第28話

 二十メートルほどの高さを落下し、ニルマは華麗に着地した。

 隣には、着地に失敗しておかしな格好で倒れているザマーがいる。

 他の冒険者たちは、ゆっくりと下りてきていた。

 泡のようなものが八人を包みこんでいて、それが落下速度を制御し瓦礫の衝突を防いでいるのだ。

 アレンがやっているのだろう。

 突然床が崩れたというのに冷静に対応できている。ただの女たらしというわけでもないようだった。


「他にやりようはなかったんですかね!」


 身を起こしながらザマーが叫んだ。

 もちろん無傷だった。


「認証をクリアできないなら壊す以外に方法はないよ」


 五千年前のセキュリティがそのまま活きているなら、この時代の技術で突破することはできないだろう。

 権限のある人間だけが神殿を制御できるのだ。


「でも、聖導経典ならなんとかなったかな」

「……可及的速やかに経典を回収するべきだと思いますね……このままじゃ、なんでもかんでもニルマ様が壊しかねない……」

「ま、それはともかく。どうにか下にこれたわけだけど」


 ニルマはあたりを見回した。

 構造はほぼ最上階と同じだが、雰囲気は明確に異なっている。

 違いは密度だ。

 ここには、ワーカーやソルジャーと思しき死骸が無数に転がっているのだ。

 干からび朽ち果てたものから、血まみれで新鮮なものまで様々だがそれらが死んでいるのは間違いない。

 そして、そんな死骸の山の中に少女と怪物がいた。


「あれって、上の像の……」

「魔神ネズルファーだね。復活したんだ」


 三面六臂。全高十メートルほどの異形の巨人がニルマたちを見下ろしている。

 それは神像ではなく、血肉を備えた化け物だった。


   *****


 カリンは、はぐれ者のコミュニティで育った。

 はぐれ者とは冒険者になることができなかった者たちのことであり、街の外に生活の場を求めた者たちだ。

 カリンは、物心ついた頃からはぐれ者のコミュニティで暮らしていた。

 人として扱われず、冒険者たちに見つかれば狩られる境遇だ。定住することはできず、逃げ回ることを余儀なくされる生活だった。

 なので自然と狩猟生活が基本となるのだが、冒険者になれなかった程度の者たちだ。

 その実力は目を覆いたくなるようなものであり、彼らは常に餓え、困窮していた。

 その状況は悲惨なものらしいが、カリンにとってはこれが日常だ。

 仲間が減ったり増えたりしながら、いつか自分も死ぬまでこんな風に時が過ぎていく。

 そう思っていたカリンだが、その日常は唐突に終わりを告げることになる。

 カナエ山の中腹にある遺跡。

 雨期の移動を避けるため、彼らはそこを一時的に拠点とした。

 中を確認してみれば、使われている形跡はないし、ダンジョン化しているわけでもない。

 しばらくはそこで暮らすことになった。

 遺跡を拠点にしはじめて数日後、天井から巨大な蟻が落ちてきた。

 この時点のカリンには知るよしもないことだったが、遺跡内には換気用の配管が張り巡らされており、光の届かない天井の片隅に換気口があったのだ。

 蟻は遺跡内を暴れ回った。

 本来は大人しいはずのワーカーと呼ばれるそれは、落下による衝撃を攻撃と判断し、近くにいた人間を敵と見なして反撃したのだ。

 たかがワーカーではあるが、冒険者になれなかったはぐれ者たちには為す術がなかった。

 二十人ほどいたカリンの仲間たちは全滅した。

 カリンが生き残れたのは、少し離れた場所にいたからだった。

 ワーカーの興奮状態が収まるまで逃げ延びることができたのだ。

 沈静化したワーカーは、カリンには興味を示さず遺跡の中を彷徨いはじめた。

 カリンは途方に暮れた。

 恐ろしい、悲しいという気持ちはもちろんあるが、それよりも食事をどうすればいいのかという心配が頭を埋め尽くした。

 カリンは子供だ。

 食事は大人たちが用意したもののお零れに預かっていただけなので、自分で確保する方法などまるでわからない。

 そうやってぼんやりとしていると、目の前の光景に変化が訪れた。

 攻撃を受け、バラバラになった仲間たちの体が動き出したのだ。

 生き返ったわけではない。

 バラバラ、ぐちゃぐちゃになった死体が一カ所に集まっていき一つの大きな肉の固まりになっていったのだ。


「丁度いい。お前、俺と契約しろ」


 肉塊が裂けて口のようなものが出現した。


「契約……それはなに?」


 不思議と恐ろしくはなかった。

 ただ感覚が麻痺しているだけかもしれないが、カリンはそれを敵だとは思わなかったのだ。


「……これはお互いに都合のいい話だ。俺は死と血の儀式により召喚されたが契約がなければ再び闇の底に沈み込むことになる。お前はこのままでは野垂れ死ぬだけだ。契約を交わせば俺たちは共に生きることができる。悪い話ではないはずだ」

「よくわからないけど、いいよ」

「では、願いをいえ」

「ご飯をくれるの?」

「そんなものは願いでは……いや願いかもしれないが、その程度で契約を結ぶのは俺の沽券に関わる。俺は願いを曲解して騙すような下らぬ魔神ではないからな」

「でも、ご飯は欲しい……」

「それは願いに関わらず用意してやる! 他に何か! 魔神に願うに足る望みを言え!」


 カリンは考えた。

 魔神というのはよくわからないが、雰囲気からして何か悪い者なのだろう。

 なので、何か悪いことを叶えてくれるのだ。

 だが、カリンは物を知らないので、特に何といって望みはない。ご飯をいっぱい食べたいぐらいしか思いつかないのだ。


「皆を元に戻して……」

「それは無理だな。もう俺の体の一部になっている」


 どうにか絞り出した願いも却下された。

 そうなると、もうカリンの中に望みなど特にはない。

 なので、他者の願いを言うしかなかった。


「マオお姉ちゃんは、街の奴らを皆殺しにしたいって言ってた……」

「それだ! そういうのでいいんだよ!」


 そういうことになった。


  *****


「アレン。その結界はそのままにしといて」


 ニルマは、泡に包まれているアレンたちにそう伝えた。


「あ、ああ……だが、これは……」


 アレンが呆然とつぶやいた。

 目の前に巨大な化け物がいるが、それだけではない。

 先程までとは周囲の状況が一変しているのだ。

 遺跡の最上階を踏み抜き、下層にやってきた。当然、ここは遺跡の中のはずなのだが、あたりはいつの間にか荒野になっている。

 遺跡などどこにもなく、地平の果てまで荒れ地が続き、どこまでも血のように赤い空が続いている。


「地獄。悪魔の世界だよ」

「どういうことだ? 悪魔ってこいつがか? 実体があるのか? ここは遺跡だったろ? 侵略者は?」

「めんどくさいから説明はパス。とにかくその結界を全力で維持しといて。出たら多分死ぬから」


 たまたまこうなったが、運がよかったとも言えるだろう。

 結界のない状態でいきなりネルズファーに遭遇したなら、その身からあふれ出る瘴気だけでアレンたちは死んでいた。


「なので、いきなり床を踏み抜いたのは間違っていなかった!」

「いや、そもそも床を壊さなかったら、いきなり魔神と遭遇してないですよ……」

「ニルマぁっ! てめぇがなぜここにいやがる!」


 大音声が鳴り響き、ザマーが耳を塞いだ。

 大音量に慣れているザマーでも耐えきれないほどだったのだ。


「あぁ? 何呼び捨てにしてんの? 調伏された分際で」

「はっはぁ! 残念だったな! てめぇとの契約はとっくの昔に終わってんだよ!」

「ああ、そんなんもあったっけ?」


 ニルマはあたりを見まわしたが、先程までいた少女の姿はなかった。

 こちらには連れてこなかったらしいが、彼女があらたな契約者かもしれない。


「ここであったがなんとやらだ! なんだか知らねぇが、ここには大量の血肉がいくらでもあふれでてくる環境があった! それを食らい続けた俺の力は、てめぇに破れた時とは比べものにならねぇ!」

「へぇ」

「すべてが俺にとって都合よく動いてやがる! 全ての力を取り戻し、さらなる力を得たところでやってきやがるとはな!」

「だから、なに?」

「死ねってことだよ!」


 ネルズファーは、その巨大な足をニルマ目がけて踏み降ろした。

 それは、ただの打撃だとしても十分に脅威だろう。その大きさと質量は圧倒的な破壊力を有する。それに加えて魔神の膨大な魔力が上乗せされているのだ。

 地上で使えば、大地が崩壊する程の攻撃だ。地獄化したここ以外では持て余す威力だろう。

 ニルマは、躱さなかった。

 右足で踏み切り跳躍し、右足を真上に跳ね上げたのだ。

 足と足が激突する。

 ネルズファーが勝利を確信して笑い、次の瞬間、巨大な足は消し飛んだ。

 とてつもないエネルギー同士の衝突。相殺されず発生した余波は、ネルズファーへと襲いかかったのだ。

 その衝撃はさらにネルズファーの体を削りとりながら、上空へと吹き飛ばす。

 しばらくして落ちてきたネルズファーの体は、上半身右側だけになっていた。

 ネルズファーの残骸が地面に落ちて地響きをあげる。

 ニルマは、ネルズファーの巨大な頭に飛びのった。


「ねえ? 何が都合いいんだって?」

「いえ……これから街を滅ぼそうってタイミングだったのに、とても悪かったですね……」

「ねえ? なんで、あんたを殺さなかったかわかる?」

「あははは、な、なんでしょう? 聖女様のお慈悲ですかね?」


 あたりは再び遺跡になっていた。

 少女の姿もあり、突然倒れているネルズファーに驚いているようだった。


「異世界からの侵略者がやってくるコアってのがここにあるでしょ?」

「それっぽいものはありますね。いくらでも肉が出てくるので重宝しておりました」

「そこに案内してもらおうかと思ってさ。場所わかる?」

「案内させていただきますぅ!」


 当初の目的は無事達成出来そうだった。

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