偽毛連盟

庵字

第1章 偽毛連盟出現

「ねえねえ、理真りま先輩に由宇ゆう先輩、ちょっと聞いて欲しい話があるんですけど」


 私、江嶋えじま由宇が管理人を務めるアパートの一室、恋愛作家であり私の親友でもある安堂あんどう理真のもとを、フリーライターの保志枝ほしえ琉香るかが訪れていた。

 彼女はさる人物の取材のため、はるばる東京からここ新潟に来県しているのだという。保志枝は過去に仕事を通じて理真と面識があり、今回も新潟に来るということで、こうして時間を作って理真のアパートを訪問したのだ。ちなみに理真のほうは作るまでもなく、たいていいつも大量の時間を保有している。職業柄というよりは、その作家の仕事が暇だからというのが理由なことは少々悲しいが。同様に、アパートの管理人でもある私も時間の保有量にかけては理真に引けを取らないので、こうして同席させてもらっているのだ。


「昨日、取材をさせてもらった人が、妙な出来事に遭遇したっていうんですよ」


 そこまで言うと保志枝は、熱いコーヒーを入れて出されたマグカップを両手で包み込み、ふうふう息を吹きかけて立ち上る湯気をとばした。


「妙な出来事って、なに?」


 ローテーブルを挟んで座る理真も、愛用のカップを手にして訊く。三人分のコーヒーを淹れてきた私は、理真の隣に腰を落ち着けることにして、フローリングに敷かれたホットカーペットの、そのさらに上に敷かれたかわいいラグに座った。私も聞く体勢を整えたことを確認すると、保志枝は、


「その人は、町の商店街で小さな商店を営んでいる男性なんですけれど、おかしなバイトを経験したそうなんですよ」

「おかしなバイト? どんな?」


 理真が訊き返すと、保志枝は、どこから話そうか思案するような顔をして、


「ええとですね、そのお店には、半月くらい前から、最近近くに越してきたっていう大学生が常連となって来ていまして、話好きなのか何なのか、妙に人なつっこくその人に話し掛けてくるそうなんです。それなものですから、その人も段々と親しく会話をするようになったそうで。で、つい先日、その大学生から、藪から棒にこんなことを言われたそうなんですよ。

『旦那、私のこの髪が偽物だったらなア』――」


 理真と私は同時に吹き出した。が、私のほうではすでにコーヒーを僅かに口に含んでしまっていたため、「ぷっ」という声だけでなく、含んでいたコーヒーも一緒に吹く羽目になってしまった。


「大丈夫ですかっ! 由宇先輩!」


 幸いにして、私がリバースしたコーヒーはテーブルの上にのみ留まって、かわいいラグを染みにせずに済んだようだ。保志枝が用意されていた布巾でテーブルを拭きにかかる。


「ちょっと、琉香ちゃん」数回むせてから私は、「いきなり何を言い出すの?」

「だって、私はその人から聞いた話を、次第漏らさず正確無比に伝えてるだけで……」

「まあまあ、由宇」と理真は笑みの残る顔のまま私の背中をさすり、「とにかく、琉香ちゃんの話を聞こうよ」


 私は了承した。彼女の話が終わるまでコーヒーには手を付けないほうがよさそうだ。私がカップをテーブルに置くと、保志枝は、


「で、ですね。大学生のその言葉を聞いたその人はびっくりしてしまって。何せ、その人の髪が実は、まさに〈偽物〉だったものですから」

「カツラだったってこと?」


 シリアスな表情で保志枝は頷いて、


「今回の出来事が起きたせいもあって、もうカツラは止めてしまったそうなんですけれど、そのときはまだ被っていたそうです。で、すわバレたのか? と思って動揺しながらも、冷静にその人は訊き返したそうです。

『そそそれはなななぜだい?』」


 口調がすでに冷静ではないのだが。


「ねえ、ちょっと、琉香ちゃん」

「理真先輩! まさか、もうこのおかしな出来事の謎を解き明かしてしまったんですかっ?」


 保志枝は両拳を握りしめて膝立ちになったが、


「そんなわけないでしょ」理真は彼女の興奮を収めて、「その取材をしたっていう人のこと、名前で呼ぶことにしない? 長い話になりそうだから、いつまでも『その人』っていう代名詞だと話しづらいだろうし、こっちも聞きづらいよ」


 いまの理真の言葉、「づら」に妙にアクセントが付いていたように思ったが、多分気のせいだろう。


「それもそうですね」ラグの上に座り直した保志枝は、「でも、ちょっと諸事情により、その人の本名は理真先輩とはいえ明かせないんですよ」

「それは構わないわよ。仮名でいいでしょ」

「ですね。じゃあ……仮に〈かつらさん〉としましょう」


 仮名のセレクトに明らかに悪意が籠もってるな。


「で、その桂さんが訊き返すと、大学生は、

『なぜって、これを見て下さい』

 と一枚のチラシを見せて寄越したんです。それは新聞に挟まってくる求人広告紙で、その隅っこのほうを指さして大学生は、

『これ、とんでもなく割のいいバイトだと思いませんか?』

 そう言われて桂さんも見てみると、そこにはこんな求人が載っていたそうです。

〈あなたの未来を応援する、ウィッグ専門店「Wigウィグ Leagueリーグ」では、ウィッグ着用モデルを募集しております。条件は三十代から六十代の男性で、健康で適度な薄毛であること。ただし頭髪は剃ったり故意に抜いたりはしておらず、自然に抜け落ちた状態であること。勤務時間は午前八時から十一時。週三日から四日勤務。日給三万円〉

 桂さんが広告に目を通し終えるのを待って、大学生は、

『旦那は応募資格がおありなんですぜ』

『なな何を言うんだきき君は』

 桂さんは思わず自分の頭を押さえたそうです。すると大学生は、いえいえ、と顔の前で手を振って、

『その〈被り物〉がよく似合ってるって言いたいんですよ。旦那なら、即採用間違いないと思うんだけどなア』

 その言葉を聞いた桂さんは思いました。正直、桂さん自身、カツラを着け続けることに疲れてきていて、もうカミングアウトしてしまおうかと悩んでいたところだったらしいんです。でも、あとで周囲の人に聞いたところによると、桂さんがカツラを被っていることはバレバレだったそうなんですけどね」

「そんなに甘い作りのカツラだったの?」


 理真が訊くと、


「いえいえ。カツラ自体は非常に精巧なものだったそうです。でも、近所の人の話によると、桂さん、ある日突然ふさふさになったそうで」


 初歩的すぎるミスだな。


「で、桂さんが、この広告をもらっていいか、と訊くと、『よござんすとも』と答えて大学生は帰っていきました。

 桂さんが経営しているお店の営業時間は午前十時から午後八時までで、お客のピークはお昼と夕方になってからで、正直午前中の客足はほとんどない状態なんだそうです。桂さんは独身ですが、時間入れ替え制でバイトを何人か雇っていて、午前中ならバイトだけに店を任せていても問題はないし、広告をよく読むと、面接日は明日に迫っていたそうです。週三、四日の午前中だけで三万円の日当を稼げるのであれば、あの大学生の言うとおり確かに割の良い仕事で、お店を立ち上げたときの借金がまだ結構残っていたという事情もあって、桂さんは面接を受けに行くことを決めました」


 ここまで聞いて、私と理真は顔を見合わせた。これは、間違いなく「あれ」ではないのか。まあ、保志枝の話を最後まで聞こう、と理真が目で訴えていたため、私も目で返事をして、意識を保志枝に戻した。


「面接会場は半時間程度バスに揺られて、さらにバス停から数分歩いた先にあった貸しビルのワンフロアで、そこが〈ウィグリーグ〉の事務所兼撮影スタジオでした。狭い事務室には男性がひとりだけおり、桂さんが面接を受けに来たことを伝えると、そばの椅子に座らされました。その男性は桂さんを、いえ、正確には、その頭頂部を見て、『これは』と呟きました。当然、カツラモデルの面接に行くのですから、桂さんはその日、カツラを着用せず、帽子も被っていませんでした。ちなみに出かける際、ご近所さんと道ですれ違って挨拶を交したそうです」


 そのご近所さんは、びっくりしたというか、どういうことだ? と思っただろうな。


「対面する椅子に座った男性は、〈ウィグリーグ〉広報部長の千田せんだと名乗り、名刺をくれました。桂さんのほうでも持参した履歴書を渡しましたが、千田部長はそれにはざっと目を通しただけで、すぐに桂さんの頭に視線を戻してしまいました。そして、広告に書かれていた採用条件での勤務が可能かと問われた桂さんが、『大丈夫です』と答えると、

『多すぎず少なすぎず、この状態を生かしたヘアスタイルにするのも決まり切らない頭の形。いや、これはうってつけの適任です』と千田部長は言い、『ピタリと資格が備わっている。こうまで備わったのは、ちょっと考えても思い出せないて』

 椅子から立ち上がり、一歩下がって桂さんの頭を眺め回すものですから、さすがの桂さんもきまりが悪くなりました。そして千田部長は、ギュッと桂さんの手を握りしめて、

『これなら何もためらうことはない。しかし、しかしですぞ。失礼ながら、わかりきったことでも、一応の用心はしなければなりませんでな』

 と懐から拡大鏡を取りだして、ためつすがめつ桂さんの頭、髪のない地肌の部分を観察し始めたのです。

『うん、剃ったり抜いたりしたものではないな』といって拡大鏡をしまい千田部長は、『万事不都合はないようだ。じつは以前に剃り上げた頭で二度、頭髪を引っこ抜いた頭でいちどだまされたことがあるので、十分警戒することになっとるのです』

 千田部長はようやく椅子に座り直すと、

『採用です。さっそく明日から来られますかな?』

 桂さんは突然の展開に戸惑いながらも、『もちろんです』と答えました。

『よろしい』千田部長は心底嬉しそうな笑みを浮かべて、『では、明日の朝八時にここへお越し下さい。衣装などは全てこちらで用意しますので、普段着のままで結構です。撮影は応募要項にも書いたとおり週三、四日を予定していますが、写真の出来具合などの不確定要素があるため、次の撮影日はその日の最後にお知らせします。ギャラはその日の撮影が終われば、その場でお支払いします。ただ、申し訳ないのですが、交通費だけは自腹でお願いします」

 自宅兼店舗からここまでのバス代は、往復でも千円に届きません。それで三万円の日当がもらえるのであれば、そのくらいの出費は何の問題もありません。桂さんは当然了承しました。

『ありがとうございます。ではきょうはこれでお引取りください。明日からよろしくお願いします』

 そう言って千田部長は桂さんを送り出しました」

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