木綿のハンカチーフ

「柚希、聞こえているなら答えてくれ!」

 柚希は絶対に中にいるはずだ、それには何故だか確証が持てる、

 しかし、彼女が無事かどうかは分からない……

 これだけ全身でドアに体当たりを繰り返し、呼びかけ続けても答えは無い、

 ふいに最悪の情景が頭をよぎるが、慌ててそれを打ち消した。


「柚希、ごめんな、お前の嘘に気付けなくて……

 あのスパリゾートの医務室で話してくれたよな、

 性別の入れ替わりをコントロール出来るようになったって、

 そしてもう一つ、お前が俺を避けていた事、

 今頃、気付くなんて俺、馬鹿だよな……」


 そうだ、柚希は俺を心配させまいと、嘘をついていたんだ、

 クロスジェンダーの件は、俺が沙織ちゃんとして潜入調査した時、

 ダンス部の練習で突然、倒れてしまったり、

 その後の萌衣ちゃんの話からでも推測すべきだったんだ、

 柚希の症状は子供の頃よりも、悪化していたって事を……


 確かに子供の頃から、柚希は俺にだけではなく、天音、お麻理、

 みんなに気を遣う性分だった……

 セルロイドの人形を思わせるような儚い横顔、

 俺は柚希を困らせるのが得意だった……

 好きな子に意地悪するのは、思春期前期の通過儀礼かもしれない、


 追い打ちを掛けるように、さらに俺を切なくさせたのは、

 スパリゾートで再会出来た後も、柚希は俺に殆ど接触してこなかった、

 その時、俺は萌衣ちゃんの問題に掛かりっきりで、

 あまり気に留めなかったが、だけど今ならその意味が分かる、

 突然、性別が入れ替わってしまうことを恐れて俺を避けていたんだ。



「柚希、お前ともっと話したかった……

 何故、俺の前から急にいなくなってしまったんだ、

 俺は本当にお前の事が……」


 俺のお嫁さんになってください! 

 あのお団子取りの夜、あらん限りの想いを込めて叫んだ言葉、

 もう一度、あの夜をリプレイ出来たら、何故だか全てが巻き戻る気がした……


 固く閉ざされたドアが固い岩戸に見えた……

 天岩戸神話では太陽を司る天照大御神が、

 洞窟にお隠れになり、世界中が暗闇に包まれてしまった……

 子供の頃、供えられた天照大御神のお札の意味が分からなかった俺に、

 お祖母ちゃんが教えてくれた話を思い出していた。

 このドアは天岩戸だ、ここを開けて本当の柚希を助け出すんだ!


 もう一度、あの日をやり直そう、

 そう決意した俺は静かに語りかけた……


「柚希、宣人お兄ちゃんだよ、俺と暮らしてくれないか……

 お前が元に戻るまで一緒に居たいんだ……」

 人格が入れ替わったみたいに、豹変してしまった柚希、

 それを止められたのは希望の言葉だった、

 これは賭けだ、満月の夜と同じ空間を作り出すんだ、


 その時、今まで物音一つしなかったドア越しに気配を感じた、

 天岩戸が開いた瞬間だった!


「……宣人お兄ちゃん」

 ドア越しに微かな声が聞こえる、

 この声は、柚希に間違いない、無事で良かった!

 だが、その安心は束の間だった……

 次の言葉を聞いて俺は凍り付いた。


「もう遅いんだよ…… 

 今の私はお兄ちゃんの知っている柚希じゃない、

 お願いだから、ここを出て行って!!」

 確かに彼女の声だが、絞り出すようなトーンが揺らぎを感じさせる、


「大好きなお兄ちゃんを傷付けさせないで、お願い……」


 優しい嘘をついてまで、守りたかった物は何だったんだろう、

 ねえ、柚希、教えてくれないか?


 柚希と俺の悲しい戦いの始まりだった……




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る