その雪が落ちるとき
塩漬
プロローグ
第1話 始まりは銀世界
音が聞こえる。乾いた破裂音と悲痛な叫びが聞こえる。その音が聞こえただけで命の灯火が一つ消えてしまったことを理解する。嫌でも理解してしまう。
視界に映る阿鼻叫喚の地獄絵図。あちこちに付着している赤い鮮血は、脳の記憶を真っ赤に塗り替えていく。
もしこれが夢だったならば、どれほど良かっただろう。
もっと、見ていれば良かった。
もっと、甘えていたら良かった。
もっと、好きでいたら良かった。
今、俺を抱きしめているこの手が滑り落ちるまでに、俺はどれほど後悔するのだろう。
人の温もりが無くなっていく。みるみる力が抜けていき、ついにその手はダラリと地に落ちた。真っ赤になった両手を見て、そして顔を上げた。
——ぎゃははははっ!
そいつは笑った。実に滑稽そうに、馬鹿馬鹿しそうに。銃口は尚も俺に向けられていて、それは死を宣告している。
——ああ、本当に。この世界は何処かおかしい。
「——ァアアアアアアッ!!」
色々な感情がどんどん溢れてきて、抑えきれない。
怒り、悲しみ、恐怖——全部が混ざり合って、融け合って、それは一つの憎しみとなった。
俺はもう、考えることをやめた。いや、考えることができなくなった。
黒い感情。その黒色は心を飛び出し、体を這い、床も壁も覆い尽くして、そして——全てを飲み込んだ。
——その日、つい数時間前までそこにあった建物が完全に崩壊した。
♢♢♢
白い粒が視界で踊り、映るもの全てを白銀に彩っている。辺り一面が銀世界になり、建物の輪郭がぼやけた日本のとある住宅街で。
「だりぃー」
と、気怠い声を出しながらトボトボと歩いているのは何を隠そうこの俺、藍咲叶泰である。
年齢は16歳、普通の男子高校生だ。しかし、高校生活が始まってもうすぐ一年、朝は「行きたくない」と布団を頭から被って現実をシャットアウトする毎日だ。
一人っ子で、母と二人暮らし。父は俺が小さい頃に事故で亡くなったそうだ。
家があるのは近くの人ぐらいしか知らない地名の住宅街で、学校へは電車通学。徒歩と合わせてだいたい40分ほど。おかげさまで今日も今日とてボッチ登校である。
学校にはちゃんと数人は友達がいる。ついでに言えば、彼女いない歴イコール年齢である——と、自己紹介する度に虚しくなるのは、もはやお約束である。
「はぁ……また同じような日になるんだろうなぁ。刺激が足りない。日本は平和すぎるんだよ〜」
そんな、何気なく口に出した俺の独り言は、純粋な白色を落としていく灰色の空に吸い込まれて消えていった。
俺が通っている高校は、公立高校だ。勿論、ちゃんと受験勉強して入った。そのお陰で、小学生以下の記憶が殆ど歴史人物や化学式に変わってしまったが。
授業中は基本真面目に受けているつもりである。おそらく、人生で数回ほどしか寝たことは無い。中学生までの定期テストでは、授業をしっかり聞いていれば、必至に勉強せずとも平均以上の点数を取れていた。
だが、それは高校では通用しない。かなり理解出来なくなっているのだ。勉強の習慣がついていないことが浮き彫りになったようだ。
家では基本一時的に現実を忘れることができるゲームや、唯一の癒しである飼い猫と戯れることしかしていない。いや、戯れるというより喧嘩か。
友達はいるにはいるが、コミュ障であることが一因して、結構少ない。初対面の人とどうやって話せばいいのか分からないのだ。
そんな俺は、今日も結局、いつも通り学校で面白いこともなく、いつも通り部活に行き、いつも通り帰るのだった。
いつも通り。いつもと変わらないはずの帰り道だと、そう思っていた。
俺は家でのゲームについて考えながら下校していた。
あのオンラインゲームで今日はこれをしようだとか、今日ログインしたら特別なボーナスがもらえるスマホのゲームのことだとか。
「そうだ。久しぶりにお隣のツンデレ幼馴染にちょっかいかけに行こう」
そんな、平和でつまらないとても恵まれた一日で終わるはずだったのに。
いつも通りの下校ルートを通り、あと少しで我が家に辿り着く頃だった。
——拝啓、お母さん。向夏みぎりでございますがお変わりなくお過ごしでしょうか。さて、突然ではございますが、私はいま大変困っております。もし、あなたが買い出し等がなく家にいらっしゃるなら、どうかお助けください。駅方面に5分くらいでつきますから。
などとふざけている場合ではない事態が起こった。
事の発端は一人の少女だった。
その子はどう見ても異端だった。雪のように白い肌。宝石のように煌めいていて、だがどこか冷たい碧眼。そして、白銀の髪。年は遠目からはわかりづらかったが、自分と同じくらい。違っても2、3年しか変わらない程度であった。
現代の日本ではまず見ない容姿だが、そんなことどうでも良くなる程の美少女が帰り道に佇んでいた。
「三次元も捨てたもんじゃないな……てかめっちゃこっち見てる」
彼女は俺の目をじっと見て、そして、
『――やっと見つけた。アナタが私を――アナタを私のもとへ――――運命を――――』
と、ボソボソと言い残して消えてしまった。そう、消えてしまったのだ。まるで、幽霊のように。
この時俺は、その女性が突然消えたことに動揺していたため気づくのが遅れた。
もう少し早く気づいていたら逃げられたかもしれなかったのに――だが、それは単なる憶測に過ぎず、人生に分かれ道など無い。だから、過去を変えることはできないのだ。
ちなみに、これは俺の母が言っていたことの受け売りである。
突然、となりに黒塗りの高級車がとまって中から厳ついマッチョマンが現れた。その手にはスタンガンが握られていた。
(ウソだろ!?)
何をされるのかわからない恐怖と混乱で、頭が真っ白になってしまう。
助けを求めて周りを見渡せば、通行人はいるのに誰も助けようと動いたり、通報しようとしない。それどころか、この光景を見ようともしない。
(……ひっでぇなあ)
なんだか馬鹿らしくなり、俺は目を閉じた。
体に電気が流れ、それを頭が理解する前に俺の意識は闇に落ちていった。
——神を信じる? 運命というものを信じる? 信じることを知ってる?
——俺は何も知らなかった。
——国のことも、人のことも、況してや現実だって。
——何も考えず、都合の悪いことだけ忘れて、のほほんと生きること。それが、どれだけ愚かで、どれだけ情け無くて、どれだけ幸せなことか知らなかった。
——でも、俺はそれを知った。知ってしまった。だから、だからこそこれだけは言える。
——俺の人生は、誰にも誇れない。
——そんな俺の人生が始まったのが、この日。俺が、無人島に拉致された日からだった。
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