あの唄はもう唄わないのですか?

翌日、二年生の教室に続く廊下で、八代先生に声を掛けられた。


「猪野、どうだ順調に進んでいるか?」

先生はさよりちゃんのお祖父さんの件は知らない、


「実は……」

俺はこれまでの経過を説明した、八代先生のサングラス越しに見える

眉が大きく歪むのが見て取れた。


「よりによってPTA会長のお孫さんが最後の一人なんて……

猪野、それは無理過ぎるぞ、悪いことは言わない、

他を当たった方が得策だと思う」

八代先生がこれほど言うには何か理由がありそうだが、


「他の誰かじゃ駄目です、 本多さんじゃなきゃ、

歴史研究会のメンバーは一つにまとまらないんです!」

俺の勢いに押されて八代先生は、しぶしぶ承諾してくれた、

もう少し、教員側からPTA会長について調べてくれる事も

約束してくれた。


教室に入ると、お麻理が心配そうに追いかけてきた、

「宣人、何だか顔色が悪いよ、ちゃんと食べてる?」

確かに、ここ数日寝不足な上に朝食も食べる気がしない……

具無理であの肖像画を見て以来、何かに取り憑かれている。


「大丈夫、だい……」

お麻理に向けて作り笑いを浮かべようとした時、

急に身体に力が入らなくなってしまった、

次の瞬間、視界がブラックアウトした……


「宣人っ!」

遠くでお麻理が俺の名を叫ぶのが聞こえた。


瞼が重い…… 何だか眩しくて目が開けられない、

無音だった世界に、急に音が溢れてくる、

金属バットの打球音、大きな歓声、そうか、グラウンドで

誰かが野球をやっている音だ、

眩しく感じたのは白いカーテン越しに強い日差しが、

差し込んでいたせいだ。


ここは何処だ? 力が入らない上半身を何とか起こそうとする。

俺はベットに寝かされている事に気が付いた……


何だか、肘のあたりに重みを感じて起き上がれない、

何とか首を向けると、お麻理が俺の身体を押さえていた、

お麻理の上半身の重みと、その身体の温もりが伝わってくる。


「宣人、安静にしてなきゃ駄目……」

お麻理が優しく微笑んでくれた。


「ハンガーノックだって保険室の先生が言ってたよ」

俺が倒れた訳を説明してくれた、簡単に言うとガス欠みたいなもんだ、

人間はエネルギー切れになると、結構こうなるらしい……


お麻理がゼリー状の栄養補助食を俺に飲ませてくれる。


「ちゃんと食べて安静にすればすぐに直るって」

学級委員のお麻理が付き添ってくれたんだろう……


「天音ちゃんの事で大変なのは分かるけど、あんまり無理しちゃ

駄目だよ、宣人に何かあったら私、困るから……」

俺に食べさせる為か、お麻理の顔と距離が近い……

吐息まで感じられる近さだ、

コンタクトにした彼女は、以前よりも可愛く感じる。


「俺に何かあったら困るって?」


「えっ、私、そんな事言った? 私が困るって言うのは、

幼なじみとして心配して上げてるだけなんだから……」

お麻理は耳まで真っ赤になりながら弁解した。


「それに宣人に何かあったら心配する人は多いでしょ……」

そっと、空いている手の指先で俺の頬を撫でてくれる。


「あんまり無理しないって約束してくれる?」

お麻理が頬を撫でる指先を止めて、俺の前に差し出してきた、


「指切りしよっ!」


「そんな子供みたいな事出来るかよ……」


「まだ、大きな子供でしょ、宣人は」


「それに子供の頃、良く柿の木の下で約束したじゃない……」


「分かったよ……」

お麻理には敵わない、おれは指を差し出した。


「ゆーびきり!げんまん!」

静かな保健室に俺達の声が響き渡った……

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