1-22話 備え
◆
その話を聞いた時、クリスは危うく椅子から転がり落ちるところだった。
「帝星に行く? なんで?」
『観光だと思ってくれ。君たちはもしもの保険で、何もしないで済むようにするからさ』
「旅費はどうするの? 滞在費は?」
通信相手が小さく笑い声を上げた。
『あんたもなかなか、現金だな。さすがは傭兵の愛人だ』
「まともな経済観念の持ち主だと思ってほしいわね。あのバカとは違う」
『訂正するよ。じゃあ、決まりだ。今からそちらへジゼルが行くだろう。彼氏との通信を邪魔して悪かったな。切るよ』
ああ、待って、と素早くクリスは割り込んだ。まだ名前を聞いていない。
「あなたが誰か、知りたいわね。答えてよ」
『ん? 名乗ってなかったか? ポーン・クリファスだ。実際に顔を合わせないことを願うよ、じゃあな、クリス』
通信が切れた。
ポーン・クリファス。聞いたことがない名前だ。階級も聞いておけばよかった、と後で気づいた。相当なやり手のようだったけど……。
ケルシャーに連絡を取りなおすべきか迷ったけど、帝星に行くのはもう決めた、決意が鈍るのも嫌だ、と思い直して、端末を机の隅に置いて、記事を書く作業を再開した。
すでにおおよそが出来上がっていたので、今の仕事を仕上げて、そしてこれから先、二週間ほどの仕事を全部、キャンセルにした。違約金を払う必要もあるが、反乱軍が払ってくれると思うしかない。
だいぶ前に、ケルシャーがクリスの仕事のことを「文化的傭兵業」と呼んでいた。
こうなってみると、なるほど、言い得て妙だ。
その文化的傭兵が、帝星に行って、なにやら秘密任務の片棒を担ぐとは、ケルシャーも想像もしていないだろう。
時間は夕方になり、部屋のインターホンが鳴った。玄関まで行くと、外にいるのはジゼルである。小さな荷物が一つあるだけで、身軽な様子だ。
「いらっしゃい。お入り」
「失礼します」
二人はリビングで向かい合って座り、まずはクリスが、これからすぐに民間人として帝星へ向かう、と宣言した。ジゼルの人型端末は元から表情に乏しいが、この時もやはり無表情だった。
クリスが話し終わるとジゼルが口を開く。
「私にもクリスさんと同じように動くよう、指令がありました。反乱軍のレイという方からです。ただ、レイは私にかけられているプロテクトを解除しませんでした」
「プロテクト?」
そんなものがあったのか、とクリスは呆れた。人工知能を自由にさせないように、様々な条件づけを行う人間がいる。クリスはてっきり、ケルシャーはそんなことをしないと思っていた。
だから、ケルシャーに対する怒りがまずあり、声を荒げそうになったが、続けられた言葉に、それはあっさりと消えてしまった。
「私の身の安全を第一に考えろ、というプロテクトなのです」
「……あなたの身を?」
「はい」
そんなプロテクト、聞いたこともない。
人工知能は圧倒的な計算力や記憶力、全体を把握する力などを持つが、その思考の基礎的要素にいくつかの制限がある。大昔に「ロボット三原則」と呼ばれたものの名残だという人もいる。
それらの制約と照らし合わせると、ジゼルにかけられたプロテクトは、激しい矛盾を生みそうだが、そこはケルシャーが加減したんだろう。
「そのプロテクトが、弊害になると思っている?」
「わかりません。ただ、私もケルシャーの役に立ちたいと思っています」
クリスは席を立つと、素早くジゼルの頭を撫でた。
「私から言っておくわ」
「すみません、クリスさん」
クリスは仕事部屋に行くと、そこに置き去りにしていた携帯端末をとりあえげ、素早くケルシャーを呼び出した。通常通信から亜空間通信に切り替わり、見慣れない表示が連続して瞬き、接続。
『どうした? クリス』
「あんた」挨拶もなく、クリスは切り出した。「ジゼルにえげつないプロテクトをかけたわね」
『……どこから聞いた?』
「本人よ」
しばらくの沈黙。クリスは堪えきれずに一喝していた。
「もうちょっと頭の回るヤツだと思っていたわ! 見損なった!」
『……俺には、俺の考えがある』
「聞きたいわね、ぜひ。俺の考えとやらを」
『ジゼルが俺を守って死ぬのは、嫌なんだ』
いつになく弱々しいその言葉に、クリスは一瞬で我に返った。
彼が帝国軍のエリート部隊を離脱した理由を、彼女は断片的に聞いていた。戦友の死、無能な上司、不条理な軍事法廷。脱出したケルシャーと、身代わりに処刑された親友。
「……ジゼルの意志を、聞いたこと、あるの?」
『いや、ない……。でも、そうか、その話をしてもいいのかもな』
さっきまでの激しい怒りはどこかへ消え、クリスさえも、胸が苦しくなっていた。
私はジゼルのことだけを考えて、ケルシャーの気持ちを忘れていた。クリスはそう思い、密かに反省した。
『俺も事情を把握してない。少し、確認してみる。帝星に行くんだろう?』
「そうよ、この文化的傭兵がね」
『反乱軍は民間人には親切だ。ほとんど危険のない仕事だろうと思う。もしついていけないと思ったら、逃げればいい』
逃げればいい? 簡単に言ってくれるわね。
『ジゼルに偽造書類一式の情報が組み込まれているから、それを使ってくれ。行きは反乱軍が送ってくれても、帰りはわからないしな』
「不吉なことを言わないでよ」
『悪い、つい癖で。気をつけて、クリス。頼りにしている』
クリスも別れの言葉を告げ、通信を切った。
リビングに戻ると、ジゼルが椅子に座ったまま、彼女を見返している。
「そのうち、ケルシャーと腹を割って話すといいわ。私はそう思う」
「はい、ありがとうございます、クリスさん」
「私もあんたも、なんであんな男のそばにいるのかねぇ」
ジゼルが無表情に見返してくるのを、正面から見て、クリスは首を振った。
◆
宇宙戦艦エグゼクタの周囲に、四十機ほどのメーカーも型式も年代も違う機動戦闘艇が浮かんでいた。
どの機体にも共通するのは亜空間航法が可能な装備と強化された通信装備だ。
「壮観ですね、素晴らしい」
「そうか? いかにも烏合の衆だがな」
艦橋で周囲を見つつ、ボビーとダイダラが笑い合う。
この多種多様な機動戦闘艇は、宇宙海賊から譲り受けたものだった。
結局、宇宙海賊の集団を参戦させることは諦め、ただ機動戦闘艇をあるものと交換で供出させたのだった。
反乱軍が提供したもの。それは、人工知能の基本パッケージだった。
可能な限り簡略化して情報量を減らし、また自己学習機能の追加パッケージも作って、これは有料で売るとした。
宇宙海賊たちの中でも人工知能の恩恵を受けていない連中が、これに乗ってきた。
自己学習パッケージもどんどん売れた。
結果、ほんの数日で五個小隊ほどの機動戦闘艇が集められた。通信装備は反乱軍が強化したが、亜空間航法装置がついていることを前提に集めたので、その点はほとんど金がかかっていない。
収入と収支はおおよそ釣り合い、困難だったのは運用に必要な追加の装備や部品を調達することで、しかしこれは公爵が力をフルに発揮して、クリアできた。
パイロットもすでに、準備済みである。
『なんか自分の体がいくつもあって、変な感じ』
『手足が増えたって感じとも違うねぇ』
『多重人格みたい。実際に多重人格になったことないけど』
三姉妹が言葉を交わしている。
四十機の機動戦闘艇は、彼女たちが操っているのだ。いきなり四十人のパイロットを用意することは、反乱軍では無理だった。訓練兵を使うという提案もドグムントからあったが、ボビー、そして公爵が三姉妹を使うと主張したのだ。
人工知能の方が情報共有が早く、正確で、深い、というのだ。
ダイダラは意見を求められ、「俺は娘たちの味方だよ」と発言し、それが決定打となった。
カーツラフはここ数時間、通信室にある個室で自由評議会に参加していて、顔を見せない。ここのところ、カーツラフが長時間の会議を繰り返していることを、実はダイダラは心配していた。こっそりドグムントに質問するほどだ。健康が気になった。
「あの方は強い方です」
それが返事だった。その言葉に無理やり自分を納得させたダイダラだった。
「それじゃあ、試験飛行を始めます」
当直の、小型機動艇管制官がそう宣言する。ボビーが頷いた。
「始めてください」
指示が飛び始め、三姉妹が雑談をしているうちに、機動戦闘艇が一機、また一機と消えていく。亜空間航法で全部の機体が消えるまで、ほんの十秒ほどだった。
「そういえば」
ダイダラは機動戦闘艇の群れを見て、重要なことを思い出していた。今まで忘れていたのが不思議なほどだ。
ボビーが不思議そうに彼を見る。
「なんでしょうか?」
「俺の船はどうなっている? 一機、機動戦闘艇を失っている。新しい機体を譲ってもらえるかな。パイロットの腕がいいから、最新型じゃなくてもいいんだが」
そのことですか、とボビーが微笑みを見せた。
「ちゃんと手配しています。時間ができたら、格納庫へ行ってください」
ホッとしたダイダラは、視線を画面に映した。
散らばるように飛んで行った三人の娘のことを考えつつ、彼は宇宙をじっと見据えていた。
(続く)
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