33-3話 回り始める生活
◆
私の独房(仮)にアレアが不意にやってきた。
「ちょっと遊びに出よう」そう言ってから、彼はバツが悪そうに続ける。「三次元チェスで勝っちまったからな」
私は彼を通路で待たせて支度をして、外に出た。服も配給制だけど、一部の市民が裁縫の腕を生かして、おしゃれな服を作っているのは知っている。でも私はそんなものは持っていない。
粗末に見える気がするけど、これが私の現実だ。
「こういう時に行く場所はほとんど限られていてね」
通路を歩きながら、アレアが話す。
「映画館か、植物園だ。まったく、俺たちにはハードルが高いな」
「これって、本当にデートなんですか?」
「俺とデートしたいか?」
その質問は反則だ。答えられないじゃないか。
「一応、形の上でもデートしておかないと、シンドラさんとレイモンドさんに申し訳がたたないですよ」
「あの二人も困ったものだ」
結局、私たちはまず映画館に向かい、そこで大昔の映画を眺めた。映画館自体はかなり広い。基本的に無料だけど、配給のチケットが必要だ。お金を払えば優先的に入れる仕組み。
「俺が持つことにしよう。金も使い道がなくてね」
あっさりとアレアが支払ってくれる。
「申し訳ありません」
「男に花を持たせるのも重要だぞ」
うーん、含蓄があるような、ないような。変に小慣れているような。
映画を見終わると、二人でハンバーガーを手に入れ、植物園へ向かう。ハンバーガーはさすがに私も自分の分だけは配給チケットを使った。
植物園と言っても、様々な植物を見るためにあるのではなく、公園に近い。ただ、公園というほど広くはない。
実験試料でもあるらしい木々が鬱蒼と茂る下を抜け、空いているベンチに腰掛けた。
「君の三次元チェスの腕は本物だった」
食事をしながら、アレアが話した。
「市民に三次元チェスを教えてみないか? それでも少しの稼ぎになる」
「どうでしょう。そんな需要、ありますか?」
「映画館を見ただろう」
私は頷く。
ついさっき、映画館に入った時、行列をしている人を見た。アレアが料金を支払ったので、彼らの横をそっとすり抜けたが、彼らは映画を見るのにお金を払えない人たちなのだ。
「あの行列は、他の様々な場所で同様のものが見られる。俺はあれを解消したいが、方法がない。この船には産業がほとんどないのさ。娯楽も。一部の市民は何もしないでも生きていけるから、生き甲斐すらないと言える」
「食べ物も服も、贅沢がほとんどできない人たちが、三次元チェスにお金を払いますか?」
「まあ、お金を払うかはわからない。だが、三次元チェスに熱中する下地はある」
「退屈を持て余しているからですね」
そうなるな、とアレアが頷く。
「まだ移民船の生活は発展段階だ。これからどうなるかはわからんが、とにかく、人が人らしく生きていけなければ、この閉鎖空間での生活は成立しない。人らしい、とは、文化がある、ということだ」
私は考えつつ、ハンバーガーをゆっくりと食べた。
話が雑談に変わり、植物園に長居した。
「少し飲んで帰ろう」
二人で植物園を出て、この前とは違うバーに行った。
入った時から、ピアノが演奏されている。弾いているのは、初老の男性だ。
私はそれを横目に、席に着いた。
演奏が終わり、拍手が起こる。初老の男性が頭を下げ、カウンターの席に着いた。
すると入れ違いに今度は三人ほどが進み出て、彼らは楽器をケースから取り出すと、前触れもなく演奏し始めた。
クラシックの中でも、ジャズと呼ばれる音楽だ。
私たちはウイスキーを傾けつつ、それを聞いていた。
「彼らは普通の市民だよ」
小さな声でアレアが囁く。
「ここで楽器を演奏することで、お金を手に入れる。でも彼らは金が欲しくてやっているだけじゃない。人の前で演奏したくて、その場所が欲しいんだろう。自分一人で演奏していても、面白くはない。そして彼らがここで演奏することで、俺たちがいつもより少しだけ美味く酒を飲める」
ジャズの演奏は続いていた。
三十分ほどの滞在で、私たちは店を出た。
自分の部屋に戻り、私は配給品の紙とペンを取り出し、素早くその言葉を書き付けた。
あとは翌日だ。
久しぶりにぐっすりと夢も見ずに眠れて、スッキリと目覚めた。
朝食の後、適当な広い通路を選んで、私はそこに椅子を二脚と小さな机を設置した。
その机に昨夜の張り紙を貼り付ける。
三次元チェス対戦者、募集。無料です。
そう書いてある。
机の上の端末を起動し、空中に盤と駒が描かれる。
通路を行く人々がちらちらとこちらを見るが、誰も椅子に座らない。私は根気よく待ち続けた。誰かがたぶん、興味を持つだろう。
「お嬢さん」
嗄れた声は背後からだった。振り返ると、老人がいる。
「三次元チェスのお相手を、させていただきたい」
ゆっくりと歩いて、老人が私の向かいに腰掛けた。コンピュータが老人の先手番と決める。
「よろしくお願いします」
老人が皺だらけの手で、そっと駒を動かす。私も即座に動かした。
早指しでやろうと言ってもいないのに、老人は次々と指していく。
ただ、素人ではないし、戦略も戦術もない、という感じではない。
「こんな老人がこの船にいて、おかしかろう」
私が指した後、老人が盤を眺めながら、急に言った。
「おかしいものですか」私は微笑むことができた。「老人だって冒険をしても、良いはずです」
「面白いお嬢さんだ」
「お嬢さんという年齢でもありません。童顔なんです」
そうか、と応じて、老人が駒を動かした。
攻防が始まり、老人の寄せを際どくしのぐ。私の手番になり、逆襲。
一度めのチェックで、老人は諦めた。
「強いな。良い指し手だ」
老人が皺の多い表情に嬉しそうな笑みを見せる。
「どなたに教わったのかな」
「公爵、と聞いてわかりますか?」
「公爵。どちらの公爵かな」
この老人は知っているのだ。
「どちらもです」
「それはまた、素晴らしい師に巡り会えたものだ」
ゆっくりと老人が端末を操作し、駒が初期位置に戻る。
「もう一局、良いかね? 退屈していたのだ」
私の方が強く頷いて、受けた。
それから三局ほど連続して指した。感想戦もしていたので、二人とも食事を忘れている。
そんなことをしているうちに、通路で立ち止まって眺める人が現れる。
翌日もそこへ行くと、中年男性が待ち構えていて、挑戦してきた。
比較的、うまいプレイヤーだったけど、私の敵ではない。素人らしく、感想戦もせずに再戦を挑んでくる。
さらに二局指したけど、私にミスはなかった。
昨日よりも観客が増えている。
さらにその翌日には、少年が待ち構えていて、これは全くの初心者で、私は彼にルールや駒の動かし方を一から教えた。眺めている観客が不満そうなので、少年には実戦を見せながら教えることにして、観客の中の一人と対局した。
その対局が終わると、他の観客が変わるように要求し始める。
これはとんでもないことになったぞ、と思いつつ、私は次々と入れ替わり立ち代り、対局を続けた。
始めて五日後には、私は三つの端末で展開した三つの盤で、多面指しをしていた。
忙しさが不意に戻ってきた。
(続く)
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