キスした

赤城 良

キスした

 冬の雪の降らない町の明け方。走っているせいで芳しい彼女を鼻で感じた。吐く息は白くて儚い。国道にあるバス停まで、もうすぐ着いてしまう。そしたら二人寂しくなる。寂しいと思う僕と同じ気持ちであるか彼女本人しか知らない。神も仏も信じてないクセに、そんな期待をしてしまう。


「早くしないと間に合わないよ!」


 急かす彼女にリュックサック一つ背負った僕は、その手の温もりを忘れないように強く握っていた。リュックの中には彼女に渡そうと思っている大切な二人の思い出の品が入ってる。時間がないのでゆっくり話す機会がなかった。ここ数日、引っ越しで向こうの新しい住処に行っていたからだ。

 初めて会った中学時代から好きだった――かもしれない。彼女はそんなことを話すなんてないし僕からもないからだ。でも、ずっと傍にはいたし、二人で過ごした思い出はたくさんある。二人の間に恋心なんてなかったと思う。


「何してるの? ちゃんと走ってよ!」


 彼女との思い出の走馬灯が遠い夢の中にいるような気分にさせた。足がもたつく。最近運動してないからかも。彼女とこのまま離れてしまうのが嫌なのかもしれない。だから足が心と連動してない。急ごうとしてる気持ちはあるもん。

 それでも好きなんて言葉を言ってしまったら、友達ではなくなってしまう。彼女には今は彼氏がいないけど、何人かと付き合っては別れてた。今更、僕が告白してどうなるっていうんだろう。


 今日は住み慣れた町から遠く離れた場所に行くのに、通り過ぎていくバス停までの抜け道は哀愁を漂わせてしまう。この道で中学、高校を彼女と登下校した。もうここを通ることがなくなるのが寂しいと感じさせるのかな?

 最初に言ったことを撤回するつもりはない。きっと僕は彼女に会えなくなるのが寂しいのだろうね。そうだ。そうに決まってる。

 気にしない日などなかった。彼女から相談されるのが嬉しかった。めんどくさいと思ったことは一度も――ないわけじゃない。彼氏の話をされるのが一番苦しかった。そんな話を僕とするなよ。


「良かった! 間に合うー! ほら! チャチャっと走る!」


 天真爛漫な彼女は男女問わず好印象だ。別に美人ってわけでもないが、ブスっていうカテゴリーでもない。至って普通だ。僕に話しかける時に見せる横顔は美しい。それは僕の主観であるので、一概にみんなそう思うとは限らない。

 人に気を遣って自分のことのように一所懸命になってくれる。そんな彼女は正義の味方みたいだ。僕の憧れと言っても良い。だから好きだよ。口が裂けても言えないけどね。


 また会えるのかなって思う。叶わないのは分かってる。バスに乗ってしまえば僕はこの町からいなくなって、もう戻ってくることがないからだ。突然の転勤なんて信じたくなかったよ。

 彼女に話した時の顔。僕はどう思えば良かったか答えが見つからない。陰りが顔に出ていた。それでも彼女は言ったんだよ。


「仕方ないね! でも一生会えないわけじゃないから! 同窓会とかで会うのかな? その時は大人だね」


 聞きたくなかったよ。それなら行かないでとかずっと好きでしたみたいな青春の言葉が聞きたかった。そんな願いなんて叶うはずないのにね。意識してたんだ。彼女のことをずっと。

 隣にいるだけで幸せだなんて思っていなければ良かった。今そう思ったよ。いや、ずっとそう思ってたんだね。バス停にバスはまだ来てなくて、二人の女性がバスを待っていた。僕も彼女も走ったせいで息が荒い。


「はぁーはぁー。まだ来てなくて良かったー! ねぇー? どうして何も言ってくれないの?」


 何を言えば良いのか自分でも分からないよ。言わないんじゃないんだよ。言えないだけだよ。透き通った彼女の声が伝えようとしていることが分からない。


「何を言えば良いの? さようなら? 絶対また会おう……かな?」


 彼女はほっぺたを膨らませる。バカみたいに可愛いだろ。そんな顔しないでよ。僕に何て言って欲しいんだい?


「……そんな言葉聞きたくないよ……もっと大事な言葉があるんじゃないの?」


 大事な言葉か……。なんだろう? 考えても出てこないや。一つだけしか思いつかないけど、それを言って良いのかな? 勇気を出す時があるなら今しかないぞ。


「ありがとう……いつも傍にいてくれて」


 こんな言葉でしか自分を表現できない僕を許してくれよ。泣きそうな顔するなよ。そんな顔されたら、こっちまで目に涙が溢れそうだよ。僕はリュックに入れておいた思い出の品を取り出した。


「これ!」


 彼女は薄汚れてしまったCDアルバムを見た。二人の思い出の曲が入ったアルバム。僕は彼女の手に握らせる。


「僕を忘れないで」


 バスがちょうどやってきた。お別れの時だね。これで良かった。語り合うこともなく、交わした会話らしい会話のない僕ら。それで良いんだよ。僕がバスに乗り込もうとすると彼女がコートの袖を掴んだ。振り返ると彼女は大粒の涙を流して泣いてた。

 それを見たら僕は堪らなくなって彼女を抱きしめた。彼女も僕に腕を回してきた。バスの運転手さんが僕がチケットを出すのを待ってる。僕は泣きたい衝動を押し殺して彼女から離れた。


「……忘れるわけ……ないでしょう……君は君……たった一人の君なんだもん」


 泣きながら言われたその言葉に返すセリフを考えた。良いセリフだと自画自賛できる。


「またね」


 バカだな僕は。でも、これで良いんだ。彼女は泣きながら笑ってる。可笑しいな。泣いてるのに笑うのってさ。僕は彼女が何か言おうとしたのを唇の動きで分かって背を向けた。走ってチケットを運転手さんに見せてバスに乗り込んだ。

 何も聞きたくなかった。バスに乗って窓側の席に座ると彼女はバス停で佇んでいるのが見えた。バスの扉が閉まった。僕に気付いた彼女は何か言ってるけど分からない。大声で言ってるわけじゃないんだと僕は分かった。

 バスが動き出すと彼女は大きく手を振っていた。僕が見えなくなるまでずっと手を振っていた。そして、スマホに連絡が来た。きっと彼女からだろう。


【今度会ったら言って欲しい】


【何を?】


【バカ】


 僕はそこで連絡を止めた。繋がり続けることができるだろうか? 便利な世の中になっても人は変わらない。

 

 僕は怖くないよと自分に言い聞かせる――。


 別れじゃない――。


 また会える――。


 僕は音楽を聴き始める――。


 彼女との思い出の曲を――。


 リピートして何度も聴いた――。


 僕は彼女が握ってくれた手を眺める――。


 できなかったことをした――。


 僕は手の平にキスした――。


 言えなかった言葉を誰にも聞こえない声で言った――。


「好きだよ」


 ってね――。

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