第8-2話 親子
その次の週末も、私たちはファクロに会いに行った。
孤児院にいるのだから、外へ出たいと思うのが普通なようだが、そうでない子どもも大勢いると職員は見学者に言う。
社会に恐怖や反発の感情を持っている者もいるという。
ファクロがどの部類に入るのかは、わからない。
でも、心中には色々とあるんだろう、とは思った。
彼に、両親のことを尋ねても、返事はない。
そこが彼の防衛線なんだろう。私も妻も、焦りはしなかった。じっくりと腰を落ち着ける気になっていた。
私にはマッタスはマッタス、ファクロはファクロ、と全く別の人間に見えている。
それでもファクロにはどこか魅力を感じた。まだ十歳の少年に、何が見えるのか、それは言葉にはできない。
でもファクロという少年を前にしていると、光が差すような気がするのだ。
もしかしたら、私も妻のように、ファクロのどこかに、マッタスの何かを重ねて見ているのかもしれない。
三ヶ月ほど、孤児院へ通う頃には、ファクロは視線をたまに合わせて話をするようになり、ごく稀に小さく笑ったりする。
私たち夫婦は相談の末、ファクロを引き取ることにした。
経済的な余裕はあるし、家だって、二人で住むにしては広すぎる。
ファクロのことを無視できなくなっている自分たちもいた。
手続きは意外にあっさりと終わり、ファクロもすぐに承認した。
孤児院を出るとき、ファクロは静かな瞳で、その建物を眺め、背を向けた。涙を流したりは、しなかった。
私たちは、ファクロが泣くところはおろか、声を荒げるところさえ、見ていなかった。
家に着くと、片付けられている子供部屋に、ファクロを案内した。彼は無言で家具をチェックし、軽く頷いた。
初めての三人の食事は、私たちばかりが話をして、ファクロは聞き役というか、ただその場にいるだけになった。
さすがに私たちも気まずかったものだ。
翌日には孤児院から荷物が届き、子供部屋は、瞬く間にファクロの部屋に変わった。
私は仕事へ行く前に、必ずファクトの肩を叩いた。ハグするほどではなく、しかしある程度の愛情は示したかった。
玄関まで出てくる妻の横にいるファクトの肩をポンとする。
「お母さんを頼むぞ」
「はい」
お母さん、という言葉が気にならないように、ファクトは素直に頷く。
すり寄ってくるローリーを撫で回してから、私は家を出た。
外の景色が、わずかに彩りを増したように見えた。
私、キャロラ・ニクスンの二人目の子供、ファクロは不思議な子供だ。
まず、口を開くことが滅多にない。
もちろん、挨拶や返事はする。でも話しかけてくることはなくて、大抵は本を読んでいる。
本ならなんでもいいようで、私がこの街で一番最初に彼を連れて行ったのも、古本屋だった。
古本屋に行った理由は、彼が紙の本を欲しがったからだ。
この時だけは、彼は、「紙の本を買ってくれませんか?」と私に言った。
「紙の本? 電子書籍じゃダメなの?」
「はい」
断固とした意志を含んだ返事だった。
というわけで、古本屋で、彼は五冊ほどの文庫を買った。
「紙にこだわりがあるのね?」
帰り道で尋ねると、彼は「はい」とだけ、答えた。
「はい、じゃ分からないわ。どういうこだわりなの?」
「母が、紙の本が好きだったので」
母、か。
私は少し悲しい気持ちになりながら、「そうなのね」と平静を装って、答えた。
家でのファクロは、ほとんどの時間を自分の部屋で過ごす。私は午前と午後に一回ずつ、おやつを運んでいた。
「下で一緒に食べない?」
そう誘うと、、彼は「はい」と返事をして、リビングへやってくる。でも話をするのはほとんど私だ。
面白いのは、ローリーはなぜかファクロになついていて、彼がリビングに来ると、私のことなんて視界に入らないように、ファクロにまとわりつく。
珍しく、ファクロも微笑んで、ローリーを撫でている。
ローリーの散歩へファクロと行くこともある。ローリーは嬉しそうだ。私はファクロにリードを持たせていて、彼がリードを持つと、ローリーのゆっくりと進む様がどこか可笑しい。
二人と一匹で歩いていると、近所の小学生が遊んでいる。いつもの帝国軍と反乱軍ごっこだ。
今日はガキ大将のポジションの少年が反乱軍らしい。
「帝国軍は壊滅したんだぞ! さっさと救援を呼んでこいよ!」
そんなことを言うと、周りの少年たちもやり返す。
「反乱軍が帝国軍に勝つなんてことがあるもんか! 負けを認めろよ!」
「嫌だね。理由は簡単だ、俺が反乱軍に入れば、帝国軍がどれだけ多くても装備が強くても、帝国軍の方が負けちまうんだ。俺は軍神だからな!」
「それはインチキだ! 反乱軍と帝国軍は宇宙で戦ってるんだぞ! しかも戦艦と戦艦で! お前みたいな一人の人間で変わるもんか!」
そんなやり取りをしているところへ、どうやって聞きつけたのか、家から誰かの母親らしい女性が飛び出してくる。
「やめなさい! 変なことを言っていると、警察が来るわよ!」
強いが、声はひそめられている。
少年たちはふざけるのをやめて、その女性の指示に従って、それぞれの家に駆け足で戻っていった。
私たちに気づいて、女性は苦笑いすると、自分の息子とともに、家に戻っていった。
「おかしなものよね」
私はファクトと一緒に再び歩き出しつつ、言っていた。
「反乱軍が勝つ、ということは、子どもの遊びの中で禁止なの。敗北主義者だ、ってことで、検挙されちゃうの」
ファクロは何も言わなかった。
家に帰ってみると、郵便の中に赤い封筒と黄色い封筒がある。それはリビングに置いておいて、後で見ることにする。
食事を作っていると、主人のゾントが帰ってくる。
三人で食事をする。ゾントは一日の様子をファクロに尋ね、ファクロは読んだ本のタイトルを挙げた。ゾントも昔は文学青年だったので、知っているタイトルもあるようだ。
食事が終わり、ファクロは自分の部屋に戻っていった。
食事の後片付けが済んだら、私はリビングで、少しだけ酒を飲んでいるゾントの横に座り、例の赤い封筒と黄色い封筒を開封した。
「国防のための寄付、と、軍人援助会、か」
前者が赤い封筒で、後者が黄色い封筒だ。
国防のための寄付とは、つまり軍事費になる寄付を求めるもので、この寄付は任意だが、ほとんどの帝国国民が支払っている。実態は義務なのだ。
軍人援助会、というのは、傷病兵や、戦死した兵士の遺族に支払われる見舞金を、わずかながら底上げするための、半分は民間の組織である。
これも寄付という形のはずが、帝国民であれば、払わなければならない、という空気になっている。
しかし私はどちらも払いたくなかった。
どうしても、マッタスのことが思い浮かぶ。
軍に少しでも協力するのは、マッタスへの裏切りではないのか。
じっと二通の封筒を前に黙り込んでいる私の横で、ゾントは渋い顔で、やっぱり封筒を見ていた。
「良いじゃないか、キャロラ。よく考えよう。すぐに動かなくても良いさ」
私は頷くしかない。
封筒は、目の前にある。消えて無くなることは、ない。
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