⑦ 先生と子猫


「イラッシャーセー」


 近所の弁当チェーン店である。本日のオススメは特製唐揚げ弁当らしく、ご丁寧に入り口に平積みされている。その横の手書きポップには「女子にオススメ! お野菜彩り弁当」と書かれていた。それらを手に取り会計を済ませる。


「アザーシター」


 自動ドアが開くと真夏の太陽が眩しい。アスファルトから立ち昇る陽炎の量もこれまた凄まじい。蝉の大合唱がないだけ幾分マシだが、これは早くも本格的な熱中症対策が必要であろう。

 俺がこうして一人で弁当をぶら下げているのは、今、俺の家で教え子がシャワーを浴びているからだ。文字にするとひどくいかがわしいが、クリーンな関係だ。そう思いたい。

 彼女がシャワールームに入ったのを確認したのち、白いワンピースを若干興奮しながら手早く広げて品質表示マークを確認、洗濯機に叩き込み、代わりの衣類を置いてくるというミッションを終えてきたところだ。天気がいいのが幸いだ、戻るなり天日干しにすれば、彼女が家路に就く頃にはすっかり乾いているだろう。

 さすがに外食に連れていけるわけもなく、こうして弁当を買いに来ていた、というわけである。

 美月のイマドキ女子コーセーっぷりに安心していた俺だが、今日の姿を見て思った。やはり彼女は白鷲高校の生徒に相応しい、お嬢様だ。

 衣服に無頓着な俺ですら、彼女のワンピースが安物ではないのはわかったし、メイクも母親の手ほどきを受けていると断言できる。女性としての教育を受けるとこうも育ちが違ってくるのかと思ったくらいだ。

 そんなお嬢様が扉一枚挟んですっぽんぽんになっていると思うと、男やら教師やらいろんな理性がせめぎ合って落ち着いていられなかった。家を出ずにはいられなかったのだ。

 二次元の高校生はといえば、それはもう魅力的で、エロゲーのど定番ではあるけれども、それは二次元だからいいのであって、三次元の高校生に欲情するなどよっぽどわけわからんと思っていたが、しかし考えてみればそもそも二次元は三次元をもとに作られているのであって、確かに素晴らしい逸材が三次元にもいるわけで例えば俺の部屋でシャワーを浴びているあの―


「ぶるぶるぶるっ!」


 そこまで考えて俺は馬のように首を振った。



 さて玄関前である。自宅を前にして緊張しなければならないのが悲しいところだ。

 玄関を開けると部屋の扉が閉められていた。自分では絶対しない行動になんだかむずむずする。靴を脱ぎ、その中の扉をゆっくりと開ける。


「ただいま」


「あ、おかえり。ドライヤー借りちゃった」


 そこにはソファに女の子座りをしながらドライヤーをかける美月がいた。俺の貸した白いポロシャツ一枚を羽織り、胸元のボタンは全開。ズボンをはいていないが微妙に長いポロシャツの丈のおかげで色々上手く隠れており、いわゆる「はいてない」が発生している。いろいろ危険だ。太腿が素晴らしく綺麗だ。キケンだ。


「お弁当買ってきてくれたの? ありがとー」


 そう言ってまたドライヤーをかけ始めた。使い慣れたシャンプーの匂いと女の子の匂いが部屋に充満していく。


「……彼女がいるってこんな感じなのかな……」


「ん? なんか言ったー?」


「なんでもない」


 俺は弁当をローテーブルにおいて腰掛けた。左には美月がいる。素晴らしく眼のやり場に困るシチュエーションだ。おかげで壁紙のシミ汚れを新しく見つけちまったぜ。


「おまたせ。いろいろありがとうございました」


 そうこうしている間にドライヤーかけは終わったようだ。彼女はそう言って手早く髪の毛をゴムでまとめる。


「お腹すいちゃった」


「そうだな、食べるか」


「わーい」


「お前こっちな、女子にオススメだってさ」


「ありがと。センセは何?」


「俺は唐揚げ」


「「いただきます」」


 食べ慣れた味だが、こうして人と食べる弁当は美味しいのだなと改めて実感する。


「ところで櫻井、ズボンはかなかったんだな」


「あー。なんか、センセのおっきすぎて……」


 なんと卑猥なフレーズ! と思ってしまうのは俺の頭がエロゲ脳だからだろうか。


「そうか、それはすまんかった。タオルかなんか掛けておくか?」


 その言葉に美月は自分の足元を見て、ポロシャツの裾を引っ張って伸ばした。


「見える?」


「いや、見えない」


「そっか、じゃあ大丈夫だよ。寒くないし」


 そう言って美月は照れ笑いする。


「いや、うん、だが、まぁあれだ、なかなか際どいぞ、それ」


 俺は思わず反対側を向いてしまった。


「ふぅん。ふぅーん。……ね、センセ。そういうの、興味あるの?」


 美月は背後からにじり寄り、いじらしい声で言う。振り返ればおそらくいつもの生意気な顔があるのだろう。だが俺は断じて振り返らないぞ!


「大人をからかうんじゃありません」


「あ! ずっるーい! センセ、そういう逃げ方するんだー。男らしくなーい」


「そういうお前こそ、なんていうかその、そういう目で見られるのは……嫌じゃないのか?」


「……なんでぇ?」


「いや、ほら、そのさ。痴漢とかに遭ったんなら、そういう目で見られたりとか、そもそも男が嫌いになったりとか……なったりするのかなって、な」


 核心をついた質問だったと思う。

 しかし美月の回答は予想に反するものだった。


「それはないかな」


 その瞬間、温かいものが俺の背中を包み込んだ。美月が後ろから首に抱きついてきていた。美月の髪が、頬が、俺の首筋に触れる。


「痴漢は嫌。だけど、男の人が嫌いってのは違うかなーって。あたしは女だし、やっぱりかわいく見られたいし、いずれは素敵な人とお付き合いしたいなって思うもん。あたしは兄弟いないけど、中学のときは男の子とかと結構遊んでたよ。パパだって男だし、太センセだってそうじゃない? でも全然嫌じゃない。むしろこう、うーん、もっと……」


「もっと?」


「甘えたいって感じ?」


「……もう十分甘えてるじゃないか」


「ふふ。でも本当そんな感じ。だから嫌いではないし、そういう目で見られるのもしょうがないって感じかな。だけどやっぱり満員電車は怖い。さっきも言ったけど、何もできない自分を思い出して、それが悔しくて辛い。自分でもわかってるんだ。もっと頑張らなくちゃって。だけど、誰かに認めてほしいのかも。お前頑張ってるよって」


 彼女の声は先程と違って落ち着いていた。淡々と、自分の感情を整理するように言葉をつないでいく。俺はそんな彼女の頭を、手だけ後ろに回して撫でてやった。


「お前頑張ってるよ」


 辛いときの「誰かに甘えたい」という気持ち。親でも友達でも満たされないのに、異性だとすんなりいってしまう。そんな不思議なことが、稀にある。難航する就職活動に心が折れそうなとき、ケツを叩いてくれたのは女友達だった。彼女は別の学校に就職したが、今頃、どうしているだろうか。


「へへ、言わせちゃった」


「言わされちまった」


「あー。そこは普通、そんなことないよって言ってくれるところじゃないのー?」


「その手には乗らん」


「ケチ。と、いうわけであたしは少しずつ前向きに頑張ってみようと思うんだよね」


 そう言って俺の首から手を離し、膝立ちしながらガッツポーズをしている。その目はいつもの生意気な美月のものだった。


「ほーう、それは頼もしいな。俺は応援してるぞ」


 振り返って茶化したら、彼女の顔がぱぁっと明るくなり、今後は前から抱きつかれた。彼女の柔らかい髪が頬を撫でる。


「本当? 応援してくれる?」


「おう、応援してるよ」


「ちゃんと見ててね。あたし、頑張るから」


「ああ、ちゃんと見てる。だから頑張れ」


「……困ったら、助けてくれる?」


 淡々と授業をこなすだけの毎日を送っていた俺が、こんな感情を抱く日が来るとは思っていなかった。半年前の俺ならそんなことは口が裂けても言えなかっただろう。だが今は、自信を持って言えるのだ。


「当たり前だ。俺はお前の先生なんだからな」


 偽りのない、本心だった。



「と言っても、どうするか具体的には考えてないんだけどね。やっぱり少しずつ慣らしていくのがいいのかなって。でももうすぐ夏休み入っちゃうし……」

 唐突に彼女が笑いだしたのをきっかけにハグを解除した俺達だが、なんとなく急に気まずくなり、思い出したように話題を振ってきたのだった。彼女は体育座りをしながら前後に揺れている。


「ああ、そのことなんだけどな。俺は考えてみたんだが、まず行動に移すっていうのも非常に大切ではあるんだが、それ以上に相手を知るってことが大事なんじゃないか」


「相手?」


「そう。この場合は、櫻井の恐怖の対象だ。それが相手。具体的には、櫻井がどんなものに恐怖を感じているかを知る、ってところだな。さっき男は嫌いじゃないって言っていたが、怖くないのとは別だ。いつもは平気でも怖いときもある。ならば、どんなときに怖いと思うかを知れば、対処もしやすくなるんじゃないかって思ってな」


「満員電車じゃなくて?」


「それは状況だしアバウトだ。もっと細かく知ることが近道なんじゃないかと思うんだよ」


「うーん。具体的って言ってもなぁ。知るって言ってもどうやって……」


「俺にいい考えがある」


 俺はそう言って立ち上がり、PCデス

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