東ノ風インベンション

座間久人

0. PRELUDE

 それは言葉で例えるなら『魔法』だった。

 一瞬にして目の前に広がった何千もの座席を持つコンサートホールを、幾多の人々が埋め尽くし、暗がりの中で狂喜とも取れるほどの声援に重なって、一つの演奏が聴こえていた。

 独特の間隔で断続的に淡々と、しかしながら力強く響き渡る律動。

 機械の手拍子に合わせ、おどおどしく地の底から噴き出す息吹のような旋律。

 それらに観客の声援が混ざり重なり、一つの曲、世界として紡ぎ、この場所を包み込み、一つにまとめ上げていた。

 次第に地響きのような旋律も収まって行き、そのまま淡々と続く手拍子と律動が、場の興奮を鎮めているかのようだった。

 しかし直後、新たな音色が響き渡った。接続曲――メドレーだ。

 シンセサイザーによる跳ねるようなパーカッションに合わせ、西洋の雰囲気を持ち合わせた東洋的な独特のメロディと、それらを底から支える低い旋律が、風が吹くかのように会場全体に広がっていく。

 そのメロディを耳にした観客は、興奮を抑えきれずに歓喜の声を上げる。

 ハイハットの金属音が鳴り響くと共に、バスドラムの音が重なり、行進をするかの如くビートを刻んでいく。

 間髪をいれず、シンセドラムの連打によるアクセント――フィル・インが入り、広大さを感じさせる旋律をバックに、パーカッションの激しさが増していく。

 再度のシンセドラムの連打によるフィルと、笛のような音色のフレーズを交え、流れるようなメロディが展開された。

 ドラムとパーカッションによるリズム。

 ベースによる地味ながらもしっかりとした主旋律の補佐。

 そして、一つの国、中国をイメージとして奏でられているメロディ。

 音色自体は少なく、シンプルながらも、その演奏自体はとても高度であり、完璧だった。

 数分の演奏の後、メロディのフェードアウトと、畳み掛けるドラムのフレーズによって、これらの曲は一旦の区切りを付けた。

 ドラムの音に重なって聴こえる言葉にもならない程の声援が会場の興奮を物語っていた。


 それからも間を挟みつつ、演奏は続いた。

 ゆったりとしたテンポの曲、軽快でノリの激しい曲、歌声を主体とした様々な楽曲……。

 それぞれが個性的ながらも上手く繋がり、一つの流れとしてまとまっていた。

 やがて、爆発音と共に最後の楽曲の演奏が終わった。

 先ほどまでのオリエンタルなメロディをかき消す残響音に重なる声は、まさに興奮のるつぼであった。

 しかし、急速に静まっていくホールに流れる館内放送がすべてを告げていた。

『本日の……公演はすべて終了致しました。お帰りの際は、足元に充分お気をつけください』

 儀式は終わったのだ。

 暗闇のホールの中、照明が照らされているステージの上の実験室での儀式。

 約一時間三十分の間、ゲストメンバーの演奏も含まれてはいたが、主に三人のヘッドホンを付けた魔術師達と機械によって奏でられた魔法、『音楽』。

 その音楽に、ひとりの少女は心を囚われ、聴き惚れていた。

 少女の名は鈴野晴美。どこにでもいるように思える、一人の少女だ。

 彼女は惚けていた。

 先ほどまで観ていた出来事に対し、思わずへたり込んでいた。

 しかし、今の彼女が居る場所は、コンサートホールではなく、アナログレコードやCDが並んだ棚に囲まれた整然とした部屋で、観客がひしめくコンサートホールとは程遠い場所である。

 彼女の手元にある、ジャケットに猿が描かれたプラスチックのCDケース。その裏に書かれた曲の一覧はつい先ほどのライブで演奏された曲目と全て一致していた。

 彼女が観たライブは幻だったのだ。

 それは彼女の感受性の高さが見せたものだったのだろうか。

 いや、確かに彼女はライブを経験していた。たとえ編集や加工がされているCDを通してとはいえ、それはかつて本当に在った出来事だ。

 二○七○年代には遠い過去の物であり、語られる事も少なくなった伝説。彼女はその伝説を、自分の目、自分の耳、自分の身体で、今確かに体験したのだ。

 その体験は、彼女にとってはとても新鮮であり、夢の未来を感じさせた。そして、彼女を演奏者である三人のグループへと陶酔するようになるきっかけでもあった。

 彼らのグループの名前は黄色魔術楽団――イエローマジックオーケストラ。通称、YMO。かつて一世を風靡し、多くの『アーティスト』に影響を与えた音楽ユニットである。

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