第108話:迷いともやもやと

 翌日はゆっくり起きて時刻は一〇時を回ったところである。

 ここ最近は毎日のように天上のラストルームにログインしている矢吹だったが、大学が再開されるのもだいぶ先になるので今日もログインしようかと考えていた。

 菓子パンを頬張りながらBGMと化しているテレビを眺めていると、携帯に着信が入った。


「……母さん?」


 そういえば天上のラストルームばかりやっていたせいで親への連絡がおろそかになっていたことを思い出す。

 実家にも長い間帰っていなかったので心配になったのだろう。

 携帯を手に持ち通話をタップする。


『——刃太?』

「母さん、どうしたの?」

『——どうしたのって、あんた大学はもう休みなんでしょう? 連絡の一本くらい入れなさいよ』

「バイトで忙しかったんだよ」

『——バイト? あんた、お金に困ってるの? それならこっちから仕送りでも』

「違う違う! 俺の趣味のためにお金が必要だったんだよ。俺は元気だから心配しないで」

『——そうかい? ならいいんだけど。……たまには帰って来なさいよ』

「分かってるよ、ごめん。そうだなぁ……明後日には一度帰ってゆっくりするよ」

『——それならいいんだけどね。最近は物騒なニュースも多いから気を付けるんだよ』

「大丈夫だよ。それじゃあ明後日」

『——待ってるよ』


 矢吹は電話を切ると大きく息を吐き出しながら天井を見る。

 入学前は母親とのやり取りも面倒臭いと思っていた矢吹だったが、離れてみるとそのありがたみが十分に理解できた。

 朝起きればご飯が出てきて、夜帰ってきてもご飯が出てくる。掃除洗濯も大半は母親がやってくれていた。

 一人暮らしを始めるとその全てを自分でやらなければならないのだから今の状態をキープするだけでも相当な労働力だと感じたものだった。

 家に帰るだけでちょっとした親孝行になるのなら、その時間を作るのも悪くはない。


「そうと決まれば今日はガッツリと天ラスをプレイするかな」


 そう口にした時、ふと昨日見たブログの内容を思い出していた。


『——あのスキルは危険だ、天上のラストルームでは精神を崩壊させる』


 たかがゲームでまさかと思ってしまう一文なのだが、矢吹は何故だかその一文が気になってしまっていた。

 もし書かれていることが事実であれば、天上のラストルームの仕様はとても危険なものになってしまう。

 先ほどの母親との会話が頭をよぎる。

 天上のラストルームを止めるべきか、続けるべきか。


「……まさか、あり得ないよな」


 矢吹の決断は続けるだった。

 止めるにしてもアリーナへ何も言わずに止めるのはどうかとも思う。アサドにも止めるなら声を掛けてと言っていたくらいだ。

 どちらにしろ、一度は必ずログインをしなければならない。ならば、今日はとりあえず楽しもうと考えた。


「さて、ログインするか」


 部屋に戻った矢吹はHSを装着してベッドへ横になる。

 ゲームを起動させると、そのまま天上のラストルームの世界へ意識を飛ばした。


 ※※※※


 ログインした先はアリーナの武具店の前。

 フレンドリストを開くとログインはしているのだが入口には閉店の掛札が下げられているので、鍛冶作業を行っているのだろうと理解する。

 チラリと残る二人のログイン状況を確認したアルストは――


「えっ! ロ、ログインしてる!」


 驚きのあまりに声を出してしまった。

 何事だと周囲の視線が集まってきたので急いでその場を離れる。

 アルストはアレッサにメールを送ってしばらく返信を待ってみたのだが、一向に返信は返ってこない。


「……バベルに行ってるのかな?」


 二人でバベル攻略に向かっているのであれば返信ができないのも頷ける。

 このまま返信を待ってアーカイブをうろうろするのも時間がもったいないと思ったアルストはクエスト屋に顔を出してみる。

 しかし、これといったクエストはなかったのですぐに外へ出た。


「俺もバベルに行ってみるか」


 クエストもないとなればやれることは一つである。

 さらにアルストにはやりたいこともあったので足をバベルへと向けた。


 ※※※※


 現在のアルストは魔導師マジシャンである。

 レベルは23であり、あと7上がれば最大となり次のステップへ移行できる。

 アルストのやりたいことはレベル上げ――ではなく、宝箱から手に入れた【経験値の果実】を使用することだった。


「おっ! やっぱり、名前の通りで経験値を取得してレベルを上げることができるみたいだな」


 使用した時の効果がステイタスに表示されているのだが、ここで一つ困ったことが起こってしまう。


「魔導師で使うと30まではいくんだけど、無駄になる部分も出てきそうだな」


 レベル30まで上がるということは、カンストする分で無駄になる経験値が出てくるということだ。

 それならば魔導師に関しては自力でレベル30まで上げて、魔導師極マスターマジシャンに【経験値の果実】を使用するべきだと考えなおす。


「メールは……まだ返信なしか。それなら地道にレベル上げに勤しむかな」


 メールの返信があるまではレベル上げをしようと決めたアルストは、一階層から五階層まで向かい一日中レベル上げに費やした。

 その結果で魔導師のレベルを30まで上げることに成功したのだがもやもやが残ったままになってしまう。

 アレッサからの返信は、今日一日の間でなかったからだ。

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