第8-3話 帝国
それから一ヶ月ほどして、ファクロは小学校へ通うことになった。彼は十歳で、マッタスが使っていたカバンや帝国共通教科書を持って、登校していった。
全てが平和に流れていくように思えた。
しかし、問題はすぐに起きた。
学校から連絡があり、ファクロが同級生を殴り倒したというのだ。
信じられない思いのまま、私は小学校へ急いだ。
普段は使われていない教室で、教師とファクロ、そして知らない中年女性がいた。その女性は怒りの気配を発散させている。その女性が、相手の子供の親なんだろう。
ファクロを見ると、彼はいつも通り、平然としている。
教師が私に椅子を勧め、話し始めた。
事態は最初は無害にも思えるところから起こっていた。
子供たちがよくやる、反乱軍と帝国軍ごっこに、ファクロが混ざったのだと言う。
ファクロは帝国軍だった。
リーダー格の少年が反乱軍側で、その流れで、ごっこ遊びは反乱軍の勝利、帝国軍の撤退で済むはずだった。
しかし、そのごっこ遊びは、終わらなかった。
ファクロが、帝国軍の勝利を主張した。
反乱軍役の少年が、冗談だと解釈し、ファクロを軽く小突いた。
直後、ファクロが相手を思い切り殴ったのだと言う。
この教室にいる見知らぬ女性は、やはりその殴られた少年の母親だった。
その母親は私をあらん限りの言葉で罵倒し、最後にこう締めくくった。
「自分の子どもじゃないんですから、もっと強く躾ければいいのですよ」
私はどう答えることもできなかった。
謝って、治療費も払い、私とファクロは、どこか暗い雰囲気で家路に着いた。
「帝国軍は」
ファクロが立ち止まったので、私も立ち止まる。彼はいつだったか、町の子供たちが遊んでいた場所を遠目に見ながら、言った。
「負けないんだ」
「そうかもしれないわね」
彼が私の言葉に振り返ると、射るような視線を向けてきた。
「しれないじゃない。そうなんだ」
「あなたのお父さんのことを言っているの?」
ゾントのことじゃなく、ファクロの本当の父親のことだ。
私の問いかけに、ファクロは胸を張った。
「父さんは死んでしまったけど、帝国軍が死んだわけじゃない。父さんの死の上に立って、帝国は真の勝利を得るんだ」
「そうね……」
私はもうそれ以上は何も言えず、ゆっくりとその場を離れた。ファクロも少し遅れて、ついてくる。
家に帰り、食事の支度をした。
ゾントが帰ってきて、夕飯になる。私はその場で、ファクロが起こした事件を、ゾントに話した。ファクロは逃げるでもなく、平然と食事をしている。
「そうかい」
ゾントはお茶を飲みながら、そういうと、じっとファクロに視線を向けた。
「帝国は正義かい? ファクロ」
「正義です。この銀河を統べる、唯一絶対の力です」
「うむ、立派だな」
そういうゾントの表情はどこか、悲しげだ。
「では、君がやったことは、どうなる? 一人の小学生である君が、一人の小学生を殴りつける。これでも正義か?」
「それは……」
「君は帝国国民で、相手も帝国国民だ。国民同士で争うことを、皇帝陛下は認めているのか?」
言葉に詰まったのも一瞬で、ファクロは反論した。
「彼はあの時、反乱軍でした。反乱軍が帝国軍に勝つなど、あってはならないと思います」
「真理だな」
ゾントはそういうと、少しだけ姿勢を変えて、ファクロを正面から見た。
「実際の反乱軍も、同じなんだよ。元は帝国国民だ。しかし反乱軍になってしまう」
「彼らは誤った決断をし、誤った思想に支配されている。そう思います」
いつになくファクロが喋った。
私たちはそれを喜ぶどころではなかったけど。
「だから」ゾントが少し身を乗り出す。「滅ぼすのかね?」
「いけないことですか?」
ため息を吐いてから、ゾントは軽く頷いた。
「今まで、君にこの質問はしなかった。怖かったからだ。でも、するしかない」
ゾントが身じろぎしても、ファクロは少しも動かなかった。
「君は、実の父親のことをどう思っている?」
「英雄です。命をかけて、帝国のために戦いました」
私の見ている前で、ゾントの体から力が抜けた。
私も似たような状態だった。
「あのね、ファクロ」
私はどうにか、声を絞り出した。
「死んでしまっては、何にもならないのよ」
「マッタスの話ですか?」
「違います。すべての人間が、そうなのです」
突然に、ファクロが椅子を蹴倒して立ち上がった。
「あなたたちは帝国軍人を批判するのか!」
まるで過激な政治家が子どもの姿をしているようだった。
そしてその子どもに、私もゾントも、何も言い返せないのだ。
しばらくの無言の後、ファクロはリビングを出て行った。
そして翌日からは、学校へ行かないと言い出し、部屋にこもる時間が増えるようになった。
食事は食べる、お風呂にも入る。
本を買いに行くこともある。
でも話すことはめっきり減った。
「彼には不運だったかもしれないな」
二人きりでリビングにいる時、ゾントが言った。
「私たちではない、もっと帝国軍に好意的な人間が引き取れば、彼もまた、違っただろう」
「それを今、話しても、仕方ないわ。ファクロがあんなことを言うんですもの、私たちに心を開いた証拠です」
「前より頑なになった気もするがね」
ある時、本を買いに行ったファクロがなかなか帰ってこない時があった。
不安になって探しに行くと、近くの公園にその姿を見つけた。
しかし、本を読んでいるのではない。遊んでいる子供をじっと見ているのだ。
嫌な予感がして、私はファクロに駆け寄り、彼が立ち上がるのと同時に、その腕を強く掴んだ。
驚いた顔でこちらを見たファクロを私は睨みつけた。
「何もしていないですよ」
「そうかもしれないわね。帰りましょう」
私はファクロを引きずるようにして、家に向かった。
「あなたの」私は言い聞かせるように言った。「本当のお母さんのことを、私は知りません。でも、今は、私があなたのお母さんですからね。いやでも、あなたに接しますから」
私の手の中でファクロの腕がこわばり、すぐに力が抜けた。
「あの人の事は、忘れた」
そんな言葉が返ってくる。
あの人、というのは、実の母親だろう。
私も情報ではそれを知っている。
ファクロの母親は、帝国軍人と結婚し、ファクロを生んだが、夫が反乱軍との戦闘で戦死すると、ファクロを残してどこかへ失踪してしまった。
一人きりで残されたファクロは、一人で放置されていて、半死半生だったものの、運良く保護されて、孤児院へ移された。
この経験は、生易しいものではない。
きっと、ファクロは今でも、その時のことを忘れていないだろう。
忘れさせることも、できない。
ファクロが、自分で乗り越えるしかないのだ。
家に着いて、ファクロは部屋に戻り、私は台所に立った。
ソンドが帰ってきて、リビングにやってくる。ローリーが激しく吠えている。
ファクロが来ないので、私は部屋まで呼びに行った。ドアを叩いても、返事はない。
ドアを開けると、窓が開けっ放しになっていて、ファクロの姿はなかった。
机の上には、メモがあり、それが吹き込んだ風で、私の足元まで舞ってきた。
拾い上げ、愕然とした。
さようなら。
そう、書かれていた。
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