第2章 城での暮らし
城での暮らし<1>
シャンデリアに長いカーテン付きの大窓、赤絨毯の画廊の裏側にある、暗い使用人用裏通路。変身を解き、メイド服を身にまとったプリンセスナイトは、長いツインテールをなびかせてばたばたと走っていた。
(まずい、まずーい……いそげ!)
途中、洗濯物を両手いっぱいに抱えてふらふらと歩くランドリーメイドとぶつかりそうになったり、いいにおいのする調理場裏を横切るとき、もれた水場に滑って転びそうになりながらも、全力疾走。
(あーん、もう、こういうときにこそ、プリンセスナイトの力を使いたいよ……)
と、小さすぎる職権乱用をたくらみながら、決死の思いで駆けていた。
……このままでは、また上役メイドのミイ様に殺されかねない……。
王城の中には、たくさんの人間が住み、働いている。王族はもちろん、王の国政を助ける大臣、貴族の有権者や、城を守る近衛兵と城の外を守る外衛兵、城中の食事を作る料理人、城庭の手入れをする庭師、馬車管理の御者、図書室の司書や城内店の店主、そして、どこの間にも欠かせない、メイド。
一口に「メイド」と言っても、その種類は様々だ。
王や貴族、近衛兵や宿泊中の客人の世話をする専属メイドや子守メイド、給仕の達人であり城の顔となる上級メイド、調理場周りを任されるキッチンメイド、洗濯が仕事のランドリーメイド、そして一番数の多い、城中の掃除を担うハウスメイド。さらに、比較的高位に位置する「専属メイド」や「上級メイド」を除いて、すべての役職は、メイドを束ねる「上役メイド」と、その下に星の数ほど存在する「平メイド」に分かれる。
プリンセスナイトとして大空を駆け巡り、今は階段を必死の形相で駆けおりる彼女は「ハウスメイド」の「平メイド」。城中の階級で言えば、下の下の下。
彼女の向かう先、使用人ホールでは、もう午前の終業ミーティングがはじまろうとしていた。
紺色のメイド服――平メイドが等間隔でずらりと並び、彼女たちの前には五人の紅色のメイド服をきた上役メイド。
「1班、全員います」
「2班、全員います」
「3班、全員います」
先頭の平メイドが、それぞれの上役メイドに報告していく。7班は、右から二番目の、ひときわ小さな――上役メイド・ミイに報告だ。
「あの……7班……恐れ入りますが……また、あの番号が……」
ぴく、とミイの眉が動く。蛇ににらまれた蛙のように、小さく身をすくめる報告者。とばっちりもいいところだが、とばっちりをとばっちりで終わらせるために、勇気を出して役目を全うする。
「7班、一人……8075番が……いません」
しばしの沈黙。
「ま~~~た~~~~~~~……また8075番!? 許せない……許せないわ……! 今日こそこの番号を、永久欠番にしてやるわよぉ……!!」
頭上で結んだ可愛らしいはずのツインテールは、怒った猫のしっぽのごとくわなわなと逆立っている。頭一つ分小さい、見かけも実年齢も幼い少女にも、上役メイドとして育ってきた環境と権限による威厳がある。
「7班は昼休憩なし! 8075番を探し出すのよ!! 絶っっ対命令!」
「「はいぃっ!」」
問題児のいる7班をこの年齢で仕切り、他の者にナメられていないのも、容赦なくきっちり罰を与えているからである。彼女の力量をよく知っている7班は、暗澹たる気持ちになりながらも、どこを探せば8075番が早く見つかるかを考え始めた。
その時である。
「ごめんなさーいっ!! 8075番います、いまーすっ!」
ホールの後ろの方から、息も絶え絶えに叫ぶ声。そこには、長い髪を振り乱してへろへろになりながら駆け込んでくる紺色メイド服の――8075番の姿があった。ほっと安堵する7班一同。
「おそい! ってか、なにやってたのよ!」
ミイから当然の注意が飛ぶ。
「いやあ……そ、その、街に黒入道が現れたって聞いて、思わず怖くなって隠れていて……すいません……」
「城は安全だって何度言ったらわかるのよ! バカ!」
城にまで来るわけないじゃない! と、もっともなことを言われてしまう。いいかげんこの言い訳にも苦しくなってきた。他に何か考えなくてはならない。
プリンセスナイトに変身して戦っていました! ……だなんて言えるわけがないのだから。
「あんたクビよ! クビ、クビ!」
「すみませんっ……クビだけは勘弁してくださいせめて罰金で!!」
「そんなこといってアンタもう今月どれくらい罰金になってるかわかってるの!?」
「は、はいぃ……」
考えるのも恐ろしいことかもしれないが、それよりもクビだけは困る。
解散後、場所を移動してミイ様の個人的居残りお説教タイム。今回は罰として窓拭きだとか。ミイに連れられて、使用人ホールから城の上の方の階へと移動する。
「あたしが見張ってるから! もう逃げられないわよ!」
まばゆい光を放つ大窓を背に、仁王立ちで腕を組むミイ。こうなっては仕方なく、持ってきたバケツとぞうきんで窓拭きを始める。少ししてから、このままではお昼ご飯にありつけない、それは困るなあ……と罰金を許してもらっておきながら考えていると、大窓ガラスのななめ向こう、小さなミイ越しにキラリと光る姿を見つけた。
「あっ、ユカリコ様です!」
その言葉にミイは、ツインテールをぴょこんと揺らし、弾けるような笑顔になる。
「えっ、どこどこっ」
「あの渡り廊下ですよ」
すでに拭いたところをもう一度拭きながら、ミイに遅れて自分もガラスにへばりつく。城はとてつもなく広いので、毎日ここで働いていても姫を見かけることはそう多くない。それに、あまり近くにいるときは頭を下げて、どこか物影にひっこまなくてはならないから、こういうときは絶好のチャンスだ。
目線のやや下、向かいの棟の渡り廊下をユカリコ姫が渡っているのが見えた。
「きれい~……。ああん、超可愛いっ! 見てよバカ番子、あの巻き髪っ!」
ミイは興奮気味に服を引っ張ってくる。8075番、例の番号、バカ番などと呼ばれ、いつしか勝手に「
その先にはユカリコ姫――くしゅくしゅくるりと、首元で毛先を遊ばすようにカールさせた、甘くとろけるようなシルエットの巻き髪。頭上の金色ティアラから垂れた白い真珠やチェーンが光っている。薄桃色のシンプルなドレスの腰には大きな赤リボンが巻かれていて、ユカリコ姫が一歩歩くたび、短めのスカートと共にひらりと跳ねた。淡い桜の木になる、赤く熟れたさくらんぼの果実のように、見る者を陶然とさせる空気がそこにはあった。
「いつ見てもお可愛らしい方ですね」
「うんうん……憧れちゃう~」
番子の言葉に頷きながら、ミイは自身のツインテールの毛先を、くるくると指に巻いている。
「あの髪や化粧は、実はメイド長のチトセ様が行っているのですよ。適温に熱したコテを使って」
「え、メイド長が!? うそーっ」
「それが本当なのです。彼女以外に、あの巻き角度を作れるものはおりません」
番子は言葉を選びながら、でもちょっと得意になって胸をそらして教える。ミイはうっとりと手を組んで、叫んだ。
「そっかー……。あーあ、あたしもメイド長にやってもらえないかなーあ」
夢見る乙女に、思わず番子は提案していた。
「チトセ様のようにはいきませんが、わたしがやってみましょうか」
「えーバカな番子ができんの~? だって、なんか特別な器具を使うんでしょう」
「鉄のコテを熱して、毛先に当てて縦に巻くんです。わたしはやったことはありませんが、できると思いますよ。髪を焦がさないために、低温の状態から手で触れていって、やけどしないギリギリの温度で火にかけるのを止めて……」
鼻で笑うミイに、番子は油断して長々と講釈を垂れてしまう。
「なんで、あんたが、そんなこと知ってるのよ! なんで、できる! だなんて言い切れるのよ! ばかばか番子のくせにーっ!」
やはり、機嫌を損ねてジト目でにらまれた。でも、そんな余裕のないミイがかわいらしくて、番子は意地悪く付け足した。
「逆に言えば、メイド長になるには、あの髪を作れなくてはなりませんね」
「そ、そーなの……?」
思った通り、ミイははっとした表情になり沈思黙考。番子は未来のメイド長を敬うように膝をついたまま、彼女のエプロンのリボンがほどけかけていることに気づいて結んで差し上げる。
「じゃ、じゃあ、番子があたしの髪をやったそのあとで、あたしもいつか姫様の御髪を巻けるように練習するわ! 巻き方を教えてちょーだい!」
「はい」
たかがメイドと言えど、上下関係は厳しい。外から試験を受けて入った番子とは違いミイは元がメイドの家系という、生まれながらにして番子を使う立場の上役メイド。ミイは、いつもこうして誰かに後ろのリボンを結んでもらっているのだろう。番子が結び終わったのを感じとって振り返る。紅い生地のワンピース上で均整のとれた真っ白いリボンがくるりと翻るのを見て、やれやれ、わたしも人のをうまく結べるようになったものだと、番子は軽くため息をついた。
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