出生と技術

@akira404

出生と技術

 この文章は学術的研究に基づかない個人の意見であり、SFとかの考察に使う可能性があるくらいで、実用性はあまりない。


 ここでは人間の出生と、それに関わる技術の話をする。家畜とか植物とかの農業で扱う繁殖についての話は「食品の生命編集について」を読んで欲しい。ゲノム編集あたりの話は「食品の生命編集について」とも重複する部分があるが、ここでも書く。

 個人の利益と社会の利益を大きくすることを重視して考える。技術に対する忌避感については無視する。人間の出生を前提として、反出生主義などを含む出生自体の是非は扱わない。


・出生後の変化

 人間は一生のうちに環境から影響を受けて変化するので、出生が人間の全てではないことに留意する必要がある。学習などのソフト面で顕著だが、ハード面である肉体についても、出生後のキメラ化や機械化などの改造が高度に発達している場合は、出生時点での差異による影響は小さくなる。ただし、これら出生後の変化自体が出生時点での状態に制限される場合もある。


・エヴィデンスが集まらない

 人間の出生において困るのがこれ。現代科学は仮説と検証が重要だが、エヴィデンスが集まらないので検証ができず、研究が進まない。エヴィデンスが集まらない理由は幾つかあるので、以下に示す。

 1.個人の利益を損なう可能性がある実験ができない。高い可能性で成功する手法しか許されず、いわゆる人体実験として非難されるようなものは実行できない。

 2.寿命が長い。つまり、実験の結果が出るのにめちゃくちゃ時間がかかる。

 3.実験環境が複雑すぎる。実社会で生活するので、対照実験をしようにも同じ環境を整えることができず、考慮すべき項目がめちゃくちゃ多い。


・精子の競争について

 優れた人間をつくるのに精子の競争が有用かどうかについて考える。

 卵子と精子を用いた受精では、精子による競争が行われる。体外受精でも運動性の良い精子を選別するプロセスはあるので、形は多少異なるが競争が行われる。実際には単純な競争ではなく協力めいた関係も持つらしい。しかし、競争に勝った精子は「受精までの競争に勝った精子」であり、「優れた人間をつくる精子」であるとは限らない。

 まず、精子自体の形質や能力と、精子が運搬するゲノムの関連性について考える。精子は減数分裂によって作られるため、その形質は分裂前のゲノムに影響されるだろう。しかし、分裂後のゲノムから育つわけではない。よって、精子が持つゲノムが精子自体の形質に影響するかは確認する必要がある。また精子の能力は鮮度の影響を受けるが、精子は全てが同時に製造されるものではないので、同じ形質の精子でも常に同じ能力を発揮できるものではない。

 次に、「受精競争に勝つ形質」と「人間としての生活に役立つ形質」が異なることを考慮する必要がある。精子と人間では大きく構造や性質が異なるため、タフな精子の形質が受精卵に引き継がれるとしても、タフな人間になるとは限らない。また、人間の生活にはタフさ以外にも学習能力なども必要になるが、それが精子の競争に役立つかと言うと、かなり怪しい。

 さらに、卵子側のゲノムとの相性も考える必要がある。精子がそのまま成長するのではなく、受精卵は卵子と精子のゲノムを組み合わせてできる。そして、形質はゲノムの単一の要素から決まるとは限らず、複数の要素を組み合わせて決まるものもあるらしい。よって、ある卵子と組み合わせた時に良い形質を発現する精子が、別の卵子と組み合わせた時にも良い影響を与えるとは限らない。

 少なくともこれらの点を研究しクリアにしないと、精子の競争が有用であるかを判断することはできないが、割と望み薄なんじゃないかという雰囲気はある。


・ゲノム編集について

 まず、これについては「食物の生命編集について」でも述べたが、ゲノムの生産過程ではなく、ゲノムそのものに着目する必要がある。同じ化学的構造を持つゲノムであれば、同じ働きをするはずだ。

 作成されるゲノムを選択するには、選択肢のそれぞれを評価をする必要がある。評価対象はゲノム編集で作成されるゲノムだけではなく、自然交配を採択するならそれで産まれうる全てのゲノムについても評価するべきだ。ただしゲノムと形質の関係は未解明な部分も多いので評価は難しいし、エヴィデンスが集まらないので研究も進まない。現段階では重大な遺伝病についてのエヴィデンスが主であり、これを避ける用途くらいしか期待できないだろう。

 ゲノム編集を含む人工的な出生は平等の面からは好ましい。ジェンダーや遺伝病などの要素によって、子孫を残す可能性も、子孫の形質も制限されるべきではないだろう。


・子孫の安全性について

 ゲノム編集は直接出生する子だけではなく、その子孫にも影響を及ぼす可能性がある。プラスの面で言えば、ゲノム編集で遺伝病を消しておけば、その子孫に同じ遺伝病が発現する確率は低くなるだろう。マイナスの面で言えば、子孫の代で他のゲノムとの組み合わせにより新しい遺伝病が発現する可能性がある。出生ごとにゲノムの評価と編集ができればこの問題は回避できる。しかし、エヴィデンスのない新種の遺伝病を作り出してしまった場合はこの評価と編集が難しい。


・多様性について

 多様性があると病気などで全滅するリスクを回避しやすいし、適材適所で色々な仕事に割り当てることができる。しかし、多様性と平等の両立は難しい。形質の多様性があるということは、個人に向き不向きがあるということだ。これは職業選択の自由などを緩く制限することになるだろうし、その結果として貧富の差などのより大きな不平等に繋がる可能性もある。社会の利益を求めるなら多様性は大きい方がいいが、強い平等を求めるなら多様性は制限され、個人の利益を求める場合にも理想のゲノムは限られることになるだろう。


・人工子宮について

 人工子宮は利用した方がいいだろう。

 母体の子宮を利用して妊娠出産することは、母体に負担をかけ、子供にとっても危険だ。母体への負担は、単純に腹が重い以外にもホルモンバランスの変化や胎児への栄養供給などがあり、人間は難産がちなので出産にも危険が伴う。子供については母体の栄養状況や病気、それに伴う薬剤の摂取に加え、母体が事故にあう危険性や、羊膜破損など物理的要因による先天性四肢切断の危険があり、そして出産でもへその緒が絡まって窒息するなどの危険がある。

 ジェンダーや体質、手術などの影響で妊娠ができない場合にも対応できる。



 ここまでは主に物理的側面を主眼に置いて考えてきたが、社会的側面についても少し考える。


・血縁関係を中心とする社会構造の変化

 ゲノム編集では遺伝的な親を必要とせず、人工子宮では母体としての親を必要としない。よって、血縁関係を中心とする社会構造が変化することが考えられる。

 血縁関係を中心としない社会は過去にも存在したようだ。古代ギリシアのスパルタでは子供は親が育てるものではなく社会のものであり、7歳から軍隊の中で生活した。7歳までどうしていたかは知らないが。

 スパルタでは遺伝的な親は必要だったが、将来はそれも必要なくなる可能性が考えられる。出生が社会の総意によって決定され、特定の遺伝的関係を持たずに行われ、特定の親ではなく社会全体で養育するような社会だ。子供が特定の親の影響を受けないので、平等な教育という観点からは好ましいだろう。


・血縁関係と愛について

 血が繋がっていないと愛せない、自分で産まないと愛せないといった言説も聞いたことがある。そういう人も居るだろうが、そうでない人達も居る。実子ではあるが愛せなかった人や、養子縁組などで実子ではない子を愛した人も居るだろう。そして、親だけではなく子供がどう感じたかも考慮する必要がある。よって、これらは一概には言えないとするべきだろう。統計も社会規模でのエヴィデンスが必要になるので現実的ではないように思う。


・孕ませたい人、孕みたい人

 生中出しにも、妊娠出産にもロマンがある。それは分かる。しかし正直なところ、それ実利を無視してまで実現したいロマンか?と思う。

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