④ 俺と生徒の青春ラブコメなんてある理由がない
暑い。死ぬ。
おしとやかな女性が見たら軽くヒクほど大量の汗を流しているそのわけは、この夏本番の中、窓全開で自室を掃除しているからだった。
二五歳、独身。彼女は二次元に行ったっきり。
そんな男の自室の惨状なんて想像に難くないだろう。その想像どおり、むしろその上を行っているかもしれないそれを、俺はこうして休日の朝っぱらから徹底的に掃除しているのだ。
ちなみに言っておくが、俺はよくあるラノベの主人公のように何故か家庭的だったり高い料理スキルを持っていたりなどしない。なぜなら俺の青春は、そんなスキルを高める時間があるならコンボを練習し、包丁を握る代わりにコントローラーを握りしめるものだったからだ。
さて、己のダメ男っぷりを鼻高々に自慢した後で恐縮だが、そもそもなぜこんな時期に、俺はこんな苦行にふけっているのか? わからないだろうな。俺も初めてだよ。
ところで俺のケータイに届いたメッセージを見てくれ。
『先生の家に行きたい』
こいつをどう思う?
決意を胸に校長室を飛び出した俺は、しかしその決意を行動に移せずにいた。
一人にしない! なんて息巻いていたわけだが、さて実際こうして本人を前にすると、何をしていいのか全くわからない。だからそれから数日を観察と考察に費やしていた。
その成果として、美月のプレイ中に発生する異常について以下のように分析した。
一、トラウマによるもので、一種のPTSD
二、ゲーム中に限らず発生する
三、驚く、怖い、などの感情によって顕著に発生する
調べてみると、心的外傷後ストレス障害は、ときとして日常生活に大きな影響を与えるらしい。実際に彼女がそうなのかは専門家に聞かねばわからぬところだが、電車に乗れなかったり、ゲーム中に固まってしまったりなどは、十分日常に影響していると言えると思う。実際はそれ以外にも、多くの苦労をしているのかもしれない。
俺は精神疾患の分野に明るくないため、専門的なことはわからない。だが、彼女の普段からの発汗量の多さはどうだろうか。
あれはひょっとしたら、「のぼせ」ているのではないだろうか。
もし彼女が日頃より強いストレス環境下に置かれているとしたら、その可能性は十分にある。
人間は怒りを覚えると極度の緊張状態に移行し、血圧が上昇、その結果のぼせる。顔が紅潮したり汗をかくのはこのためだ。怒りという感情に限定されなくとも、緊張状態に移行すればそうなる。例えば大事な本番前など、いわゆる「アガっている状態」だ。
そして緊張状態から開放されれば血圧や体温が下がる。代謝機能が低下するためだ。
春先、初めて対面したときのこと。彼女は暑いにもかかわらず腰にカーディガンを巻いていた。その後幾度か制服の着用について注意はしたが、結局梅雨明けまでそれを手放さなかった。
それは、乱高下する体温に対応するためだったのではないか。
そう考えると、そもそも彼女は肉付きが良い方ではない(一部を除いてだが)。むしろ寒がりだったっておかしくない。
こうしてみると、彼女のその症状は意外と深刻だ。俺がいかに生徒をちゃんと見ていなかったのかがわかる。
このままじゃいかん。
そんな焦りから俺がまず目標に掲げたのは、会話することだ。
もしかしたら、話すだけでも楽になるかもしれない。もしかしたら、自分では気がついていない解決の糸口が見つかるかもしれない。
彼女は話してくれるだろうか。
彼女に恐怖を刻み込んだ、同じ男の、俺に。
わからない。聞くこと自体が図々しかったり、それこそ、逆に追い詰めてしまうことになるのかもしれない。
だが俺は心に決めていた。
もし彼女がそれを話してくれたなら、それを全力で受け止めよう。共感しよう。そして、俺は味方だということを、伝えたいのだ。
―だって俺は、あいつの顧問なんだから。
しかしだ。
「アプローチできねぇぇええ!!!!」
俺は頭を抱え、同時に掻きむしるという器用なことをしていた。
話題が繊細すぎるのだ。それゆえ、話題を振るタイミングがないのだ。他の部員がいるところでなんて無理だし、授業の合間にするような話でもない。部活が終われば皆揃って帰るしで、もう殆ど詰んでいた。クソ、二次元から一次元増えるだけでこんなにも攻略が難しくなるなんて!
そうこうしている間に、七月は半ば、金曜日になっていた。今日もタイミングが見つけられず、部員は全員帰ってしまった。一人寂しく部室に残され、追い詰められた俺は最終手段に出る。
SMS《ショートメッセージサービス》だ。
これなら最近の若者のコミュニケーションツールを扱えなくても、電話番号だけ知っていればダイレクトに本人にアポイントメントが取れる。生徒の携帯電話番号は名簿管理上控えてあった。教師と生徒間での個人的な連絡のやり取りは世間的にも色々アレだが、だがしかし! もうこれしかない。
時間がないんだ。美月、俺の想いを受け取ってくれ!
そして俺のレフトフィンガーが火を吹いた!
『顧問の斉藤です。突然連絡して申し訳ありません。今後について相談したいので、お時間をいただけませんか? ご連絡お待ちしております』
なんというビビリな俺!
生徒に対して敬語な上、業務連絡か。
落胆するのも束の間、すぐに俺の携帯が鳴った。美月からの返信だ。
『おけまる。いつ?』
なんてフランクな回答。俺の悩み通したこの三○分を返せ。
と、心の中で叫んでいるうちに次が。
『おけまる ← オッケーって意味ね』
「知っとるわ!」
思わず誰もいない部室で叫ぶ俺。
そして間髪を容れずに次が。
『日曜日は?』
なるほど日曜日か。それなら時間もゆっくり取れるし、貴重な休日だが致し方ない。
『では日曜日でお願いします。どこかいい場所ありますか?』
相変わらず敬語な俺だが、出だしがそうなので仕方ない。そしてすぐさま返信に携帯電話が光る。
『もしかしてデート?』
「違うわ!」
俺も送りながら、なんかちょっとそんな雰囲気……ドキドキ。とかしたわ!
『学校は嫌』
そして次のメッセージを見た俺は、眉間に皺を寄せてしまった。
憧れだったその場所なのに居心地が悪いなんて、辛いよな。
学校ならゲームをしながら話せると思ったが、相変わらず浅はかな自分に嫌気が差す。
『では学校以外で、櫻井がくつろげる場所にしましょう。行きたいところとかありますか? 先生はどこでも大丈夫です』
実際、教師の俺としては場所の選定に困る。カフェならそこまで不自然ではないかもしれないが、周囲に話を聞かれてしまうわけだし、公園なんてロマンチックな場所はあまり知らない。というか公園で先生と生徒が休日に一緒にいるって、なんか色々誤解されそうだ。
主導権を相手に委ねるのが一番無難な気がするのだ。それがきっと彼女の心を開かせやすくする。
ふふ。俺も伊達に美少女ゲーをやりこんでないな。あっちの世界なら俺はモテモテだぜ。
しかし次のメッセージが、そんな俺を現実に引き戻した。
『先生の家に行きたい』
そんなわけで俺は部屋を快適にすべく掃除しているのだった。最寄り駅を伝えたら、
『ナビあるからイケる』
とのことで、直接家に来ることになっている。最後のゴミを捨てて掃除機を掛け終わり時計を見ると、時刻は一○時四五分。約束の一一時まであと少しだ。机の上のホコリなどを入念に拭き取っていたとき、チャイムが鳴った。
「はいはーい」
俺は宅急便でも受け取るテンションでドアを開け放った。そして目を見開いた。
そこにいたのは櫻井美月だった。だが、俺の知っている櫻井美月ではなかった。
いつもより控えめなウェーブをハーフアップにして、トーンを抑えた大人なメイク。透明感のある真っ白なワンピースにミュール、そしてスカイブルーのスカーフのワンポイント。
……この清楚なお嬢様は一体誰だ?
「おはよ、太センセ。……早く来すぎちゃった、かな」
真夏の陽光の下、清涼感ある彼女の存在が眩しい。少し照れながら髪を耳にかけるその仕草が、しおらしい。無意識に俺の喉が鳴った。ダレダヨコレ。
「入っていい?」
なぁみんな。こいつをどう思う?
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