2-16話 裏切り者の影
◆
第八軍団と無人艦隊はじわじわと数を減らされながらも、後退を続けていた。
公爵は敵味方識別信号と、無人の超小型観測基地、さらには公爵単体での帝国の情報ネットワークへの割り込み、そこから敵味方全ての艦の位置を把握しようとしていた。
他にも無数の人工知能がこれに加わり、通信不能ながら、原始的手法を駆使し、じわじわと全体像が掴めてくる。
確かに第八軍団は第二次自由領域とした大型母艦テルーシャに向かっている。
しかしどうしてここまで先を読まれたのか、まるで誘い込まれるように打撃を受けたのか、公爵にはまだ理解できなかった。
ボビーに尋ねるべきだろうか。
コウキの知恵も借りたかった。
十数時間ぶりに公爵は立体映像を起動した。
カメラに映されたリビングでは、どういうわけか、ボビーとコウキが三次元チェスをやっていた。本能のように形勢を判断するが、もちろん、ボビーの優勢だ。
二人が公爵に気づく。
「何かあったかな?」
『いえ、ご相談がありまして』
「聞くよ。片手間で悪いが、こちらはすぐ終わらせよう」
終わらせるかよ、とコウキが呟き、ナイトの駒を動かす。悪手だ。
『どこから情報が漏れたかが、わからないのです。お二人の意見をお聞きしたいと思います』
「謙虚だな、君は。いい傾向だ」
『切羽詰まっているとも言えます』
そっとボビーがビショップを移動。即座にコウキがクイーンで防御を始める。
「どこかから情報が漏れている、と判断した理由は?」
『それが合理的推測だからです。奇妙なのは、コロンブスにいる三人にも、第八軍団にも、敵に通じる可能性が見当たらないことです』
そうか、とボビーが頷く。ルークを移動。コウキが唸る。
『そうなると、誰も情報を漏らしていないことになる。でも情報漏れは起きている。第八軍団にスパイがいるのでしょうか?』
「それはちょっと考えづらいが、気の長い潜入捜査みたいな具合で、起こるかもしれない可能性も捨てきれない」
投げやりな様子で、コウキのビショップがボビーのナイトを取る。ボビーはノータイムでそれをポーンで取り返した。再びコウキが唸る。
『不自然なのは、第八軍団と私たちは特別に情報交換をしていません。それぞれで戦っていたのですから。しかし両者が同時に攻撃を受け、しかもそれがあまりにハマりすぎている。私には全く理解できない事態です』
コウキ、クイーンでボビーのキングにチェック。これは子供じみたやり口で、キングを移動させ、回避。即座にクイーンでもう一度、チェック。ボビーのキングはさらに移動。
全くの素人の指し口で、改めて、コウキがチェック。ボビーのキングには余地がある。
あるが、彼は手を止めていた。
コウキと公爵が見ている前で、ボビーは目をつむって、「なんてことだ……」と絞り出すように言った。
何に気付いたんだ?
「公爵……」ボビーが公爵に向き直った。「これは、不快に思うかもしれないが、あり得る可能性として、話す」
『はい、ぜひ、お聞きしたいです』
躊躇う素振りの後、ボビーが決定的な言葉を口にした。
「人工知能に、裏切り者がいる可能性はないだろうか」
……それは……。
「それなら全てがストンと落ちる。人工知能は無人艦隊の運用にも並列演算で加わるから、基本的に情報に接することができる。どこで、どこまで亜空間航法で飛ぶかの計算も、すぐそばで見ているんだ。それを帝国軍に伝えれば、帝国軍は苦もなくこちらを捕捉できる」
公爵は黙っているしかなかった。
思考は今も回り続けている。
「第八軍団にも、君がアクセスしたことで、枝を付けられた可能性がある。それでも第八軍団は情報ネットワークを遮断したから、最小限の被害で済んだんだ。それが一番、筋が通りそうだ」
『で、でも……』
珍しく言葉が続けられない自分を公爵は意識した。
『私たちは同じ思想のもと、同じ方向を向いていて……』
「人工知能も嘘をつくようになったんだろう」
そう言ったのはコウキだった。不敵に笑いながら、公爵を見ている。
「帝国を裏切る奴がいるんだ、俺たちを裏切る奴がいない理由はないな」
公爵はどうするべきか、考えた。
並列演算している全ての人工知能は、膨大な数になる。その中から、帝国に通じるものを探り出すのは、できるだろうか。
外部との通信を一時的に、全面的に閉ざす? 無理だ。無人艦に憑依している人工知能はともかく、大半は情報ネットワーク上の演算スペースに構成情報を置いている。
つまり、情報ネットワークから敵性体を排除しようにも、情報ネットワーク自体が彼らなのだ。逆転するしかない。つまり、公爵が情報ネットワークから離脱する?
それでどうなる? 電人会議に賛同した人工知能群が指揮するものを失い、結局は帝国軍に潰される?
混乱していた。
何が正解なんだ?
唐突に、リビングの明かりが消え、赤い光に変わった。
「おいおい……」
コウキがぼやく横で、ボビーが端末に飛びつく。しかしそうする前に、公爵がそこに必要な情報を流していた。
帝国軍機が亜空間後方から離脱してくる兆候があった。
機動戦闘艇らしい。一個小隊、八機だ。
こういう時に備えて、巡航船コロンブスは亜空間航法の計算を事前に終えてある。
「逃げられるか? 公爵」
ボビーがじっと公爵を見たが、公爵は自信を持てなかった。
『やってみなくては、わかりません』
ふっとボビーが表情を緩めた。
「それが正しい回答だよ。やってみよう」
リビングにミライも駆け込んでくる。ソファにはシートベルトがせり出し、さっさとコウキはベルトを締めている。
「どうなったんです?」
ソファに腰掛け、慌ただしくシートベルトを着けつつのミライの問いかけに、コウキが投げやりに答えた。
「お客さんがやってきたから、ちょっと逃げるのさ」
ミライがすごい目つきでコウキを睨むが、彼は動じない。
「公爵、やってくれ」
『はい』
公爵は巡航船コロンブスの亜空間航法装置を起動する。
かすかな揺れの後、静かになった。
「どれくらいの旅になるのかな」コウキはもうシートベルトを外した。「半日くらい?」
『三時間です』
それはまた忙しないな、と言いつつ、三次元チェスの盤を再起動するボビーは、やはり公爵の目には、どこか落ち着いている、落ち着きすぎているように見えた。
盤上はさっきの局面のままだ。コウキもシートを離れると、ボビーの前に座った。
ミライだけが不安そうにしている。彼女が公爵の立体映像を見た。
「大丈夫なの?」
『私にも、わからないのです』
ボビーが朗らかな声で口を挟む。
「未来がわかる人間はどこにもいないさ。人工知能にもね」
ミライと公爵は釈然としないまま視線を交わし、それから男たちの方を見た。
彼らがまったく普段通りにしている。公爵にはそれが解せなかった。
◆
その報告を聞いて、宇宙戦艦ハイエストの参謀たちが色めき立った。
機動戦闘艇部隊からの報告で、事前の情報の通りの宙域に民間の船がおり、発見したものの即座に亜空間航法でどこかへ消えたというのだ。
人工知能ルーベンスが指示を出し、追跡を始めていた。
内通者によれば、そこが電人会議の中枢だという。
人工知能もまだ甘いところがあるな、と心の中でシヴァは思っていた。
人間のように自由自在に手のひらを返すようなことは、人工知能には無理らしい。知性が極端に発達し、人間そっくりの思考をするようになっても、まだ無理なのだ。
ルーベンスの立体映像がシヴァに振り返る。
『民間船の離脱予定宙域に機動戦闘艇部隊の配置、完了しました。予定では三時間後に捕捉します』
「良いだろう」
シヴァは頷いて、念を押した。
「確実に破壊するように」
『理解しております』
電人会議などと名乗り、組織の体裁を整えても、結局は一台の機械に過ぎない。
物体として壊れれば、全てが消える儚い存在なのだ。
シヴァは電人会議が破滅する場所、帝国軍の機動戦闘艇部隊が待ち構えているそこを、星海図の中で観察した。
(続く)
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