光と影<3>

 番子がその異変に気づいたのは、兵の黒影撃退に協力しようと再び地に降り立った時だった。


「なんだと! 貴様ら、善人面もいいかげんにしろ!」


 国軍五、六人が、なにかを叫ぶ町人を取り囲んでいた。


「私はもう我慢がならない……」


 低く唸るような物言いなのに、町によく響き渡ってくる。叫んだのは顔の丸い、大柄な、眼鏡をかけた中年の男だった。


「おまえたち……よーく覚えておきなさい! 私たちにこんな生活をさせているのは、あの黒入道を作らせているのは、諸悪の根源は……王家だということを!」


 その者の後ろには、怯えた子どもたちがいた。その数、二十以上。


「王家の犬が……善人ぶって助けた気になって……二度と感謝しろだなんてぬかすんじゃない!」


 一喝。


 ビリビリと耳をしびれさせるようなその声は、静まり返る町に反響した。


 なにが起きているの?


 番子は静かに地に降り立ち、行く末を見る。するといつの間にか戻ってきていたトトが肩に留まり、「気がふれてしまった者なのでしょう」とささやく。


 そうなの……?


「いいかみんな! 黒入道から王家に守られているだなんて幻想は、捨てるんだ! 嘘なんだ! 信じるんじゃない。感謝なんか絶対にしてはいけない! その瞬間から、俺たちはずっとこの泥沼から抜け出せなくなる……! いいか、黒入道は、俺たちの持つ――」

「そこまでだ!! 王家に対する数々の不敬!! これはあるまじき行為である!! 連れて行け!!」


 男の出方を見ていた外衛騎士団長がついに遮って指示を飛ばし、兵士に連れて行かせる。


「わたしのことは好きに殺せばいい……どうせ今、黒影に殺されていたんだからな……! だが、貴様らに感謝などするものか!」


 大男は覚悟を決めたのか、その場所から引き剥がされる時間を引き延ばすためだけにあがき、後ろにいた子どもたちに向かって一段と大きな声で叫んだ。


「いいか! みんなは、決して忘れるな……! 黒入道は、天災なんかじゃない! わたしたちの希望の光なんだ――!」


 大男といえども、武器も持たぬ丸腰で、訓練された兵隊にはなすすべもない。三、四人の兵士に引きずられるようにして連行されていく。


 すると、


「プリンセスナイト、先生を助けて……!」


 男の後ろに隠れるようにして固まっていた子どもの中の誰かが叫んだ。すると、


「先生はすごくいい人なの!」

「お金のない私たちにも、勉強を教えてくれるの!」

「おねがい! 助けて!」

「先生が、こ、ころされちゃうなんて、ないよね……?」

「先生は正しいのに! 悪いのはあの兵隊さんたちなんだよ!」

「先生を返して!!」


 堰を切ったようにあとからあとから同じことを他の子どもも口にする。泣き叫びながら必死に訴えかけている子もいる。


 一体、なにがどうなっているの――?


 諸悪の根源は、王家? 黒入道は、希望の光――?


 だが、プリンセスナイトは黒影を退治する以上の力を持ち合わせない。ただ戸惑いながらその地を後にするしかなかった。



 空の上。例によって番子はユカリコ姫と待ち合わせをし、例によってお菓子を食べ食べ、秘密会議をしていた。


 今日のおやつはチーズケーキボール。チーズケーキを丸めて紙で包んだ、食べやすい形状。スプーンやフォークなどの要らない形に作ってもらうことが最近は多くなっていた。


「それでね、その人、軍の人に何か言われて、初めはすごく怒ってたの。黒影から軍に守ってもらったみたいなんだけど……」


 番子はこの前のことを、一国の姫であるユカリコ姫に話してみていた。


「ふむ、ふむ……なんて言ってたの?」

「んとね……、感謝などするものか! 諸悪の根源は王家だ! とか、黒入道は希望の光だ――とか……、叫んでた」

「そんなことがあったの……」


 もう慣れたように番子のステッキの隣で座るユカリコ姫は、深く考え込むように目を伏せる。


「その人、子どもたちからは、先生って呼ばれていたの」


 すると、ユカリコ姫を運んだまま銀色の鳳凰のようだったトトが、ぽんと小さく身軽に変化して番子とユカリコの間、番子の腕に留まりながら、


「あの者は正気を失っていたのかもしれませんよ」


 そう口を挟んできた。その時にもトトに言われたことである。


「うーん。たしかに気がふれたように見えないこともないけど、それにしては子どもたちからずいぶん慕われていたみたいだったし……。急に頭がおかしくなったって、他の人が困惑していたわけでもなさそうだった」


 ユカリコ姫はやり取りを黙って聞きながら、彼のくちばしに小さなチーズケーキボールをねじこんだ。苺桃タルトの一件から、トトにもおやつを用意してくるようになった。


 気になる言葉がある。


 〝私たちにこんな生活させてるのは、あの黒入道を作らせているのは、諸悪の根源は……王家。〟


 たしかに、大きく開きすぎた貧富の差は光の国の抱える深刻な問題で、王家は関所を立てて締め出すことで治安を維持している危うい状態。だが、あの黒入道を作らせているのは王家であり、自分たちの希望だという主張は、いったいどういうことなのか。


 じっと考え込み始めた番子に、


「で・も☆ ばんこちゃん? それも気になるけど、……わかってる? 明日は、ついにハル王子の来国日よ?」

「だよね……」


 そうなのである。今日ここに来た名目は、その話をすることではない。


「手順はばっちりね?」

「うん……!」


 考えるだけでみるみる心が緊張の渦に呑み込まれていく。いよいよ明日が隣国のハル王子との約束の日。一年ぶりに再会し、秘密のデートをする日なのだ。


「あーでも、もう一度段取りを確認したいっ」


 番子が、どくどくと高まりはじめる心臓を上からてのひらで押さえつけながら頼んだ。


「そうね……まずはー」

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