私とわたしのコンプレックスについて 3
屋上扉の前で、俺はひとり待ち伏せていた。
ゼリー飲料で昼を済まして、そこからずっと噂の先輩が出るまで壁に寄りかかっていたが、まさか真っ先に出たのが自分のクラスメイトだとは思わなかった。
「機島くん……?」
思わぬ鉢合わせに、少しだけ戸惑った。なぜあのケース持ちの
彼女の目は少し赤く腫れていた。瞳が潤んでいるのを見ると、彼女は先ほどまで泣いていたのかもしれない。
俺がどう声をかけようかと悩んでいると、飛田さんが続けて言った。
「さっきの、見た?」
「……見てはいない」
事実、俺は見ていない。おかげで、飛田さんがいることなど予想もしなかった。
彼女はあのケース持ちの関係者か、何の関係もない一般人か。疑うようで少し良心をとがめるような気持ちになりながら、俺は訊いた。
「あの先輩のアタッシュケース、中に何が入ってるか知ってる?」
飛田さんの瞳が揺れたように見えた。唇を震わせて、何か言おうとして、つぐむように口元を整える。
間違いない。彼女は何かを知っている。
この街の
「……知らない」
まあ、さすがにそこまでは読めないか。深掘りして嫌われたくもないから、これ以上は聞かないようにする。
「まあ何でもいいけど。とにかく、あの先輩とはあまり関わらないほうがいいよ」前者の可能性を考慮して、俺は警告する。「きっとろくなことにならないだろうから」
「余計なお世話だよ」
彼女は不審なものを見るような目で言って、通り過ぎて階段を降りる。
まあ、なんだっていい。前者の可能性ならば、いざという時に俺が動けばいいだけの話だ。
ただし、後者ならば別だ。後者の可能性なら、俺は最悪な状況を考えなければならない。
彼女がまた別の鹵獲妖精持ちだった場合、俺は彼女から何かを、下手をすれば命までも奪わなければならないからだ。
少し間を開けて、垂らした長い髪に背の高い女の先輩、広野光が扉から入ってきた。入ってきた時に少しだけ不安げな様子だった彼女は、俺を見て露骨に警戒した。
「何も見てませんよ。屋上は先客がいると聞いていたので、仕方なくここで昼を過ごしていただけです」
「……もし話したら、殺すから」
広野光はそう言って冷たく睨みつけて、俺の前を通り過ぎた。
見てはいない。ただ、知っているだけだ。いまちょうど通り過ぎた彼女こそが、この街で妖精を倒して回っているマキナ・シャインだってことを。
そして、俺たちは目的のために彼女を倒さなければならない、ということを。
*
放課後、私は下駄箱で飛田さんを見た。
朝に見た友達と一緒でどうしようかとためらって、結局声をかけられないまま、彼女がさっさと出ていくのを見つめていた。
きっと飛田さんは気づいていた。だけど、私があまりに近づきすぎたから。触れてはいけないところに触れてしまったから、自分から望んで離れたのだろう。
私だって持っているはずなのに。自分の望むものとはほど遠い、歪んだヒーロー像の形をとった私の妖精を。
昼休み、黒い仮面とタキシードを纏う少女――シャドーと名付けられたもうひとりの飛田さん――が屋上で言った言葉。
「ボクは別にあの子とイコールだとは思っていないけど、少なくともボクは君のヒーローごっこなんかに興味なんかないんだよな」
「どうするかなんて知らないよ。もしボクがこの世界でも金銀財宝を奪うような真似でもするとして、それをわざわざ君に正直に言うと思ってる?」
「あの子が君についていって何を企んでるかは知らないけど、ボクはこの世界でも欲しいと思ったものを手に入れていくつもりだよ。まあ、これはボクの予想だけど、あの子は――」
ここでシャドーは突然発作のようにナイフの柄の歯車を回して、変身を解いてしまった。そして元に戻った飛田さんは黙ってすぐに荷物をまとめて、屋上扉に引き返してしまった。
あの言葉の続きは分からなかった。飛田さんが何かを隠しているのは分かっていたけれど、おそらくはそこらへんのことなのかもしれない。
正直、不安だった。せっかく私が身を寄せられる相手ができたのに、それが離れていく。手に入れたあとで失われるものは、最初から存在しないものより私の心を蝕ませていく。
このまま、私は孤独に戦っていくのか。歪んでいることを自覚している正義をいまだ制御できずに、誰かを昏睡状態にさせ続け、街を破壊していくのか。
だけど、そう考えると、その方が良いような気がした。
よく考えたらおかしかったことだ。罪から逃れたくて、自分から望んで私と同じ目に遭わせようとしていたなんて。
だから、これでいいかな。
私はこれからも、誰かの負うべきだった役割を務めていく。ヒーローという名の汚れ役を。
革靴に履き替えて、その先へ。誰もいない、帰り路を進む。
*
結局、飛田さんと会って言葉を交わすこともないまま三日が経ち、妖精が出現した。
授業の途中に外で騒ぎがあり、休み時間を狙ってアタッシュケースを提げて屋上に向かう。そこで早々にステッキを組み立てて変身し、アタッシュケースとともにシャインの超脚力を用いて屋上から飛び出した。
現場の大通りは広い範囲で綱のような蜘蛛の巣が張りめぐらされていた。それらは車道越しの建物と建物の間を中心に、周囲のあらゆる自動車へと繋げられている。
その頂点で見つめる存在。四本の腕と四本の脚を器用に用いて、手足の代わりにそれぞれひとつずつ備えられた先の細い筒型の射出口であらゆる方向に糸を飛ばしていく。
それは頭部の左右四対に単眼を持つ、蜘蛛の異形だった。
縞模様の筋肉質な全身に金属のような光沢を放つ蜘蛛の男は、私に向けて陽気に声をかけた。
「ねえ、そこの君! 残念ながらここは交通規制中なんだ! 悪いけど、よそを通ってくれない?」
私も別に通りに来たわけではないため、いつも通りステッキを蜘蛛の男に突きつける。
「わたしはマキナ・シャイン! お前のようなクズを絞めるため、わざわざ暇を作って来てやりました!」
なんかもう、ヤケだ。こうなったら、このままわたしのヒーロー像を見せつけて、誰もかもにとことん嫌われてやる。
「はあ? ボクがクズ? ボクはいつ人を轢くか分からなくて剣呑な、車という存在を捕らえてるだけだぞ!」
「自覚はないようで。それじゃあ、遠慮なく!」
大腿ホルスターのデバイスの画面に触れて、
「ハリケーン!」
抜き出した竜巻のカードをスロットに差し込んで、歯車の柄の先に形成された半透明の歯車を高速回転させる。そのままステッキをなぎ払って方々の強靭な糸を切断していき、蜘蛛の男の安定を損なわせようと試みる。
しかし相手の方もただでやられるようなことはなく、私に向けて糸を射出していく。私は強化された動体視力と竜巻の歯車でどうにか振り払いながら、周囲に張り巡らされた糸を切断していくが、その巣はあまりに複雑で、大きくバランスを崩すような決定打が出せずにいた。
「あの! これ、いつまで続けるつもりですか?」
――仕方ない。コブラを使おう。
ハリケーンは使いやすいが、リーチの面でたかが知れている。直接跳べば届く距離だが、そうすると糸を射出させる充分な隙を作ってしまう。ウルフは論外で、いくつか考えられるリーチとして充分なカードを考えて、ストックの中で真っ先に思いついたコブラに決めた。
「コブラ!」
射出される糸を走ってかわしながら、ハリケーンからコブラのカードに取り替えて歯車を戻す。歯車の先から頸部を広げた半透明の大蛇を形成して、蜘蛛の男に向けて射出した。
身をかわす蜘蛛の男を追って、再び柄の歯車を往復させる。
「
逃げる先に何度も繰り返して大蛇を射出。幾筋もの大蛇は捕らわれた自動車やアスファルトや建築物やその他細かな障害物を抉り、蜘蛛の男のかわす先を喰らっていった。
もう、一般人を助けようと考えるのは諦めた。元からカナデお姉ちゃんのようにはなれない。私はそういう人間だったってことだ。
「おい! 君のせいで街がめちゃくちゃになってるぞ! これじゃむしろ、クズは君の方じゃないか!」
うるさい。お前らが元からこういうことをしなければ、私だってこんなことをしなくて済んだんだ。お前ら妖精のせいで、無関係な一般人が巻き込まれて、宿主は半永久的な昏睡状態に陥って、街は壊れていく。
そうして私は孤独になっていく。
「……殺してやる」
私の声が、シャインの口を出た。シャインもさすがにうろたえて、その影響で身体の主導権のほとんどが私に渡る。
「
蜘蛛の男が射出する糸の進行先を狙い、大蛇を射出する。その進路を阻む自動車から人の叫ぶ声がするが、構うものか。
しかし、あらゆるものを巻き込んで蜘蛛の男を喰らおうとする大蛇は、どこかからの衝撃で消滅した。
向かいから、激しいモーターの音が響く。わずかに蜘蛛の巣に隠れたその先を見ると、縦長の筒状に四脚を備えた単眼の、ロボットと呼ぶべき存在。その背後に隠れるようにしがみついて、ショットガン型のクロスボウのハンドグリップを把手で動かす甲冑の騎士の姿があった。
『まったく! この街のヒーローさんはえっぐいことをやるんだから!』
「本当にね。まさかあのまともそうな見てくれの先輩が、こんなテロまがいの戦い方をするなんて、流石に予想してなかった。ちょっと壊してるだけってレベルじゃない」
騎士の方から甲高い声と、くぐもったような低い声。
『お兄ちゃん、まさか例のマキナ・シャインがこんなヤバいやつだとは聞いてなかったんだけどな』
『いいから、進行方向』
『はいはい。
騎士から聞こえるもうひとつの落ち着いた高めの声と、ロボットから聞こえる平坦な調子の機械音声。
騎士はすぐさま言われた方向を向き、蜘蛛の男を片手で的確に狙って撃ち落とす。
しめたとばかりに、私がコブラを再構築しようとしたところで、足元に銃撃が下されて体勢を崩した。
『ヒーローごっこは迷惑』
甲冑から聞こえるとは思えない、先ほどの幼く冷ややかな声が投げかけられる。騎士はロボットの背を下りて、腰の液晶型のバックルの額に付いたバックルの半分ほどの歯車を、親指を用いて主観で左方向に回す。
『パール・フィニッシュモード』
バックルから先ほどの幼い声が聞こえ、騎士の背部に段々に重なったカミソリのような長く白い羽を放出させる。ハンドグリップを動かして、遠くで必死に逃げ惑う蜘蛛の男に狙いを定める。
弦がたわみ、銃口から白い光が射出され、それは標的をまっすぐ貫いた。遠くの蜘蛛の男は、糸が切れたようにくずおれて、騎士はひとまずの息を吐く。
私の知らない、新たなケース持ち。まさか、カナデお姉ちゃんが渡した相手はまだいるのか。
間もなく騎士はこちらに視線を向け、私の身体を狙ってショットガン型クロスボウを向ける。
「次はお前だ、マキナ・シャイン。いや――」
騎士は冷ややかに、くぐもった声で私に言った。
「広野光。ヒーローごっこは、もう終わりだ」
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