私の彼は左きき
「柚希、いるんだろ! 返事をしてくれ」
物が散乱したリビングに俺の叫びが空しく響いた……
一体、柚希に何が起こったんだ?
部屋の有様を見て、最悪の想像が俺の脳裏をかすめる。
既に遅かったのかもしれない……
自責の念がこみ上げ、口腔に血のような味が広がる。
四肢から力が抜け、その場にへたり込みそうになるのを
かろうじて堪え、気力を振り絞り柚希の部屋に向かった。
「痛っ!」
柚希の部屋に向かう途中で、俺は足の裏に鋭い痛みを感じた、
不注意にも割れたガラスを踏み抜いてしまったようだ……
痛みを堪えながら、刺さった鋭利なガラスの破片を抜き去る、
「これは?」
柚希の部屋にあった写真立てが足元に落ちていた、
バラバラになったフレームの木片に囲まれるように
柚希が母親と並んで写っていた、
柚希と再会した日、部屋で見かけた写真だ、
割れたガラス片に、俺の赤い血が滴り、
写真の柚希が歪んだ表情に見えた……
そういえば、柚希の母親はどうしたんだ?
確か、夜勤の仕事だったはずだ、家中がこの有様で、
何者かに危害を加えられていないのだろうか?
足の痛みも忘れるほど、俺は気が動転していた、
一歩、また一歩と柚希の部屋が近くなる、
やっと階段の踊り場に到着し、ドアの前で中の様子を伺う、
室内から物音ひとつしない事が、更に俺の不安をかき立てる……
ゆっくりとドアノブに手を置き、開閉する、
が、室内から鍵が掛けられていた。
ドクン!!
突然、雷に打たれたみたいに全身が脈動し、
頭に血が逆流するのが分かった、
次の瞬間、俺は自分でも思いがけない行動に出た。
全体重を掛けて、目の前のドアに体当たりを繰り返した、
「柚希、開けてくれ! 聞こえているんだろ!」
頑丈なドアはびくともしない、
だけど俺は体当たりをやめない!!
何故なら、ドアの鍵を掛けてあると言うことは、
中に絶対、柚希はいるはずだ……
ドアに体当たりするたび、肩に激痛が走る、
それでも構わず、俺は繰り返す、無駄かもしれないが、
これが俺の贖罪なんだ、柚希の痛みに比べたら
俺の身体的な痛みなんて、たいした問題じゃない。
何故か、俺は薄笑いを浮かべていた、
肩の痛みだけではなく、足の裏も鈍く疼き出してきたが、
場違いな笑みがこぼれるのは、脳内麻薬が出ていたのかもしれない、
大丈夫だ、腕の一本でもくれてやる、柚希の為なら!!
お前がいなけりゃ世界は暗黒に包まれたみたいだから……
痛みで感覚の無くなってきた右腕、
じゃあ、次は反対側、左腕だ!
身体の向きを入れ替え、ドアへの体当たりを再開しようとする、
「柚希、覚えているか?
俺がぎっちょだってからかわれ、大げんかした時の事……」
古びたタイムカプセルのように記憶のフタが開き始めた、
俺は小さい頃から左利きだ、だが、生まれつきではない、
もともと右利きで生まれたが、未熟児で難産だった俺は
利き手を骨折したまま、気付かれず出産されたそうだ……
何ともひどい話だが、俺の右腕は自然治癒してしまい、
曲がったまま、真っ直ぐ伸ばせない状態で固まってしまったんだ。
そして右手の使えない赤ん坊の俺は強制的に左腕を使うようになった。
今でこそ、左利きは珍しくないが、俺が子供の頃は
周りからからかわれ、時にはいじめの対象にもなったんだ、
この左利きが俺は本当にコンプレックスだった……
右利きには分からないと思うが、
シャツの胸ポケット一つ取っても、左胸に付いているのは
社会全体が右利き仕様だからだ、
はさみもそう、習字の書き順もそう、左利きには不便に出来ている。
あの暑い夏の日もそうだった……
俺は些細な事で同じクラスの男子と喧嘩になった、
体育の時間、五十メートル走の練習があった、
俺はクラスで一番、足が速く、その日もトップだった……
何本か繰り返しても俺の順位は一位で、
それを快く思わない男子の一部が、俺に向かってはやし立てた。
「ぎっちょ、ぎっちょ、その上、おかしい走り方!
左ぎっっちょの腕まがり!」
俺はその言葉に真っ赤になって激高してしまった、
侮蔑的なぎっちょと言われた上に、俺の右腕は骨折の後遺症で
真っ直ぐには出来ない、大きく湾曲していたんだ。
そのまま、俺は相手の男子たちに掴みかかってしまった……
喧嘩は勝っても負けても、胸にしこりのような痛みが残る、
放課後、俺は真っ直ぐ家に帰りたくなかった……
当然、父親に連絡は行き、喧嘩の件で叱られてしまう筈だ、
あの村一番の柿の木から見下ろす位置に、俺達の通学路
川沿いの道が延びる、秋には草が伸びて背丈ぐらいになるが、
夏の今は近所の人が草刈りをしてくれているので、
土手のコンクリート周りはキレイに整地されている。
俺は途中の土手に腰掛け、川面をぼんやり眺めていた、
夏の陽射しは夕方でもまだ強く、
オレンジがキラキラと水面に反射していた、
その眩しさに思わず目を細めると、急に視界が暗転した。
「何、なに??」
目の前が白いカーテンで遮られた気がした、
「えへへ、びっくりしたでしょ!」
振り返ると、白いスカートの裾を両手で摘まんだ柚希が立っていた、
白いカーテンだと思ったのは、何と柚希のスカートだった……
俺は柚希のスカートを頭にかぶせられていたんだ。
「お、お前! いきなり何すんだ!」
あまりの事に真っ赤になる、何故ならチラリと見えてしまったからだ、
柚希の白いワンピースのスカートの中身が……
同じ白の布地にドキマキしてしまう。
「だってぇ、宣人お兄ちゃんが死んじゃいそうな顔してたから、
柚希、元気になって欲しかったんだ!」
激しく動揺する俺に構わず、無邪気に笑う柚希、
そして俺にこう言った……
「柚希ね、左利きなお兄ちゃんが大好きなんだ!
その理由はね……」
そして柚希が俺の左手に、彼女の右手を重ね、
ぎゅっ、と握りしめてきた。
「こうすると宣人お兄ちゃんと柚希の利き腕同士でしょ!」
そうだ、俺の左手と柚希の右手、お互いの利き腕で手を繋げる、
「ね、もっと仲良しになれたみたい……」
ねえ柚希、君があの日、そう言ってくれたから、
僕は左利きも悪くないって、初めて思えたんだよ……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます