第16話
「はい。ここの利用時間はまだありますので大丈夫ですが」
何の用事なのかはいまいちよくわからないが、信者の減少に悩むマズルカ教が断れるわけもなかった。
少しでも愛想をよくして、評判を上げていくぐらいしかセシリアにはできないのだ。
「ありがとう」
気さくに返事をし、ヴェルナーはセシリアの向かい側に座った。
「それで、聖女についてとのことですが。どのようなことをお知りになりたいんでしょうか」
「うん。マズルカ教の聖女って何人いてどこにいるのかなって」
「それは現在のということですか?」
「一番知りたいのはそれだね。過去にもいたならそれはそれで興味はあるけど」
「その……大変申し上げにくいのですが……現時点で聖人認定されている者はおりません」
そもそもが信者が少ないので、対応する神官の数も少ない。
聖人として認定されるには奇跡として認定されるような活躍が必要となるのだが、そんな実力の持ち主が少ない信者や神官の中からそうそう現れることもないのだ。
名目的な地位としての聖人もありえるのだろうが、マズルカ教は構成人員が少ないため組織として簡素な構造になっている。そのため、大仰な位階制度も権威もなく、あえて聖人を名乗る者もいないのだった。
「あれ、そうなの? ニルマって人は?」
「ああ、ニルマさんをご存じなんですか。その、こちらも申し上げにくいことなのですが、マズルカ教として正式に任じたわけではなくてですね。自称されているだけなのですが……」
世話になっておいてこう言うのも気が引けるが、セシリアは嘘をつけなかった。
「自称!? ほんとに?」
ヴェルナーはあからさまに驚いていた。
その様子から、セシリアはヴェルナーはニルマと会ったことがあるのだと想像した。
「君は嘘をついてる様子はないし……いやー、まさかそんなことだとは思いもしなかったよ」
「その、ニルマさんを嘘つきだとか言いたいわけではないんですが……」
「嘘はついてないと思うよ。ニルマちゃんには、そう言うだけの力があるんだろうしね。そういえば過去の聖女てのは?」
「有名なところでは、聖セシリア様、聖ベルナレド様などですね」
セシリアの名は、古の聖女から取られたものだった。
似たような名前の者がいるとわかりにくくなるため、聖人の名前には聖を付けて呼称する。
なので、本来であればニルマも聖ニルマと呼ぶべきなのだろう。
「詳しくお知りになりたいのでしたら、聖典を読んで頂いたほうがよいかと思いますが」
もちろん、セシリアは神官なのだから各聖人のエピソードをからめつつ説教をすることもできる。
だが、ヴェルナーが今それを望んでいるわけでもなさそうだとわかっていた。
「じゃあ一番新しい聖女って誰なのかな? お墓とかある?」
「新しいとなりますと百年ほど前に列聖された聖ベルナレド様ですね。霊廟が王都の教会にありますよ」
「百年前かぁ、聖女って人間だろうし……あ! 聖人の人ってさ。遺体が腐らずにそのまま残って、聖遺物になるって聞いたことがあるんだけど?」
「いえ、マズルカ教ではご遺体を聖遺物として扱うことはないですね。マズルカの葬法は火葬でして、それは聖人においても同様です」
「じゃあ霊廟には何か残ってないの?」
「お名前を印したモニュメントがあるぐらいですね」
「そっかぁ。じゃあさ。マズルカ教に限らなければ聖女ってたくさんいるのかな?」
「他のですか? それはイグルド教さんとかでしたら、たくさんおられるかとは思いますが……」
少しばかり僻みが混じっているのをセシリアは自覚していた。
イグルド教は、オーランド王国において最大の勢力を誇る宗教だ。オーランド王が信徒であるため、ほとんど国教に近い状況だろう。
セシリアはイグルド教に明るいわけでもないのだが、それでも何人もの聖女が活躍していることぐらいは知っていた。
「わかったよ。ありがとう」
ヴェルナーは礼を言って立ち上がった。
「あの。もしかしてニルマさんにご用があったのでしょうか? 今は出かけておられますが、ドーズの街にある教会に来て頂ければ会えるかと思いますよ」
「そうだね。また会いに行くからよろしく言っておいてくれるかな」
そう言ってヴェルナーは去って行った。
結局、なんのために来たのかセシリアにはいまいちよくわからなかった。
「どうなんでしょう。私も勧誘をしたほうがいいのでしょうか」
また暇になったセシリアはそんなことを考えていた。
今日の予定がまるまるなくなってしまったので、時間だけはたっぷりと余っているのだ。
予定がなくなりはしたが、ニルマたちと合流するつもりなので先に帰ってしまうわけにもいかない。
セシリアは窓際に移動し、街路を見下ろした。
港町だけあって活気にあふれているが、すぐに何かを思いつくことはなかった。
「何か困っている人を助けたりとか……」
だがぱっと見たところ特に困っている人も見当たらない。
それでも何かないかと考えていると、街のざわめきが大きくなっていることに気づいた。
こちらに向かって何かがやってきているのだ。
それは、馬車だった。
そこらを走っている荷馬車の類いではない。荘厳としか言いようのない、動く芸術品とでも言うべき黄金の馬車が街路をゆっくりと移動しているのだ。
人々は、それを遠巻きにして見ていた。
前後左右を騎馬に守られた馬車が、街路の中央を堂々と進んで行く。
セシリアもあっけにとられてその様子を見ていると、馬車は唐突に動きを止めた。
馬車は、セシリアのいる公民館の前で停止したのだ。
セシリアは、この時点では自分と縁のない世界の人が自分には与り知らない理由でやってきただけのことだと思っていた。
だが、その馬車から下りて来た者たちが公民館に入っていき、騒がしい音が二階へと上がってきた。
「え?」
こうなると、まさかここへ来るつもりなのかとセシリアも思ってしまう。
しかし、こんな仰々しくやってくるような人物に心当たりなどまるでない。
セシリアが、どうしたものかとおろおろとしていると、ノックの音がした。
やはり、何者かはこの部屋に用事があるのだ。
「は、はい、どうぞ!」
ドアが開き、武装した騎士がまず入ってきた。
その後から、真っ白なドレスを着た美女がしずしずと入ってくる。
セシリアはその美貌を前にして呆然となり、少ししてそのドレスが神官服の類いなのだと気づいた。そのドレスはイグルド教の様式で仕立てられていたのだ。
「みなさん。申し訳ありませんが、お下がりいただけるでしょうか」
「ミクルマ様。それは……」
「ここにいらっしゃるのは、マズルカ教の神官、セシリア様です。まさか私に危害を加えるようなことをなさるとでもおっしゃりたいのですか? それは信じる神は違えども、侮辱にあたりはしないでしょうか?」
ミクルマと呼ばれた女がそう言うと、護衛の騎士達が部屋の外へ出て行き扉が閉められた。
「え? あの……」
「初めまして。突然の来訪、申し訳ありません。私、イグルド教のミクルマと申します」
「……ミクルマ様って……枢機卿の!?」
イグルド教の事情に明るくないとはいえ、ミクルマの名ぐらいはセシリアも知っていた。
イグルド教の枢機卿。教皇を補佐する最高顧問であり、教皇に次ぐ立場の役職だ。
どれほど望んでも、ただの一般人では面会が叶う人物ではないだろう。
そんな雲の上ともいえる人物が、セシリアに会いに来ている。
わけがわからず、セシリアは混乱するしかなかった。
*****
あとがき
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