⑥ ワケあり生徒ホイホイなゲーム部
「井出先輩?」
悠珠がそう言って振り返る。美月も知っているようだった。まぁそれもそうか。
「こんにちは。二年Ｂ組、井出琢磨です。神崎さんだよね、生徒会の。こうして話すのは初めてだね。はじめまして。えっと、そちらは……」
「櫻井、美月です」
「櫻井さんだね、はじめまして、井出琢磨です。これからよろしくね」
彼の笑顔と共に爽やかな春の風が吹いた。気がした。
「井出先輩はたしかテニス部ではありませんでしたか?」
「うん。そうだったんだけど、今は違うんだ。テニス部は辞めたから」
「え!」
悠珠は心底驚いたようだった。
それもそうだ。四月、部活動が新入生獲得のためロビー活動を行う中、女生徒達の噂の中心はもっぱら彼だった。あまり好ましいことではないが、彼目当てでテニス部のマネージャーに志願した生徒もいると聞く。そのアイドルっぷりは教師の間でもちょっとした話題になった。
だが、彼は五月、テニス部を辞めた。
「でもなんで、井出センパイが? だってあんなに強くて人気で……」
動揺する美月の視線は、あるところでピタッと止まる。
「櫻井、人には色々理由があるんだ」
彼の右手首には、リストバンドが巻かれていた。
「先生、いいんですよ。気にしていませんから」
詮索を止める俺をなだめたのは、意外にも琢磨本人だった。
「櫻井さん、僕はね、ちょっと手首を痛めちゃったんだ」
リストバンドを外すと、テーピングがぐるぐると巻かれている患部があった。美月は申し訳なさそうにしている。
「そんな深刻なことじゃないよ。ただ治るのに時間が必要ってだけで。また元どおりになるんだ」
「え……。じゃあなおさら辞めなくても……」
「そうなんだけどね。なんか自分の中で、冷めちゃってさ。勘を取り戻すのにも時間がかかるだろうし、そうやって調整していたら、あっという間に卒業してしまうんだ、と思うと、なんだかもったいなくてね。本当にそれだけ」
琢磨の爽やかな笑顔が、雰囲気を軽やかにしていく。
「何より、僕はけっこうゲームが好きなんだ。ダイバスとかね」
「あ、それ、弟がやってる……」
「神崎さんの弟さんもやってるの? いいなぁ、今度是非いっしょにやってみたいな」
琢磨はすっかり二人の関心を掴んでいる。この飾らないところが彼のいいところだ。
「ねぇ、悠珠。だいばす、ってなに?」
美月の質問に、琢磨が答える。
「ダイナソー・バスターズっていってね、強くて大きいモンスターを、みんなで協力して倒すゲームなんだ。面白いよ」
『ダイナソー・バスターズ』。日本が誇るゲームメーカー「ＴＨＥＲＭＩＴＥ《テルミット》」が世に送り出した大ヒット狩ゲーだ。やりこみ要素がありながら、初心者でも入りやすいゲームデザイン、様々なゲームの良いところをミックスしたそのゲーム性は世界中のゲーマーを虜にした。
「井出、入部届けは持ってきたか?」
「はい」
そう言って二つ折りになったそれを俺に手渡すと、琢磨はスポーツマンらしく深々と頭を下げた。
「これからよろしくお願いします。斉藤先生」
その表情は見えない。だが俺はその背中に、覚悟のようなものを感じ取ったのだ。これは男同士のなんとかなのかもしれない。
「わかった。歓迎するよ、井出。よろしくな」
「ありがとうございます」
「それじゃ、さっそくそこに座ってくれ」
俺はそう言って悠珠が座っている席の横を指差した。琢磨に合わせて二人も座った。
琢磨には昨日セットアップしたアカウントを使用してログインしてもらった。アカウント情報を設定する画面から変更してもらう。そのマウスを握る右手がおぼつかないのはきっと気のせいだ。
「先生、部員はこれで全員ですか?」
あたりを一通り見渡したあとの琢磨の質問だ。
「現状だとそうだな」
「部長は決まっているんですか?」
「んー、それなんだがなぁ……。年功序列で言うと、井出が部長になる」
「それは困ったな……。そうだ、甲子園って個人戦ですか? 団体戦ですか?」
「まだ発表されていないが、おそらくはその両方だと俺は予想している」
競技ゲーム甲子園の開催は冬頃とアナウンスされている。六月中には概要が、八月には詳細が発表され、一一月頃から予選が開始される見込みとのことだ。現在はきっと、規模、体制、そしてゲームの選定などで業界人が躍起になっているだろう。
「そっか。じゃあ部員はまだ多い方がいいですよね。……先生、ちょっと連れてきたい奴がいるんですけど、構いませんか?」
「おお、そりゃあもちろん構わないが……」
「よし、じゃあ、まだ学校に残っているはずだから、さっそく連れてきます。少し待っていてください!」
そう言いながら、琢磨は爽やかかつ美しいフォームで駆け出していった。スピード感がありすぎて「廊下は走るな」と注意しそびれてしまった。開け放たれたドアの向こう側に軽快な足音が消えていく。
「井出先輩、まだログインしかしてないのに……」
その画面を見て、悠珠はキョトンとしている。
「行動力あるなー……」
頬杖をついて、感心しているのか呆れているのか、わからないのは美月だ。
数分もしないうちに、廊下が騒がしくなってきた。
「………なんっ……なのっ……!!」
「……じゃん、ほら、大丈夫だって」
部室の外には二人おり、一方が井出だということはわかった。そうこうしているうちに井出に引っ張られてきた方が怒り出した。
「だーからっ! 学校でわたしに構わんでって、ゆってるでしょ!」
「そう言わない、ほら、みんな見てるよ」
開け放たれたドアの枠にいい感じにクローズアップされた彼女は、絶叫しているところを皆に注目されることとなった。
「!」
レンズが大きく度が強そうなメガネ越しでもわかるほど赤面した彼女は、三つ編みのお下げが重力に反し持ち上がり、頭からは湯気が立ち昇っている。ように見えるくらいにアガっていた。
「か、か、かか、帰る!!!」
そして嵐のように走り去っていった。巻き起こった風は部室の中にまで入り込み、美月と悠珠の髪の毛が一瞬ばたついた。
「井出、今のは?」
呆気に取られていた琢磨だが、深いため息と共に気持ちを切り替え、彼女が消えていったその廊下を見つめていた。
「
競技ゲーム甲子園の本戦では、ゲームという文化をわかりやすく伝えるために「高校生解説・実況制度」が導入された。
これは対戦する各校から一名ずつ非プレイヤーを都度選出し、プレイ中の内容をリアルタイムで解説させることで、同時にいくつも行われるトーナメント形式の試合で発生する実況員・解説員不足を解消しつつ、視聴者により親近感をもって彼らの存在を認知してもらう狙いがあった。
これにより高度な駆け引きやテクニック、そしてそこに懸ける想いを効率的に全国の茶の間に届けることに成功し、競技ゲーム甲子園は夏の野球甲子園に匹敵する人気を獲得することになる。
「アニメとかゲームとか結構好きなんですよ。隠しているみたいなんですけど。そして何より―」
後に動画配信サイトで競技ゲーム甲子園のまとめチャンネルが開設され、一部のコアなファン層を虜にした小チャンネルが登場する。その特異な存在に気づいたネット民が話題にし、有志による編集をもってたちまちファンを獲得していったそのチャンネル名は「萌豚甲子園」。
「―声優志望なんです」
独特の柔らかくか細い声質と、喉にかかる呼吸音、高揚とともに表れる九州地方の訛り。
萌豚甲子園は岩切灯里が解説を務めた試合ばかりを集めたチャンネルだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます