すれ違いのラブレター
君更津中央病院、国内有数の高度医療機関として知られ、
千葉県の救命医療を担う総合病院として機能している、
大学を同じ敷地内に併設しており、俺の親父はそこで教鞭を取っており、
実の母親を幼い頃に亡くした俺は、この病院の託児所に預けられていた。
当時の事を思い出すと胸が痛くなってしまう、
お祖母ちゃんによく我が儘を言って困らせたっけ……
幼少期の俺にこの病院は、遊び場みたいなものだった、
だけと今、目の前に広がる光景には驚きを隠せなかった、
最深部と思っていた病院の地下には隠された空間があり、
小学生の俺が例えるなら、プロ野球観戦で親父に連れて行って貰った
神宮球場位のスペースが存在しており、一般病棟とは明らかに違う雰囲気で、
職員が忙しそうに行き交っていた、何故か異質に見えた理由は職員の制服だ、
医療関係の制服は普通、白が多いが、ここでは黒衣を皆、着用していた。
「宣人君、驚くのも無理はない、ここが我が君更津中央病院、
本当の指揮系統が置かれている場所だ……」
予想外の光景にあんぐりと口を開けたままの俺に、おじさんは説明してくれた。
「遡ること、第二次世界大戦中期、大日本帝国が劣勢なのは
誰の目にも明らかだった、当時の軍司令部は、この南房総を本土最終の
最重要防衛ラインと考えていたんだ、宣人くんも第一海堡は知っているだろう」
第一海堡、俺の住む場所から一番近い富津岬の沖合に位置する
戦時中に作られた要塞島だ、小学校の遠足で見学に行ったことがある。
「戦争を知らない我々には想像もつかない発想だが、
当時の軍部は、この日本の国土全てを浮沈空母として、
要塞化を本気で考えていたんだ、そして今、君が見ている光景も、
その大日本帝国軍国主義の亡霊なんだよ……」
「当時の日本は最後の一兵卒になっても、敵に徹底抗戦という教えだった、
この地下施設も軍首脳部や政府要人から、守る為の巨大防空壕だったそうだ、
軍部と太いパイプを持っていた病院創業者、金田武雄が立案した、
現在は秘密裏に入院対応しなければいけない特別患者の病棟なんだ……」
柚希が特別患者だって? 確かにクロスジェンダーは希有な症例かもしれない、
だけど親父は検査の為、柚希の母親の許可を取ってから入院させると
約束してくれた筈だ、電話でも確かにそう言っていたのを俺は
こっそり聞いてここに来たんだ。
「臼井のおじさん…… 柚希はそんなに悪いとこがあるの?」
俺は怖くなって思わず、おじさんに確かめてしまった……
「宣人君、まず安心して欲しい、二宮柚希君はいたって健康だ……」
その言葉を聞いて、思わず安堵の胸をなで下ろした、
「だけど……」
臼井のおじさんがまた険しい表情に変わる、
「問題は心なんだ……
柚希君がクロスジェンダーなのはお父さんから聞いているよね?」
「はい、二つの性別を行き来してしまうんですよね、柚希は」
あのお団子取りの夜、親父から説明された事を思い出す、
「そうだ、まだまだその症例については未知な部分も多く、
柚希君のケースは発症してから日も浅い、君のお父さんが在籍する
大学とも連携を取って、プロジェクトチームを組んで対応中だ」
おじさんの言葉を聞いて、まるでモルモットみたいに
検査される柚希の光景が脳裏に浮かんだ……
「おじさん、柚希は実験動物みたいに弄くり廻されているんですか……」
「勘違いして貰っては困る、柚希君の件はプライバシーに考慮して、
対応しているつもりだ、勿論、親御さんの了解も承諾済みだから、
安心して欲しい、なあ、お父さんやおじさんを信用してくれ」
「良かった、柚希は虐められてるんじゃないんだ」
「当たり前だろ、デリケートな問題だからこそ、マスコミや
プライバシーに考慮して、この特別病棟を選んだんだからな!」
「マスコミって 何ですか?」
マスコミってTVや雑誌の事か、でも柚希はただの女子小学生だぞ。
「君のお父さん、誠治からは本当に何も聞かされていないんだな……
柚希君の性別が変化して男の子達を懲らしめた件があったよな、
あの場面を見かけた人がいて、警察や消防に通報を入れたんだ、
それが地域一帯で噂になって、間の悪いことに立ちの悪いゴシップ誌に
嗅ぎつけられてしまったんだ……」
そんなことがあったのか……
だからマスコミから隔離する必要があり、この特別病棟に柚希は居るんだ。
「柚希に会わせてください!」
あの夜以来、顔を見ていない、柚希に逢いたい!
俺の初恋の女の子、困らせた時に俺だけに見せてくれる
眉の微妙な角度を思い浮かべ、何だか胸が締め付けられた……
「……」
おじさんは黙ったまま、頭の上に両手を組み、しばらく思案していた。
「ついて来たまえ……」
重い腰を上げたおじさんの後に続く、廊下で職員とすれ違うが、
皆、無言で会釈だけ返していく、なにやら特殊な空間なのが分かる。
長い廊下を抜けると、ナースステーションがあり、
そこの入り口でも機械でID認証を済ませた、
奥の回廊に柚希の病室があるようだが当然 特別病棟なので名前の表示も無い。
「柚希、入るよ!」
ノックももどかしくブルーの引き戸を開ける、
おじさんが入り口の防犯マットのセキュリティーを同時に解除する、
これはナースステーションでモニタリングされており、
来客を知らせる意味もあるが、患者の脱走防止という側面もある機具だ。
六畳位のスペースで個室ベットの部屋だ、
分厚い仕切りカーテンがあり、ベットに居るはずの柚希の顔は見えない、
「柚希?」
カーテンを左手で持ち上げ、室内中央に分け入った……
柚希はベットに半身起こして、窓の外を見つめていた、
腕には複数のコードのような物を付けられている、
彼女の細いうなじが妙に白く感じてしまった、
俺の問いかけに、ゆっくりとこちらを振り返る。
良かった! どこも変わっていない、俺の大好きな柚希のままだ……
だけど何かが違う……
俺に向かって訝しそうに彼女が呟いた……
「あなた、誰なの?」
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