音の鳴る庭

とんび(Tombee)

第1話

 私の祖父の家は、昔から続く古い民家だ。もうあまり現代では見ることのない茅葺の屋根や木目の浮き出た床。ミシミシと今にも底が抜けてしまうかのような畳。休みの日などに祖父の家に遊びに来た時は、私はよく畳で寝転がって、家をまたがる梁や家の骨格などを眺めていた。もっと幼い頃などは、その骨格がどこかで見た魚の骨に見えたり、かと思えばそこが水族館に見えたりと、なんとも不思議な空間だと思った。

 私はここが気に入っていたし、ここがどれだけ温かい場所だろうと来るたびに思っていた。私が記憶のある最初期の頃などは、祖父の家と私の家を行ったり来たりすることが多かった。たまに行く遊園地の硬質な遊具や来訪者を飲み込んでしまうかのような建物がひどく恐ろしく、あまりの恐怖に母親の手をずっと握っていたが、祖父の家に訪れればたちどころにそこは私のあるべき場所であり、私にとってはそこは天国だった。大の字になって寝転がって、服の外から触れる畳の繊維が私の肌を圧迫するのを感じると、まるで雲の上のように思えたし、天井にぶら下がっている電灯のオレンジ色の明かりが私を癒した。

 祖父の家には、もう一つ特徴があった。かつて茶人だった祖父の先祖は、庭に水琴窟を埋めた。お茶会ではここに水を流しそこから溢れる音を楽しんだらしい。私はこの水琴窟の音というのが心底好きだった。読者の皆は、雨が屋根の瓦に当たる音を心地良いと思ったことはないだろうか。あるいは、それに気持ちが落ち着くのを感じたことはないだろうか。その水琴窟が発する、金属的で甘美で、耳の鼓膜を跳ねるようなその可愛らしい音の粒はいつも私の心を和ませた。その音を聞くと、時間がゆっくり流れるように感じたし、上を行く雲でさえ穏やかに、ゆっくりと動いているように見えた。幼い私にとって水琴窟は、時間そのものだったと思う。


 祖父は、いつも縁側に座っていた。私が祖父の家に遊びに行く時、祖父はいつも小豆色の半纏を身につけていた。庭の見える縁側に腰掛け、じっとただ座っていた。まるで、時間が過ぎるのを全身で感じるようだった。両親が共働きでいつもせかせかと動き回っている両親の姿をよく知っている私には、そんな祖父の姿がたいそう不思議だった。

「おじいちゃん? いつも何してるの? 」

 祖父は私の方に目もくれないで、ただじっと庭を見つめていたのだった。そうして、長いようで短い沈黙の後、祖父はいつもこういうのだった。

「あの雲を見なさい。流れている雲を見るのが好きなんだ。」

 縁側に座ってじっと空を見た。突き抜けるような青い空を見ると、自分もそこに向かって飛んでいるような気がした。雲が流れているというのは一見するとわからなかった。どう見ても止まっているようにしか見えなかった。どれだけ見つめていても雲は同じ形のままその場で止まっていた。次第に私はじれったくなった。時間にすれば30秒程度のことだったろうが、私にとってはとてつもなく長い時間を過ごしていたような気がした。それが面倒になった私は、雲の周りの屋根だの電柱だのを見たりしていた。それも見尽くすと、とうとう私はしびれを切らして祖父に声をかけようとした。

 その時、ふとあることに気づいた。屋根と雲の隙間が少し開いていることに気づいたのだ。私は心底驚いた。雲が動いているのだ。雲は明らかに動き、隣の家の屋根から少し離れているのだ。そのことに気づいた時、私には本当に雲が動いているように見えた。雲はじっくりと時間をかけながら動いていた。ちょっとずつ。そして私はいくつもある雲の間の隙間さえ少しずつ開いたり閉じたりしている姿が見えた。ある雲はどんどん置いてきぼりを食らっていた。ある雲は、あんまりにも大きいから、他の雲を丸呑みにしていた。さっきまで、動くこともなければ姿を変えることもなかった雲は、その時の私にはとても色々な変化をしているように見えた。よく見れば、たった1つの雲さえ、その先っぽの方ではちょっとずつ変化しているらしかった。さっきまで綿菓子みたいに膨らんでいた部分は、今見るとしぼんでしまっていた。灰色だった部分は次の瞬間白色になった。


 天気が変化するのは私たちもよく知っている。雨が降り、曇りになり、時々晴れになる。雨の降らすのが雲だから、雲が動かなければ天気は変わらないだろう。ならば、天気が変わるということは、雲が動いている証拠のはずだ。でも、どれだけ見つめていても雲が動かなかったのは、今にして思えば、私の両親が共働きでいつもせかせかと動いている様子を見ていたから、雲のペースで動いているということがわからなかったからだと思う。私たちが動くようなスピードで雲は動いていないのだ。

 私はその時の感動がいつまでも忘れられなかった。幼い頃の私にとって、温かな陽光に包まれた祖父の家の縁側は発見の宝庫だったし、いつも胸踊る冒険の場所だった。何より、私にとって、誰もが入ることができて、それでいて私しか知らない秘密基地だったと思う。

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