波の数だけ抱きしめて

「幸せは波に乗ってくる」

 亡くなったお父さんが教えてくれた言葉だそうだ、

 泳ぎを覚える前にサーフィンを覚えたお父さんらしい……

 萌衣ちゃんと二人っきりの上映会で、女神像に映し出された

 日焼けした優しい笑顔が思い出される。


 波は不思議だ、一瞬たりとも同じ形はしていない、

 穏やかな表情を見せる時もあれば、獰猛な獣の様に容赦なく、

 人間に襲いかかってくる時もある……

 俺もウインド初心者の頃、兄貴に連れて行かれた外房の海で、

 沖に出たいのに、ダンパーのある手前の波に巻かれて

 手強い波の洗礼を受けた事がある……

 まるで巨大洗濯機のように上下が解らない位、ぐるぐるに巻かれ、

 固いマストが頭を直撃して、あわや気絶寸前になったんだ。

 そんな俺とは対照的に、軽々と手前の波越えをして、

 アウトサイドで波乗りをする兄貴を茫然と眺めていた、

 初めて海が怖いと感じたんだ……


 砂浜にへたり込み、すっかり意気消沈の俺に兄貴が声を掛けてくれた、


「宣人、悔しいか? 何も出来ない自分に腹が立つだろう、

 今日の気持ちを絶対に忘れるな……」


「兄貴、俺……」

 不覚にも俺はボロボロと涙をこぼしていた、

 兄貴の言うとおり、悔しい気持ち、そして海への恐怖、

 色々な感情がない交ぜになっていたんだ。


「だけど、波に対して怖いと思うのは恥ずかしい事じゃない、

 これからお前がどんなに上達しても、海に対して畏敬の念を忘れるな……」

 その時は兄貴の言っている意味が良く理解出来なかった、

 でも今なら分かる、萌衣ちゃんのお父さんの言葉の意味も、

 人生は波に似ている、良い一日もあれば駄目な一日もある、

 苦しさに押しつぶされそうになり、全てを投げ出しそうになる日も、

 だけど良い波を待って、前を見据えるんだ……

 必ず幸運の波はやってくる、その場所にいる事が大切なんだ、

 キツい一発を喰らっても、喰らっても……

 幸せの波に乗って、最高のボトムターンを決めてやるんだ!


「萌衣ちゃん、最高の言葉を教えてくれてありがとう……」

 その大切な言葉を思い出しながら、気持ちを切り替えた俺が鏡に映る、

 これも彼女に教えて貰ったウィッグテープの調子も良いみたいだ、

 左右に頭を振っても、ポニテの後ろ髪が激しく揺れるが、

 ウィッグがずれる気配は全く無い、さあ準備完了だ!

 鏡台に置いた時計に視線を落とす、集合時間が迫っていた、

 初日から遅れたら大変だ、急いで部屋を後にする。


 集合場所はお寺の本堂だ、急いで駆けつけると殆どの部員が集合していた、


「沙織ちゃん、おっそーい、早く早く!」

 香菜ちゃんが手招きして、俺を列に並ばせる。


「おはようございます、頭の傷は痛みますか?」

 心配そうに紗菜ちゃんが脇から声を掛けてきた。


「大丈夫、大丈夫、私こうみえても頑丈だから……」

 安心したのか、紗菜ちゃんの表情に笑みが浮かぶ。


「沙織、ちゃん…… おはようございます」

 花井姉妹に挟まれた俺に、遠慮がちに声が掛かった、

 弥生ちゃんだ、昨日の散歩を思い出す、彼女の前だと宣人に戻れるんだ、

 俺が女装している事を知っている数少ない一人だ。

 だけど他の部員がいる場所では、同じ行動は出来ない、

 弥生ちゃん、ゴメンね…… と心の中で詫びる、

 そんな俺の気持ちを知ってか、他の部員に気付かれないように、

 弥生ちゃんがアイコンタクトをしてくれた、

 俺の胸に暖かな物がこみ上げてきたんだ……


「弥生ちゃん……」

 心の中で彼女の名前を呼んだ。


 胸が早鐘のようにリズムを刻む…… んっ?

 それにしても激しすぎるぞ、俺の胸!


「わーい! 沙織お姉ちゃんのおっきな胸にタッチ」

 後ろに並んだ香菜ちゃんが、両手を回して激しく俺の胸にタッチしているぅ!

 それもギターのタッピング奏法のように、指の動きが速すぎ!

 香菜ちゃん! お前はエディか? 超絶技巧! 

 どこでそんな技を覚えたんだ?


「こら!香菜ぁ!!」

 当然、紗菜ちゃんのカミナリが落ちる。

 慌てて逃げ出す香菜ちゃん、それを追いかける紗菜ちゃん、


「捕まんないよ、紗菜ちゃん、ここまでおいで!」

 入り口の方まで逃げた香菜ちゃんが、からかうように叫ぶ。


「待ちなさい! 紗菜」

 本気で怒った紗菜ちゃんが後を追うが、すばしっこい香菜ちゃんに追いつかない。


 廊下の外に逃げようとした香菜ちゃんが、急に立ち止まった……


「あ……」

 そのまま、固まってしまう香菜ちゃん。


 本堂の入り口を塞ぐように男性が立っていた、

 その男性の顔を見上げた花井姉妹が、まるで蛇女メデューサに出会ったように、

 石化したかのごとく完全に固まった……

 その男性は二人の父親でもあり、天照寺十八代目住職、

 今回の優勝請負人こと花井和尚だった……

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