風の歌

 鉱山につく頃には、あたりはすっかり黄昏の光に包まれていた。聖都ははるか遠い地平の彼方へと消えていく。ゆったりとしていたボアン河の流れは急なものとなり、川幅は狭くなっていった。

 リアンノンたちの前に峻厳と聳え立つ山々が姿を現す。黄昏の中で蒼い影に包まれたそれらは、精霊王たちが遠い昔に悪霊たちから世界を守るために建てたとされる巨大な壁を想わせる。 その壁に抱かれている限り、地上に生きる人々は精霊たちの加護を受け続けられるというのだ。

 遠い昔の神話に想いを馳せながら、リアンノンはパーシヴァルの昔話に耳を傾ける。

「僕は、あそこでパパに守られながら育ったんだ……」

 パーシヴァルの話に胸を痛めていたリアンノンは、その言葉に小さな驚きを覚えていた。

「お母さんが殺されて、悲しくなかったの?」

「覚えてない。小さすぎたから……。パパがいなくなったときの方が、ずっと辛くて寂しかったから。僕が寂しがるとね、パパはいつも歌をうたってくれたんだ。パパたちの一族に伝わる歌……」

 そっと眼を細めて、パーシヴァルは歌を紡ぐ。

それは、風のような旋律の歌だった。大きくなったと思えば、ゆらぐ風のように不規則に音が小さくなる不思議な歌。

 これは、風の精霊たちが幼子をあやすときにうたった唄だと、パーシヴァルは教えてくれた。異民族である自分たちを征服者たちから慰めるために、精霊たちが奏でてくれた唄だと父だった鉱夫は語ったそうだ。

 遠い昔、鉱夫たちの先祖たちはヴィアン山脈と神と仰ぎ、そこに住む精霊たちを信奉していた。だが、平地に住む教会の者たちが自分たちの先祖を屈服させ、その土地すらも奪ったと鉱夫は自分たち一族の歴史をパーシヴァルに語ったのだ。

 パーシヴァルはなおも歌を紡ぐ。

 それは、鉱夫が先祖たちから受け継いだ自分たちの歴史を記した歌だった。

 精霊王の築いたこの世界が悪霊に侵されたとき、彼は聖なるヴィアン山脈を築いてその侵攻をくいとめた。そのとき山脈から落ちた石から生まれたのが、鉱夫の属する鉱石の一族たちだったという。

 彼らは古くから鉱山に住み着き、鉱石竜たちを山脈の守り神と崇めてきた。そんな彼らを平地に生きる民たちが蹂躙し、彼らの住処も言葉も、そして信仰の対象である竜たちすら奪っていったのだ。

「だからパパは僕を助けたって言ってた。僕は、僕だけは誰にも奪われたくなかったって……」

その言葉を最後に、パーシヴァルは何も語らなくなる。リアンノンは彼に返す言葉がなかった。身寄りのない鉱夫の人生には、あまりに多くのものが詰め込まれていた。

 それが、パーシヴァルと少し話しただけでわかってしまったのだ。彼のために編んだ回顧録を思い出して、リアンノンは暗澹たる気持ちになる。

 こんなにも素晴らしい歌をうたい、自分の一族に対して誇りを持つ人物を、自分は年代別に並べた回顧録を書いただけで理解したと思っていた。情報と資金が少なすぎて、これ以上は無理だと彼を知ることさえしなかった。

 そんな自分のいい加減さが、リアンノンを打ちのめしていたのだ。

 あたりが綺羅星に覆われるころ、暗い山脈を飛んでいたリアンンたちはパーシヴァルの故郷である鉱山に辿り着いていた。

 その光景に、リアンノンは息を呑む。

 鉱山は深い山脈の谷間にあった。その谷間がパーシヴァルの鱗と同じ乳白色の輝きで彩られている。その輝きを発しているのは、谷に埋まる無数の鉱石竜たちの遺骸だった。

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