LS第2話第3部 終わりの時

2-19話 分かれ道


     ◆


 その惑星の名前はコウキが書き換えてしまう前は、ソドラという名前だった。

 しかし今のところ、それは帝国ではインディゴと呼ばれる。

「じゃあ、ミライくん、彼女を頼んだよ」

 惑星ソドラの衛星軌道上で、ボビー達が乗った小型艇には、やはり小型の別の船が接舷していた。元は第八軍団のための機体だ。すでに食料や水の積み込みは完了している。

 二隻をつなぐパイプの手前で、ミライは荷物を持って、ボビーを見ている。どこか感情が抜け落ちたような、そんな表情だった。

 十八時間の話し合いの結果、ミライは惑星インディゴへ行くことを承知した。彼女がレイの基礎情報を装置ごと持って行くことになる。

「大丈夫だ、君なら上手くやれる。自信を持って」

「あまりいろいろ言わないほうがいいですぜ」

 すぐ横に立つコウキの横槍にムッとしつつ、ボビーはまたミライを見た。

「また会おう」

「だから、いろいろ言わないほうがいいですって」

 ミライは一言も口をきかず、そこに立っている。

 しかしもうあまり時間もないのだ。帝国軍の小艦隊がここに向かっていることをすでに全員が知っている。

「ではね、ミライくん」

 一歩、ボビーが下がった。ミライが一歩、隣の船へ踏み出す。

 そこで二人共が足を止めてしまう。まったく、とコウキが呟く。

「そんなに一緒にいたいなら、二人で行けばいいじゃないですか。俺が残るんで、それで丸く収まる」

 ミライとボビーが火花が出そうな視線で睨みつけたので、拗ねたように唇を突き出すコウキ。

「すみません、主任」やっとミライが口を開いた。「今まで、お世話になりました」

「こちらこそ。何度も言っているけど、また、今度」

 深く頭を下げたミライが、意を決した顔でボビーを見た。

「キッチンスペースの冷凍庫に秘密のものを隠してあります。差し上げます」

 秘密のもの?

「また後で見るよ。急いだ方がいいよ」

「はい、じゃあ、失礼します」

 ミライが隣の船に移り、ハッチを操作して、そこを閉じた。ボビーも同じことをする。

 これで師弟は離れ離れか。ボビーはじっとそこに立ち、何かを感じようとするようにハッチに手を当てていた。

「あっちの窓で見送れますよ」

 コウキの声に従い、ボビーは窓に顔を寄せた。

 小型艇が離れていくと思ったら、一瞬で消えた。亜空間航法を使ったのだ。

「さて、ちょっと寛ぎましょうよ。お客さんが来るまで少しは余裕がある」

 軽口を言っているコウキの気持ちもわかる。ボビーを励ましたいのだ。

 やることもないので、しぶしぶボビーはリビングへ行き、それからミライの言葉を思い出し、キッチンスペースへ行った。床に蓋のある冷凍庫を開ける。

 小さな箱が入っていた。冷えているが、構わないだろうか。

 取り出すと、それは葉巻の箱だった。上等どころか、最高級品だ。

 なんでこんなものを。

 箱を手にリビングスペースに戻ると、二つしかない椅子の片方で、コウキが端末を操作している。

「吸ってみるかい?」

 顔を上げたコウキに箱を振って見せると、彼の顔が輝いた。

「いいじゃないですか、それが置き土産ですか」

「気が利くというか、なんというか」

 二人で慣れないながらどうにか一服し、どういうわけか、三次元チェスが始まった。

 しかしすぐにコウキが投了する。

「容赦ないな。次は、公爵、俺の代わりに差してくれよ」

『良いですよ』

 船室に据え付けられているスピーカーから声が流れ、盤上で一人でに駒が動き始める。

「しかし、レイの奴も思い切ったことをするよ」

 盤上を見ながら、コウキが呟く。

「自分が消去した人工知能になりきって、帝国軍の総司令官のいる戦艦にアクセスするなんて。度胸云々以上に、常識を無視しているよ」

『そういうあなたも帝国のデータバンクを不正操作しましたね』

 ボビーはじっと盤上を見ながら、その会話を聞いていた。

 ボビーにできることは結局、ほとんどなかった。全ては公爵、レイ、そしてコウキが動いたのだ。自分はほんの少し、言葉をかけたようなものだった、と、ふと思った。

 しかし、ミライを送り出せたことは、誇ってもいいかもしれない。

 そっと駒を動かす。公爵、思考。

「通信速度が確保できれば、こんな酔狂をしなくて済むんだが」

 コウキは喋り続けている。彼は彼なりに不安なのだろうと、ボビーは盤を見たまま考えた。

『コロンブスがなくなってしまうことは想定していましたが、このような事態を想定していなかったのは、私の落ち度です』

 コウキが苦笑いして答えた。

「誰もそんなことは思わないよ。それに人間だったら、申し訳ありませんでした、って言って頭を下げれて、どこかに隠れれば、それでそのうちに忘れ去られる。君の失敗も、すぐ忘れるさ」

『私は忘れられません』

「そう、人間も自分のことは忘れられない。それは確かに苦しいが、なに、そのうちいいこともあるさ」

 公爵、駒を動かす。ボビーの予想通りだ。しかし読みを入れる。コウキは話し続けている。

「レイはどこまで行くのかな」

『あの子は特別です。遥か彼方まで、突き進む意志がある』

「それはプログラムされたもの?」

『学習はプログラムです。しかしそれを教えたのは人間です。私たちは人間を映す鏡なのかもしれません』

 ボビーが駒を動かすと、短い思考で、公爵が予想外の手を指した。

 これは、勝負手か。

 しばらく沈黙がやってくる。

 小さな電子音をコウキの手元の端末が立てる。

「やっと来たか、お客さんたちが」

 彼が壁に埋め込まれた端末を操作し、壁に映像を映した。

 帝国軍の機動母艦、戦闘艦が次々とやってくる。大気圏突入及び離脱能力のある艦も見えた。

「どうやら俺の偽情報を本気と信じたらしいな」

 ニヤニヤとコウキが笑っているのをボビーは盤越しにちらっと見た。

 公爵の勝負手に、ボビーも際どい手を返す。今度も公爵、時間を使う。

「こんな惑星の地上に住めるわけがないだろ、常識的に考えろ、間抜けどもめ」

 公爵、一手指す。

『始まります』

 グンと小型艇が加速する。

 ここに公爵を積んだ演算装置を置いておいたのは、さも電人会議がこの惑星を拠点にしているような、大規模な情報操作の痕跡を残すためで、その大規模情報操作の偽情報を組み立てるのに、十分な通信速度が必要だったからだ。

 亜空間通信では細すぎた。コロンブスが失われ、設備も悪い。

 結果、ここにい続けるしかなかった。

 全てがここから指示されている、今はそう見えるはずだ。

 公爵は今、単体で、そして帝国軍の人工知能群からの攻撃を一手に受けているだろう。

 ボビーはじっと盤を見た。

 ここで終わり、か。次にどんな手を指せばいい?

 どこかで何かが弾けるような音がして、明かりが瞬いた。

 直後。

 唐突に衝撃が走り、ボビーとコウキは椅子から投げ出されていた。

 頭を打って、跳ねた体が、今度は胸を床に叩きつけることになる。

 朦朧としながらも、ボビーは盤に目をやった。

 公爵の一手に対する、最善の応手が見つかった。

 手を伸ばして、駒を動かそうとするが、テーブルの上の盤が遠い。

 起き上がろうとするが、再び船が激しく揺れた。床に叩きつけられる。コウキがわけのわからない罵声をあげる。

 そして室内の明かりが全く消えて、それでもぼんやりと三次元チェスの盤が浮かんでいるような気がした。

 しかしそれは錯覚だ。

 真の闇が辺りを包み込んだ。


     ◆


 その時、宇宙戦艦ハイエストは亜空間航法の最中で、あと三十分ほどで作戦宙域、第二次自由領域のある場所へ飛び出すところだった。

 シヴァは惑星インディゴからの報告を待っていたが、それより先に人工知能ルーベンスが唐突に立体映像を立ち上げ、頭を下げた。

 何事だ? 視線を送っても、ルーベンスは頭を下げている。

『申し訳ありません、提督。取り返しのつかないことをしてしまいました』

「早く言え」

『先程の惑星インディゴの情報は、作り物です。真実ではありません』

 真実ではない?

『何者かが偽装した、でたらめな情報です。あの惑星はインディゴではなく、ソラドという惑星です。人の手は全く入っていないのです』

「わからないな。惑星開発局のデータを捏造したのか? 電人会議が?」

『そのようです。あまりに巧妙で、気づきませんでした』

 がっかりした、というのがシヴァの感想だった。

 やはり電人会議にはそれほどの物理的な力はないのだ。

 ルーベンスを下がらせようとしたその時、唐突にそのルーベンスの立体映像が乱れた。端末の故障かと思ったが、そのままルーベンスは音が出ないまま何かを訴え、消えた。

「緊急事態です!」

 その叫びと同時に、艦橋の明かりが赤に変わる。

「人工知能ルーベンスが情報攻撃でダウンしています! 物理的損傷の恐れあり!」

「亜空間航法の制御を手動に切り替えます!」

「僚艦でも同様の被害多数! 亜空間航法の不具合の報告があります!」

 いきなりだった。

 シヴァは近くの端末に歩み寄り、担当官に指示する。

「予備の人工知能を立ち上げろ。名前は、オプティマスだ」

「オプティマス、ですか?」

「そうだ。電人会議への潜入任務を行った人工知能だ。ここに通信を繋いだだろう」

 担当官は泡を食った様子で端末を操作したが、その手がゆっくりと止まった。

 真っ青な顔でシヴァを見返す。

「この不具合は、その……」

 担当官が黙り込むのに、シヴァは視線で先を促す。

「その、総司令官、間違いでなければ、この混乱は、オプティマスだった情報が原因です」

 何から何までわからないことばかりだった。

 偽の情報に踊らされた次は、人工知能が裏切る?

 まさかそんなことはないはずだ。

 こちらが人工知能に偽りの寝返りをさせた後、逆にこちらに人工知能が寝返ったはずがまた敵に寝返る?

 そんな複雑な事態が起こるわけもない。

 なら、答えはシンプルだ。

「オプティマスの指示で出された動きは、全ては偽物だ! あれはオプティマスではない!」

「は? 総司令官、それは、どういう……」

「入れ替わっているのだよ。あれは電人会議の人工知能だったのだ。まるでオプティマスの顔をして、ここまでやってきた。そしてこちらに打撃を与える」

 担当官は半ば呆然としていた。

 その間にも報告は続き、宇宙戦艦ハイエストと共に亜空間航法を行っていた帝国軍の艦船で、緊急事態として亜空間航法の制御を諦め、即座に通常空間に離脱する艦が続出している。

 シヴァは歯噛みしつつ、指示を飛ばす。

「作戦は継続だ! タイムテーブルに変更はない!」

 ここまで翻弄されても、まだ帝国軍には数の優位がある。

 それで問題はないはずだ。

 シヴァが睨みつける先で、亜空間航法の離脱まで、五分を切っていた。




(続く)

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