運命の相手

 運命が本当にあるのなら、きっと彼女は彼との出会いは神様が生まれる前から決めてくれた相手なのだと思っていた――。


 鍵穴に差し込んだ鍵には、少し薄汚れてしまった茶色をした可愛い牛のキーホルダーが付いていた。


「上がってください」


 彼女にそう言われ、男は右の口角を上げて綺麗に揃っている白い歯を見せた。


「お邪魔しまーす」


 彼女が男を先導するように家の中に入った。薄暗い玄関を彼女が明かりを付けて照らした。

 男は玄関の扉を閉めると鍵を掛け、不似合いにも思える高いヒールを脱いでいる彼女のうなじを見つめていた。


「どうぞ、こちらに」


 彼女はそう言ってフローリングの廊下をまっすぐ歩き始めた。男は二階に通じている階段をチラ見して彼女の後に続いて廊下を歩き、扉の前まで来た。

 男は彼女の身体を押さえつけるように抱き締め


「ねぇ、本当に今日泊まって良いの?」


 っと耳元で囁いた。


「はい、今日は誰もいないので大丈夫ですよ」


 男は彼女の頬に口づけを始めたが、彼女は表情一つ変えず、そして艶めいた声一つ出さずに男の顔を手で払い


「ここがリビングです」


 っと口にして扉を開けた。扉を開けた途端、男の嗅覚がツンとした不快感を抱かせる匂いを感知した。以前嗅いだことのあるその匂いは獣の匂いだった。


 男は彼女を抱擁している力を緩め、漆黒のリビングの中をじっと見つめたが、彼女は男の腕をすり抜けりリビングへ歩き出した。


「ちょっと待ってよ! これ何の匂い? 動物でも飼ってるの?」


 男の言葉で彼女は振り向いた。その目は憎悪に満ち溢れ、どうしてか解らないが、零れ落ちそうになっている瞳に溜まり続ける涙が悲しみを抱いているように思わせた。


「彼は動物じゃない! 彼は私の運命の相手!」


 そう男に罵声を浴びせた彼女は、呼吸を整えて瞳から溢れ出た涙を拭うことなくリビングの闇に話しかけた。 


「ただいま、お腹空いたでしょ? 今日のご飯、食べて良いよ――」


 男はリビングの暗闇に紛れた何かの荒い呼吸が耳に入り、床に滴り落ちるベチョリとした音に身を震わせながら急いで玄関まで走り出した。


「何だよ! 何なんだよ!」


 男が玄関まで走っている間にドタバタとした音が聞こえ、それは確実に自分の方へ迫っていると思った。


「うわぁぁぁぁ!」


 玄関まで辿り着いた男は閉めた鍵を回そうとした瞬間にゴツンっとした音と同時に、後頭部に温かいものが流れているのが解った。

 ゆっくりと手で触れ、ゆっくりと視覚で捉えれる位置で右手に付いていたのは黒が少し混じった赤い血だった。そして、背後から彼女ではない女性の声が聞こえた。


「あの子が生きるためなの。謝罪はしないわ。感謝します。あの子の餌になってくれるのだもの」


 振り向いた男の目に入ったのは、ほうれい線が刻まれた女性とその後ろには彼女と――彼女の隣には――


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ――」


「ああああああああああ――」


 町外れの一軒家に反響した断末魔の悲鳴とそれをかき消す、生きながらえることと愛する者たちの無償の愛に歓喜した獣の声は他の誰かに届くことはなかった――。

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