邂逅
空沢 来
第1話
明るい陽だまりに、姉はいた。
純白の病室のベッドの上。レースのカーテンに遮られた陽射しは、それでも明るさで姉を満たしていた。……僕の心とは対照的。
僕は中学1年生で、姉は中学3年生。
姉はほとんど学校に行ってない。病気で余命が長くない。
幼い頃から僕たちが通っていた教会にも、病気になってから姉は行けなくなった。毎週日曜日にネット配信される礼拝動画を見て、姉は健気にも神を崇めていた。
神の被造物である陽射しは姉の状況を知らない。全知全能の神ならともかく。
被造物であるゆえに陽射しは、あんなふうに綺麗に輝いて、神の栄光を現す。
……神を信じるならば天国に行けると言われても、十五の姉は、早すぎる死を理不尽だと思っていたらしい。
……姉は言った。
「雪哀(ゆきあ)。愛なんて……嘘だよね。神様はなんで私をこんな目に遭わせるの。十字架で頼みもしないのに死んだり、頼みもしないのに私を殺したり……病を悪霊かウイルスかに許したりして。気まぐれ過ぎる」
イエスキリストが2000年以上前に、十字架に磔られて死に、3日後によみがえったことは、僕たちのためだと伝えられていた。
僕たちを愛し、自己犠牲を捧げ、僕たちの罪の身代わりとして十字架の罰を受けること。
キリストの行動は、確かに僕たちが祈って得たものではなかった。
だが、姉は牧師や両親の前では、そんなことは言わなかった。
本心を……弱音を吐露するのは、いつも僕の前でだけ。
教会のために骨折ったり、信仰を教えてくれたりした彼らの前では、従順にしていた。
一途に神を信じていた馬鹿な僕は、姉の葛藤を他人事だと思っていた。……神は、僕には姉のような試練を与えなかったから。
だが、最近。
高校1年生になった僕は、姉の葛藤を思い出すようになった。
進学校のストレスで、クラスの連中が僕を無視するから。
神は僕が勤勉であることを喜ぶ。だから僕は苦手な社会を頑張り、進学校にも合格できた。……神社や坊さんの名前を吐き気を堪え堪え必死に覚えた。……それは怒られるから言わないだけで。
だが、高い偏差値を求め、成績を競争するようになってしまうなら、皮肉。
アガペーの愛……見返りを求めない、無償の愛で神と人とを愛しなさい、というキリストの命令とは逆方向だから。
人を愛するのではなく、人と人とを比較し、妬んだり羨んだりするのは、疲弊しか産まない。
僕は、信仰によって勉学に励まないようにした。
結果、成績はだだ下がり。
授業についていけなくて赤点を取りまくった。
それが目的と言えば目的だったから、それでいいはずなのに。
机に落書きされたり、あからさまに避けられたりすれば傷付く。
キリストは、試練にあったら喜べと言う。
家の部屋で、喜んで、跳ねたりしてみた。
だけど、キリストにしか相談できなくて。
友達ができないから。
信仰について真剣に語りあえる高校生は、稀。
教会には若い人はなかなか集まらない。
でも、つらくて。
だけど、死ねなくて。
自殺したら、地獄に行くのは間違いなくて。
それは聖書に書かれてるから。
とりあえず神に祈って、苛められていることに感謝した。……試練にあったら普通は悲しむ一辺倒だと思うが、そうじゃないから。
ステパノも無実なのに、周りの人間から石を投げられて、死んだ。
けど、石を投げた人間の赦しを神に乞い、殺されていった。
僕は、世の中の人とは違う。
喜ぶことができたから。試練は僕に喜びをもたらすから。
神様の愛が、僕の心に流れてる。
神様がくれたいのちの心臓が、愛の泉を僕の魂から湧かせる。
とめどなく、尽きることなく。
十字架でのキリストの死は、僕たちにとって必要だった。
必要なのに、神にほしいと願えないほど、人間は愚かすぎた。
たまたま、朝早く登校した。
朝練の生徒さえ、誰もいない頃。
僕の靴箱の前に、女が立っていた。
まさか、こいつも悪戯の犯人かよ。
こんな朝早くから、僕のシューズを切り刻もうとしてるなんて。
いや、喜べ。そして、赦せ。じゃないと、神も僕が棚に隠した雑誌のことを赦してくれないから。
何気なく近付き、よく見ると彼女は何かを持っていた。マジックリンとボロ雑巾。
……僕の靴箱の扉に、死ねと赤いマジックで書いてある。
彼女は、それにスプレーし、拭き始める。
「何してんスか?」
僕は、直球を投げた。
彼女は静かに僕を見た。
「苛められてるの?」
「なんで?」
「今日は、聖霊さまに早く起こされた。レーマがあった」
「レーマって何?」
「神様が、何となくで教えてくれたから、これもついでに持って来た」
「マジックリンですか?」
「それと、拭くやつも」
「……あぁ」
「これで神様は私を呼んだのね」
彼女は、納得したようだった。
「……なんでですか?」
「違うの?」
「いや。それ、たぶん僕の靴箱っす」
「うん。……消すね。神様が消せって言うから」
「文字を?」
「うん」
「……変わってますね」
「私、キリストに従ってるんです」
「はぁ…」
「神様に感謝した方がいいですよ。
僕の名前……靴箱に、貼ってあったな。
「……」
「神様が喜ぶと思います」
「……」
「神様は、私をマジックリン係に命名するほどに、あなたを愛していますから。愛する方に、愛を返してもらいたいというのは、自然な欲求です。神様に感謝してください。神様を愛してください」
急に、暖かな陽射しを感じた。
朝陽が校舎を染めている。……神の被造物、太陽。
神のお造りになった光は変わらず麗しく、神ご自身はそれよりもっと、今日も麗しい。
姉の身に起こった不幸について、ふと僕も、神に違和感を覚えていたのかもしれないと気付く。
僕のたいせつな姉。
神様は与え、神様はとられる。
主の御名はほむべきかな。
神様が、姉を天に召し、
僕が苛められていても、
神様は僕に平安を注ぎ込み続けてくださる。
神を恨まず、神を求め続けよう。
邂逅 空沢 来 @kaidukainaho2seram
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