第15話 8月14日 ①

 いつの間にか寝てしまっていたらしい。口を拭いながら枕元の時計を見ると、もう次の日の午前十一時だった。部屋の窓に何かが連続してぶつかってきている音がする。察するに雹でも降ってきたのだろう。たしかスーパーセルの特徴として、雹が降るというのもあった気がする。起き上がってカーテンを開けてみてみると、やはりそれは雹だった。

 家の前の道路にはその雹が雪のように積もっていて、もし俺が寝ぼけていたらタイムカメラどころか冬へとタイムスリップしてしまったと勘違いしたことだろう。

 この天気では昨日の雨より外に出るのは厳しいと思われた。

 下へと降りていくと、リビングで父さんがテレビを見ていた。その後ろから俺もテレビを見ると、この辺りの地域に竜巻注意報が発令されていた。うちには地下室がないため、いざとなったら家財一切をほっぽりだして避難することになるだろう。竜巻の際の避難場所など知らないが、おそらく歩いて十五分ほどのところにある駅の地下なら大丈夫ではないだろうか。

 冷蔵庫から牛乳を引っ張り出し、コップに注いで一杯飲むと、俺は風呂へと向かった。

 死ぬ前には清潔な身体になって、精神を安定させておくのがいいかもしれない。そんな考えからだった。今日死ぬ、明日は来ない、という事実が疑いようのない事実であるのは頭では分かっているのだが、その原因がキテレツなため、いまいち実感が持てなかった。

 持ったところでどうなるものでもないのだが、山に篭って何十年と修行をした僧侶のように俺の気持ちは落ち着いていた。いや、落ち着いていたというのも違うかもしれない。全てを諦めていたと云ったほうが正しいかもしれない。

 愚者は経験に学び、賢者は過去に学ぶとよく言うが、俺は千尋にも言われた通り、過去についてよく知りもしないくせに未来を知ろうとした愚か者だ。厳しい修行をしている僧侶と同じにしてしまったら、僧侶の立場がない。

 いつもは一度しかしないシャンプーを、髪に良いのか悪いのか分からないが三回もして、体をくすぐったくなるまで念入りに洗いながら、そんなことを思った。

 部屋に戻ってドライヤーで髪を乾かしていると、パソコンが目に止まった。そういえばあの中にこれまでのカメラのデータを移し替えたんだっけか。最初のグラウンドの映像から全てが入っている。

 死ぬ前には走馬灯を見るというが、もし見れなかった時のために、ここ数日の思い出を映像で振り返るのも悪くはないだろう。

 髪を乾かし終えた俺は、パソコンの電源を入れ、『未来映像』というフォルダに保存した動画を一つずつ再生していった。

 まず最初は、あの雨の降った後のグラウンドの映像だった。全てはここから始まったのだ。撮ったものと別のものが撮れたことの理由を探るのに必死だったのを覚えている。

 次は諒太が自宅で撮影した実験映像だった。それが約六、七本あり、諒太が五十音を順番に言っていき、どのタイミングが撮影されるかを試しているらしかった。

 次は俺がせっかく小話をしたのに全カットされ誰も映っていない部室の映像。

 その後は、俺と諒太が二人で部室の時計を映してカメラの法則を調べた実験映像が十数本あった。それらも一つ一つ見ていく。画面には百均で買ってきたような安物の時計が映っているだけだが、あの時は冒頭の時計の針の位置だけを見て再生を止めていたので、一本全部を見るのは以外と初めてだった。

 次の実験について相談する俺達の声であったり、千尋と姫ちゃんが笑いながらお菓子を食べている音が録れていた。

 部室での実験映像最後の一本を再生すると、開始から十秒ほど経ったところで、「まだ修理中だから」という声が聞こえてきた。リアクターの声だ。

 ということはこれが映した未来は、というか今となっては過去だが、俺達とリアクターのファーストコンタクトの時ということになる。

『あなた、誰?』

 次に千尋の声が聞こえてきた。当たり前だが、あの時と同じだった。俺は懐かしくなって耳を澄ました。

『リアクター』

『リアクターって、昨日蒼馬たちが見つけてきたっていう、あの物体の?』

『そう』

『リアクターってなんなの?』

『覚えてない』

『お、覚えてないって、どうして?』

『メモリーが破損しているから』

 そうだ、そもそもリアクターとはなんなのだ。メモリーが破損しているとかなんとか言っていたがそれは直ったのだろうか。もはや今となっては意味のないことかもしれないが。

『め、メモリーってことは、君はロボットなのか?』

『この時代であれば、そうとも言える。でもロボットではない』

『リアクターだっていうのか』

『リアクターは私の役割。私自身は、人間』

 人間は一体いつの間に正八面体から変身するように進化したのだろうか。

『あ、あの、最初、それはできないって言ってましたけど、なにがですか?』

 諒太の質問が聞こえた。

『人助け』

『それはどうして?』

『その方法で未来は変えられないから』

『なんで、なんでそう言い切れるんですか?』

『私が未来から来たから』

 映像はここで終わりだった。

 そうだ、たしかにこんな感じだった。未知との遭遇すぎて何がなにやら頭に入ってこないうちにリアクターと会話していた覚えがある。

 でもリアクターは確かに言った。

 未来は変えられないと。

その方法で未来は変えられないと――

 

…………いや、待て。その方法で、ってなんだ?

 

 その方法で未来が変えられないとはなんだ?

 たしかその方法というのは、姫ちゃんの言った、道路を撮影して事故が映っていたらそれが起きないようにするというものだった。

 その方法で未来は変えられないとリアクターは言った。

 でも、その発言を逆に捉えるとすれば、その方法でなければ未来が変えられるということにならないか?

 未来人の日本語文法が今と違っている可能性はある。けど、あれこれ変身できるほど進化した未来人様が、この時代の文法ごとき再現できないとは思えない。

 だとすれば、その方法以外なら未来が変えられると捉えても間違いではないんじゃないか?

 いや、この際俺の勘違いでもなんでもいい。一抹の希望があるならそこに縋り付きたい。

 未来を変える方法はきっとある!

 この世界を救う道はある!

 何の根拠も確証もないが、俺はそう信じた。

 となれば、あとはその方法だ。

 リアクターの電話番号は知らない。聞くなら直接会うしかない。学校に行くしかない。

 未来を決めているのが誰か知らないが、俺がこれに気付くのもあんたのシナリオ通りなのか?

 知るか! 

 カメラに映ったのは世界が終わる未来だ。けど、その未来を変えてやる。

 そして俺は千尋にもう一度会う。会って、思っていることを正直に話す。

 それまで世界は終わらせない。

 俺は事件現場へと向かう刑事のようにレインコートを羽織り、部屋を飛び出した。

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