SS第10話 流れ星

第10-1話 星を見るもの

 僕はその映像にのめり込んでいて、周りの音が聞こえていなかった。

「スーン! 聞こえているの!」

「何っ?」

「朝ごはんよ!降りてらっしゃい!」

 父さんのおさがりのヘッドマウントディスプレイを外すと、そこは平凡な高校生の、普通の部屋だった。

 しかし、アイドルのポスターの代わりに、古びた天体写真の動画ポスターが貼られている。

 部屋を出て一階のリビングに降りると、母さんが待ち構えていた。

「早く食べて学校行きなさい! もう先生から遅刻の報告を受けるのは嫌よ!」

「はいはい」

 僕は机の上のトーストに大雑把にジャムを乗せて、強引に二つに折って口に突っ込んだ。

 そのまま部屋に戻り、器用にトーストを咀嚼しつつ、制服に着替えた。

 一階に下りるときにはトーストは全部飲み込んでいた。リビングの机の上の牛乳を飲み干す。

 歯を磨いていると母さんの声だけがした。

「野菜も食べなさい! 野菜も!」

「夕飯で食べるよ」

 口をすすいで、顔を洗う。

 もう一度部屋に戻り、カバンを掴んで、玄関へ。

「行ってきます!」

「気をつけてね! スーン!」

 外へ飛び出すと、朝の光に満ちた青空が広がっていた。

 惑星ロケローは平和に回っているようだ。

 自転車に飛び乗り、走り出しつつ、僕の頭の中には一つの映像が浮かんでいた。

 どこかの惑星を衛星軌道上から撮影しただけの映像だ。

 でもそれがとびきり、美しい。

 僕は自転車をこぎながら、意識はほとんど、どこかの惑星の衛星に飛んでいた。


 学校から帰ってきて、おやつのヨーグルトを食べてから、部屋に駆けあがろうとする。

「宿題、ちゃんとやりなさいよ!」

 母さんは油断も隙もない。

「わかってるよ」

 部屋で制服を脱いで、雑にハンガーに引っ掛けると、部屋着姿になって僕はディスプレイをかぶった。

 とっくの昔に同じ大きさで三次元映像を意識に直接、送りこめる装置があるのに、これにはそんな機能はない。

 ただ映像を見るだけだ。

 しかし普通のモニターよりは臨場感があるから、使っている。

 視界を埋める映像の中で、亜空間通信を利用した情報ネットワークにアクセス。

 ネット上の動画投稿サイトにアクセスする。これも大昔からある。

 目の前で再生させるのは、「スターウォッチャー」という名前のアカウントの動画で、今はまだ生配信はやっていないので、ちょっと落胆する。

 しかし僕が学校にいる間に投稿された映像があるので、それを眺めた。

 真っ青な惑星が写っている。

 雲が流れていく速度で、この動画が早送りの映像だとわかる。

 そのまさに雲が流れていく様が、どういうわけか、僕の琴線に触れる。

 時間が流れていること、全てが変化すること、そういうものが実感できるのだ。

 たまに小さな衛星か何かが大気圏に突っ込んで一瞬の閃きになるのも、僕には心躍る瞬間である。まぁ、それは滅多にないけど。

 映像は十分ほどで終わる。

 端末を操作して、スターウォッチャーが生配信を開始したら音で知らせるように設定し、ディスプレイを外した。

 目元をもみほぐしつつ、僕は机に向かい、鞄から取り出した端末で学校の宿題を始める。

 遅刻の常習犯であり、課題未提出の常習犯と目されている僕だけど、それも全部、スターウォッチャーが悪い。

 彼はどういう生活をしているのか、生配信を行う時間がまちまちなのだ。

 どこでどう生活しているか知らないけれど、完全なる不定期で、朝方、真昼間、夕方、深夜、明け方、いつ始まるかわからない。

 予告してもいいものだけど、彼はそういうことをしない。

 突然に生配信が始まる。

 もう一つ、奇妙なのは、彼は音声や音楽を全く使わない。

 完全なる無音の中で、惑星がぐるぐる回っている様を、映しているだけだ。

 僕はネット上のコミュニケーションサイトで、数人のスターウォッチャーファンと交流しているけど、彼らも、誰一人としてスターウォッチャーの正体を知らない。

 一人だけ、彼と連絡を取ったことがある、と話しているメンバーがいるけど、眉唾だ。

 僕は何度か、動画投稿サイトで、彼のアカウントへメッセージを送っている。正確に言えば、送り続けている。

 我ながら、ストーカーのような気もするけど、動画がアップされるたびに、僕は感想を送っているのだ。

 生放送中にも何度もメッセージを送るけど、例によって、「彼」は無言だ。無反応。

 そもそも「彼」なのか、「彼女」なのか、それさえもわからない。

 ファンの間では、「彼」だろう、と考えられているけど。

 宿題をやっているうちに夕飯になり、母さんに呼ばれた。一階のテーブルの上で、ハンバーグが湯気を上げている。

「父さんからメールがあったわよ」

 良いながら、母さんが端末を差し出してくるけど、僕は首を振った。

「また同じ内容でしょ? 後で見るよ」

 そそくさと僕は席に着き、ハンバーグに取り掛かった。

「同じ内容でも、見れば良いじゃないの」

 母さんは不承不承という感じで端末を引っ込め、僕の前の席に座った。

 父さんは帝国軍人で、常に色々な場所を飛び回っている。階級はたぶん軍曹で、名前も知らない船で大砲を撃ちまくっているらしい。

 反乱軍にでも撃ちまくるなら格好もつくけど、撃っている相手はただの的らしかった。

 つまり後方の艦隊勤務で、訓練しかしない。

 なんか、カッコ悪いなぁ。

 僕はどうしてもそう思ってしまう。

 母さんが始めた近所の人の噂話を聞き流して、僕はハンバーグを食べていたけど、二階からその音が聞こえた。

 スターウィッチャーが生配信を始めたんだ!

 僕はハンバーグの皿を持ち上げて、階段へ走った。

「スーン! 行儀が悪いわよ!」

「後で返す!」

「野菜も持って行きなさい!」

 野菜は諦めて、僕は部屋に入ると口元のソースを手の甲でぬぐいつつ、ディスプレイを頭につけた。

 端末を素早く操作すると、目の前に一つの星が浮かび上がった。

「わお」

 思わず、声が漏れた。

 地球化が進んでいるその惑星は、ほとんど海がなくて、大地は緑に包まれている。海がないわりに雲が多いな。

 今は生配信なので、映像にはほとんど動きがない。

 わずかに動いているのは、スターウォッチャー自身が動いているのだった。

 それもそうだ。彼は宇宙に漂流している何かではないから、輸送船か何かに乗っているんだろう。

 ネット上で議論されるのは、スターウォッチャーのカメラはどこにあるのか、というテーマだけど、僕はそれほど気にしない。

 彼が手でカメラを持っているわけではないのは、明確だ。

 なら、輸送船か何かの外部に、カメラをくっつけているしかない。

 そうすると、スターウォッチャーは輸送船を私有しているんだ。あるいは会社の輸送船に、許可があるかないかは不明だけど、カメラをくっつけている。

 ただ、頻繁に様々な惑星の映像がネット上に投稿されるので、スターウォッチャー複数人説を、僕もはっきりとは否定できない。

 僕の感覚だと一人なんだけど。

 映像を見ながら、僕はメッセージを送った。

「緑って癒されますね。この惑星の空気、ものすごく綺麗だろうな」

「雲の模様が面白い! 海がないのに、不思議です」

「衛星がありますね。ほとんど星の向こうだけど」

 そんなことを送ったけど、反応はない。

 めげそうになるけど、頑張ろう。

 その時、映像の片隅にかすかに赤い光が見えた。粒のようだったそれが、少しずつ細い細い線になっていく。

 素早くメッセージを送った。

「流れ星だ!」

 メッセージを送った時には、その大気圏に何かが落ちてできた流れ星は消えていた。

 その時、小さなチャイムと同時に、メッセージの着信の表示が出た。

「え? え?」

 無意識に端末を操作すると、知らないアカウントからのメッセージだった。

 いや、違う。知っている。何度も見てきた。目の前のアカウントを示す数列は、無意識に繰り返し見ていた。

 そう、そのアカウントの数列は、スターウォッチャーのアカウントだ!

 開封したメッセージは簡潔だった。

「視聴してくれてありがとう。一瞬だけど、綺麗だったね」

 それだけだ。

 僕はかなり迷ってから、返事を送った。

「こちらこそ、中継映像、ありがとうございます。感動しました」

 もう返事はなかったけど、僕は興奮して、その場で座ったまま飛び跳ねた。

「スーン! 何してるの! 静かにしなさい!」

 でも僕は二度三度と、体を跳ねさせた。

 すごいじゃないか! スターウォッチャーが返事をくれたんだ!

「スーン!」

 さすがに僕は動きを止めて、まだ続いている生放送を見ていた。

 彼も今、この光景を見ているんだ。

 どこにいるかわからない彼と自分が、同じものを見ていると思うと、不思議だった。

 流れ星を待ったけど、その日はもう、流れ星は見えなかった。



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