦に振った。

 与えられた仕事は、五つを数えたばかりの王子に仕えることだった。

 それまで王子に仕えていた者は金色の眼の民で、すでにお役御免となっていた。

 王子への虐待が発覚したからだった。

 王は元々、次の執事を鳶色の眼の人間にしようと考えていたのだ。

 故に、青年は丁度おあつらえ向きだったのだ。

 彼ならばきっと、王子の世話を親身に行うだろう。

 なんせ王子は自分を拾い上げた人間の息子なのだ。

 王の采配はいつだって的確である。

 王の読み通り、青年はとても良い執事となった。

 学校へは通っていなかったために学は無かった。

 だが、その代わりに懐の広さや、情を汲み取る術に長けていた。

 幼い王子もすぐに懐いた。

 青年がいたあいだは、王子も今よりは幾分か幸福だった。

 女中も兵士も青年がいるために王子と関わることが少なかったからだ。

 陰湿な苛めも起こらなかった。

 苛めが起こったとしても、その矛先は全て鳶色の眼をした青年に向けられた。

 だが、差別に馴染んでいた彼にとっては些細なことで。

 今さら苦に思うこともなかった。

 むしろ王子を弟のように愛しく思っていたので、城の生活を気に入っていた。

 鳶色よりも蔑まれる深紅の瞳を持った王子を哀れむこともしなかった。

 ただ、あるがまま、王子を愛していた。

 王は職務から越えずに、それでいてちゃんと王子を愛する青年を可愛がった。

 そんな彼に、やがては王妃も目を付けた。

 とある日に、王妃は自身の部屋へ彼を招いて。

 例の如く誘惑したのだが、青年は拒絶した。

 王妃は顔を真っ赤にし、怒りに震えた。

 今まで自分を拒否した者はこの城に存在しなかった。

 ましてや青年は王に応えて寝室へ何度か足を運んでいる。

 王の顔を立てて、自分の顔は立てないと言うのか。

 なんという屈辱だろう!

 それに青年の王子に対する献身振りも元から気に入らなかった。

 あんな化け物王子に誠意を尽くすだなどと怖気がする。

 それとも互いの傷の舐め合いでもしているのだろうか。

 一時でも、気紛れに相手をしてやろうと思ったことすら憎らしくなった。

 王妃は青年を殺してしまうことにした。

 王子が青年のために用意した林檎に、隙を見て毒を注入したのだ。

 何も知らない王子は、やがてその林檎を青年へ与えて。

 青年は王子の目の前で息絶えてしまった。

 あっという間の出来事に、何が起こったのかが分からなかった。

 ただ、青年はぴくりとも動かず、ゆっくりと青年の死を認識した。

 王子が感情を露わに激しく泣き叫んだのは、後にも先にもこのときだけだった。

 自室からその様子を静観していた王妃だけが声高らかに笑っていて。

 偶然、現場を目撃してしまった双子姫は、毒で人が死ぬ様に目を輝かせていた。

 事態を知った王はすぐに調べさせた。

 だが、王妃が用いた毒は時間が経つと跡形も無く消え去る性質を持っていた。

 医師は突発的な心臓発作と診断し、不幸な突然死であった、と告げた。

 王が真相を突き止めたのかどうかは分からない。

 ただ、それ以降は新しい執事を王子に与えることはしなかった。


 悪魔は記憶を全て見終えると、手にしていた髑髏をそっと棚へ戻した。

 ここは王しか立ち入りを許されていない部屋だ。

 そこに青年の髑髏はひっそりと、誰にも知られることなく保管されている。

 隣に立て掛けられていた大きな姿見に映る己の姿を眺めた。

 確かに青年と自身の姿はよく似ていた。

 だが、それもそのはずである。

 悪魔はこの国を造ったときに一つ、細工をしたのだ。

 それは、必ずひとりは自分にそっくりな人間が生まれるようにしたことだ。

 それがたまたま、このときはリュクスという名の青年だったのだ。

 もちろん、この国の民として生を受けた人間なので、髪色は悪魔とは異なる。

 黄金こがね色の髪ではなく、王子と同じ濡羽ぬれば色だ。

 今だって国中を探せば、悪魔に瓜二つな人間がひとり。

 確実に見つかるはずだった。

『俺と出会う前からすでに俺の姿と出会っていたとは……ますます興味深い』

 悪魔は独り言を呟き、部屋を後にした。

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