ALL IN GUN -1秒にして無限、そして奈落へと続く戦士の回廊

和泉茉樹

序章 突然の世界

突然に目が覚めた、と思ったら、夢の中だった。

 自分の体がふわふわと浮かんでいて、周囲には何もない。

 夢以外ではありえないな。

 何せ、何もないが、闇でもない。遠くまで見通せる気がするのだ。でも何もないので、距離感は曖昧だ。

 その空間に滲み出すようにそれは現れた。

 黒いローブで体を包み、そのフードは顔を隠している。

「初めまして、レイル・ハクオウ」

 声をかけられても、どう応じていいか、わからない。

 やけに明瞭な声だった。天の声、と言ってもいい。

 とりあえず、こちらも声が出せることを確認しよう。

「初めまして」

 答えることができた。それと同時に、体の感覚が起動したのに気づく。

 やはり自分は浮いている。重力がないようだった。目の前にいる真っ黒としか表現できない誰かも、当然、浮いている。

 どちらにせよ、これは現実ではない。

 現実ではないし、もしかしたら、夢でもない。

 夢にしてはあまりにも感覚がはっきりしすぎている。自分も、周囲も。

 何より、根拠のない安心感がある。

 現実でも夢でもない空間を、僕は知っていた。

 魔法によって構成される、精神場だ。何度か経験しているけど、ここでは精神で相手と対面できる。

「私のことを知っているか?」

 黒い相手が聞いてくるけど、返事は決まっている。

「知らない」

 何が面白いのか、笑い声が返ってきた。控えめの、抑制された笑声。

「これでも有名人のつもりだった」

 有名人らしい。僕はちょっと考えた。どこかで噂程度に聞いたかもしれない。

 うーん……。

「……やっぱり、知らないな」

 さっぱりだった。

 そんな僕に、相手はあっさりと応じた。

「三人の神官と呼ばれているよ。それでも知らないかい」

「あ……」

 思い出した。今度こそ、はっきりと。

「あの、遊戯創造者の一人の?」

 三人の神官は、僕でも知っている。

 魔法を流用した仮想遊戯の創造を行っているものの中でも、最高位と目されている魔法使いの三人。

 彼らが、仮想遊戯を嗜む人々の間で、三人の神官、と呼ばれているのだ。

 彼らの正体は、全く知られていない。僕も顔どころか、彼らの仮想体すら知らない。極めて限られた、選ばれたものしか正体を知らず、仮想体を見たと公言する連中も、どこか嘘くさい。

 こうして神官の一人の仮想体を前にしている、という状況は、極めて特異だった。

 いよいよこれは夢ではないぞ、と僕は身構えた。

 夢ではないどころか、重大な事態とも言える。

 三人の神官が姿を隠すのには、相応の理由がある。

 国教が否定的な仮想遊戯を創造し、かつ、その遊戯では魔法的倫理に反するとされる三人の神官。彼らは表の世界には、絶対に姿を見せないというか、見せられない。

 この理由を考えれば、僕が置かれている現状をどう判断すればいいか、自明だ。

 かなり危険な状況、な気がする。

「私は黒の悪魔と呼ばれている」

 この段になると、正体を明かされることも、恐怖と不安しか生まない。

 知りたくないことばかり、続く。

「なんだ、驚かないのか」

「驚きすぎて」

 僕は声の震えをどうにか抑える。

 ここに至って、落ち着いている方が無理だった。

「麻痺したかな、心が」

「安心していい。こうして会うことも、そうはないだろう」

 いや、一回だけでもう、二度と会いたくなかった。

「それで、どういうご用件ですか……?」

 早くこの場を切り上げたくて、こちらから尋ねる。ヤケクソに近い。そんな僕の投げやりさに対して、相手が鷹揚に頷いた。

「君に贈り物がある」

「無償で?」

「今のところは」

 嫌な返事だ。いずれは見返りを求められるのかな。

「ただの魔法の基礎理論だ。君も退屈しないだろう」

「今の生活でも、退屈していないんです……」

「楽しめること、請け合いだ」

 すっと黒の悪魔がローブの下から手を伸ばす。やたら白くで、骨張っていて、不気味である。

 その指先から光の線がこちらへ流れてくる。

 拒否権はないらしい。こっちへ来るなと念じても、光の線は伸びてくる。

 よく見ると、光は数列のようだった。いや、数字ではない、魔法文字か。

 その文字列が僕に絡みつく。少し、絶望的な気分になる。

 じんわりとそれが体に染み透った。

 はっきり言って、拒絶したかった。したかったけど、結局、僕は小指一本動かせず、少しの抵抗もできなかった。

「さあ、楽しみたまえ。君の力を見せてくれ」

 そんなこと、言われても。

 何をすればいいんだ? 何が起こるんだ?

 黒の悪魔のフードの下に、彼の顔が見えた。

 素顔ではなく、髑髏のような仮面に覆われている。

 その体が光を伴って爆ぜる。反射的に瞼を閉じていた。

 重力を感じて、慌てて姿勢を整えた。

「え? ここは……?」

 目の前の光景に、僕は腰が抜けそうだった。

 違う、腰が抜けた。

 どこかの草原に、僕は座り込んでいる。服は作業着のようなつなぎになっている。

 草の丈が長くて、遠くが見えない。ただ、音は草が風に揺れる音だけだ。

 足腰が回復したので立ち上がり、周囲を見る。

 だだっ広い草原だけど、山手も近い。木が何本も密集して生えている、ちょっとした林も遠望できた。

 しかし、人の気配がしない。

「どうなっているんだろう?」

 自分の体を確認する。リアルに限りなく近い感覚、いや、リアルそのものだ。

 風が吹き抜ける。空気が周囲を撫ぜていく。現実味に溢れた草と土の匂い。

 右の袖をめぐって、腕を確認する。

 現実と同じく、意識に従って、右腕の魔法端末に魔法文字が浮かび上がる。

 オール・イン・ガンへようこそ!

 そう書かれていた。

 なんだ? これは?

「オール・イン・ガン?」

 腕を左手の人差し指でなぞり、文字を先へ進ませる。

 あなたは今から、戦士です。さあ、銃を手に取ろう!

 銃?

「わ!」

 何かが右手の中に出現し、反射的に掴んでいた。

 それは、銃だった。拳銃。どこかの本で見たことのある、六連発のリボルバー。

 重さがやけにリアルで、どこか金属の香りが漂う。

 改めて、右腕の魔法文字を確認するが、先ほどと文字は変わっていない。

 あなたは今から、戦士です。さあ、銃を手に取ろう! 

 指で操作しても、もう文字は変わらない。

 戦士と言われてもなぁ。

 それ以上は何の説明もないらしい。

 先ほどの黒装束が、本当に黒の悪魔で、本当に三人の神官の一人なら、事態ははっきりしている。

 僕は仮想遊戯の世界に取り込まれているわけだ。

 僕もいくつかの仮想遊戯をプレイしたことはあるけど、今の状況とは全然、違う。

 今までに遊んだのは、もっと簡素な明細度だったし、そもそも、こちらから世界に入り込む魔法理論を起動した。

 こんな強引に仮想遊戯に放り込まれるなんて、常識外れどころか、犯罪レベルだった。

 三人の神官が表に出られないわけだ。

 仕方なく拳銃を確認する。銃弾は入っている。しかし、発砲する気にはなれない。

 銃なんて、実際に触ったことがない。見たこともない。博物館で見たくらいだ。

 どこか恐さがつきまとう。拳銃があまりに本物に近い気がするのも、躊躇う理由だ。

 再度、周囲を確認。とりあえずは、見渡す限り、草原。

 銃。草原。

 嫌な予感がした。

 どういうゲームかは、はっきりしないが、しかし連想はできる。

 銃を持っているということは、何かしらの標的を撃つ可能性もある。

 だけど、今、標的はない。

 では、標的とは?

 たぶん、他のプレイヤーだ。

 そして僕も、プレイヤー。

 さらに言えば、ここは草原の真ん中で、何の障害物もない場所に、僕は立ち尽くしている。

 どこからどう見ても、揺るがない事実がある。

 今の僕は、良い的だ。

 反射的に草むらに飛び込む。まずは姿を隠すしかない。遊びとはいえ、この遊びのことをまだ何も知らないし。

 地面に同化するようにピタッと伏せて、とりあえず、周囲を確認する。

 音、気配、ともに何もない。

 誰もいないのか?

 しばらくじっとしていたけど、何も起こらない。本当に、誰もいないのか?

 恐怖が薄れて、好奇心がやってきた。

 いつまでもここにいるのも、ちょっと消極的すぎるか。

 じりっと匍匐前進してみる。まったく現実と同じ感覚で、逆に違和感がある。本当の世界で、本当の草むらを這っている気分。頬を撫でる草の感触さえも、本物みたいだ。

 これが仮想遊戯なら、どうにかして離脱できるはずだ。伏せた姿勢のまま、右腕を確認。魔法文字の表示は変わらない。何度か指でなぞる。無反応。

 どういう不案内さだ。

 心の中で毒づいた時、何かがすぐそばで動いた気がした。

 身を硬くして、そろそろと拳銃をそちらへ向けた。ただ、僕は周囲を丈がやや高い草に囲まれているので、視界にはその密集した草しか見えない。

 拳銃の重さを実感しつつ、気休め程度に何かの気配の方へ銃を向けておく。

 体の動きは停止、呼吸さえも消すように心がける。

 仮想遊戯とはいえ、あまりの現実感に、本物の恐怖が意識に浮かぶ。

 草むらの向こうを凝視する。

 と、何かが草を割って飛び出してくる。

「ひっ!」

 悲鳴はあげたけど、引き金はどうにか引かずに済んだ。

 僕の目の前に、カエルが一匹、飛び出しただけだった。

 なんだ、カエルか。それにしても、あまりにリアルで、不気味すぎる。ヌメヌメしているのは触らなくてもわかる。

 左手を振って、追い払うと、素直にまた草むらの向こうに戻っていった。やれやれ。

 金属質の音が聞こえたのは、その気の抜けた瞬間だった。

 音は、真上。

 本能的に転がり、うつ伏せから仰向けに。

 僕のすぐ横に、いつの間にか、見知らぬ少年が立っていた。

 その手には、僕の拳銃とは大きさが違う、短機関銃がある。

 真っ黒い銃口がはっきりと見えた。

 当然のことながら、その銃口はピタリとこちらを向いている。少年の構えも、堂にいったもので、油断も隙もない。

 まるで他人事のように、状況を観察する自分がいた。

 だって、もう抵抗できないし。諦めって、すぐにやってくるものだ。

 ニヤリと笑みを浮かべる少年を凝視して、しかし僕はどうすることもできなかった。

 状況を受ける心算だけは、していたけど。

「ルーキーとはいえ、撃墜は撃墜だ。悪く思うなよ」

 これから起こる事態は、はっきりしている。

 そしてまさにルーキーである僕に、何ができるだろう。

 できることは、撃たれるだけだ。

 痛いのかな。

 連続する銃声。銃弾が胸を、腹を突き抜ける。

 感じたことのない、短い、脳を焼く激痛、そして不自然な開放感。

 一瞬の視界のホワイトアウト。

「わっ!」

 思わず悲鳴をあげて、跳ね起きていた。

 カーテン越しの、弱い朝日が部屋を照らしている。

 無意識に布団を抱きかかえながら、僕は状況を確認する。

 手探りで胸を触るが、もちろん傷はない。痛みすらない。

 ホッとして、場所を確認することができた。

 ここは学校の寮の一室。ルームメイトは今はいない。なので、空いているベッドが反対側の壁際にある。

 間違いない、現実の世界だ。

 時計を確認する。六時前。いつもは六時半にセットしたアラームで起きている。いや、実は起きていないけど。

 いやいや、僕が何時に起きても、いいのだ。そんなことを考えるんじゃなくて……。

 もう一度、周囲を確認する。少しの疑いの余地もなく、寮の部屋だ。

 しかし先ほどまでの仮想遊戯の世界が現実的すぎて、どこか落ち着かない気持ちになる。

「そうだ」やっと頭が回り出した。「魔法理論……」

 片腕で抱きかかえていた布団を解放して、寝巻きの右袖をめくる。

 そして腕に左手を滑らせると、すぐに魔法文字が浮かび上がる。

 体に転写された、内蔵型汎用魔法端末がそこにある。

 見ると、

 あなたは撃墜されました。通算撃墜数は〇。通算参加回数は一。

 そんな文字が浮かび上がった。

 ゾッとする、というのはこういうときに使うべきだろう。

 あれは夢じゃない。実際に僕は正体不明の仮想遊戯を、プレイしたんだ。

 慌てて左手で操作すると、魔法文字が変化する。

 オール・イン・ガンを起動する。

 仮想体の編集。

 戦績。

 その三種類の表示しか現れないようだ。撃墜を伝える表示ももう出ない。

 説明も何もないらしい。やはり不案内だ。

 昨晩、ベッドに入った時は、何もなかった。だから、黒の悪魔も、オール・イン・ガンも、夢かもしれないと少し思っていた。

 でもこうなっては現実だ。

 僕の体には、オール・イン・ガンの、魔法理論が刻まれている。

 恐怖が少しずつ離れていって、別の何かが近づいてくる。

 不気味と感じる一方で、真逆のことを考える自分もいるのだ。

 あの完全に現実を再現した世界は、興味深い。興奮するような気さえする。

 仮想遊戯は学生の間で大流行りだった。実に様々な仮想遊戯が存在しているけど、当局が監視しているから、際どいものはすぐに規制される。

 それでも、次から次へと、その規制を潜り抜ける仮想遊戯が出現するのが現状だ。

 このオール・イン・ガンは、そのうちの一種だと思うし、しかし、その完成度は完璧だ。

 少しの間、僕はベッドの上で、ぼんやりとした光を放っている、朝日を受けるカーテンを眺めていた。

 ものの数分で、恐怖は消え、不気味さも消えてきた。我ながら、都合のいいことである。

 仮想遊戯とはいえ、簡単に撃墜されるのは、つまらない。

 一方で、銃なんて、使ったこともない。

 すぐにリプレイする気にはなれないな。するとすれば、もっとちゃんとした心構えが出来たらだな。

 とりあえず、今日は平日で、学校がある。

 考える時間は、十分にありそうだ。

 そう思って僕、レイル・ハクオウはベッドから降りた。

 ゆっくり支度をして、食堂で朝食だ。

 しかし、なんで僕なんだ?

 どうして、僕が選ばれたんだろう?

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