第5話



 世夜が目を開けたとき、青を基調とした色とりどりの渦の中を進んでいた。何かに体が引っ張られていくように、ぐにゃりぐにゃりと体が揺られていく。文字の羅列が呆然と開けた彼の目の前を踊る様に通り過ぎていく。その文字を読みとることはできなかった。

 呆然と渦の中で、回されている世夜の目に明るい光が届いた。

 気付いた瞬間、世夜は広い場所にいた。

 そこは周りを青に囲まれた何処までも何処までも続いている灰色の床だった。見渡す限り障害物などない。そこにあるのは三つだけ。世夜と何か、そして歪な姿をした人間ではない者。何かの言葉が本当なら妖怪という存在。

 三人がその場に立っていた。

「おや? 君も来たんですか?」

 何かがその目を驚きで見開いて聞く。それは予想外の事が起きたことに愉快を感じているようだった。

「何かな……。来たら悪かったのか」

「いいや。ただ、恐いことになるかもしれないので、逃げ回れよ」

「……お、おう。というか何が……。ここ何処だよ」

「何だろね……。パソコンの中、電脳世界ってところかな」

「はあ?」

 目が点になるとはこういう事だろう。聞いた問いへの答えに世夜は呆然とするしかなかった。

「電脳世界……」

「おう」

「……マジか」

「マジです。あなたもパソコンの中に引きずり込まれる私を見たやろ」

「ああ」

 そしてそれに触れて、引きずり込まれてしまったのだ。

「ではそこで待っていてな。話をしている時間はあれなので。待たせずすぎて向こうさんがそろそろしびれを切らしていますね」

「え?」

 何かが視線を向ける方向を彼も向けばそこに は、人の形をし尖った爪と頭には鬼のような角を持つ妖怪が唸っているところだった。妖怪がその足に力を込めて突撃してくる。それは彼を狙っていた。

「うぇ」

 いきなりのことで反応ができない彼を真っ直ぐと狙ってくる。足が竦んで動かない。怯えている彼は大きな瞳で妖怪を見つめていた。妖怪が近付いてくる。恐くなって目を閉じた。

「止めや」

 すぐ近くでそんな声が聞こえた。

 目を開けるとそこには妖怪と何かの姿。妖怪は爪を、何かは何処からだしたのか鎖が着いた二つの鎌をぶつけ合っている。

「一番最初に弱い者を襲うのはまあ、セオリーですけどそう簡単にやれるとは思うな」

 妖怪の顔が歪む。もとからしわくちゃの顔に深い皺ができて醜悪だ。声にもならない低い音を発して妖怪は近付いてくる。

「お前の相手は僕です」

 男の言葉に妖怪の眼が始めて何かを見た。その眼が嫌そうな色を作る。

「さあ、遊戯(ゲーム)を楽しみましょう。あんたは先も言った通り、逃げ回って下さい。分かったな」

「おう……。と、言いたいが一つだけ聞いて良いかい」

「なんです。手短にお願いします」

「……その鎌、何処からだした。お前持っていなかったよな」

 世夜がさしたのは何かが持っている二つの鎌。最初に彼が見たときには何処にも持っていなかった。そしてその鎌の質量から服の内側に入れておくことも不可能なはずだ。もしかしたら服の内側があの青い猫のポッケトように異次元である可能性もなきにしもあらずだけど。

「ああ、これ」

 つまらなさそうに何かがいた。

「ここは電脳世界です」

「それは先聞いたけど」

「ここでは想像したことをある程度は形にできる」

「マジで」

「はい。何ですかね。強く思えば思ったことの情報が頭の中に流れ込んでくるから、それを形にしようと思えばいける。流れ込んでくるのはこの電脳世界での情報なのでどうでも良いことが交じってるが、それではなくちゃんとしたものを選択して下さいね」

「おう。まあ、多分そんな事しないけどな」

「まあ、そうやろうな。と言うわけで速く逃げて下さい」

「おう。頑張れーー」

 気のない応援をしながら世夜は今度こそ逃げた。どうにもこうにも不味い状況だという感じがしていない。あり得ないことが起きすぎていて逆に冷静になっていた。と、言いたいが世夜の様子は驚きが四回ほど回転して、感情のパロメーターが吹き飛んでいるだけだ。表は冷静でも裏は荒ぶっている。

(うわ! やべ! なんか良く分からないけど恐ろしい状況。つうかあり得ない状況。二次元好きとしては嬉しい状況。二次元好きじゃ全然ないけど! いや、マジで何だよ。電脳世界とか。ありえねえーーーーー。あり得ているわけだけどな。夢じゃねえよな。こんな夢もしみてるなら、凄い想像力だな、俺。夢じゃないけど! ほんと、何なんだよ。わけわかねえ、訳わかんねえ、わけわかんねえ)

と、言うようなあらぶりようである。

 そんな世夜から離れた場所で何かは妖怪と対峙していた。最初に世夜を助けたときの状態から動かず、二人力比べのように押し合っている。ギリギリとぶつかり合う音が二人の周りに響く。

 最初に動いたのは何かだった。空いた片手に持つ鎌を振り上げる。妖怪が避ける。次を仕掛けてくるのは妖怪。体勢を低く腹をめがけて攻撃を仕掛ける。何かは避ける。また同じ攻撃が仕掛けられてきて、今度は受け止めた。ぶつかり合いの勝負。不意に妖怪が顔を上に上げる。尖った角が何かを狙う。もう片手の鎌で受け止める。空いた妖怪の腹を蹴る。吹き飛んだ妖怪。だがその直前に蹴りを放っていた。鋭い足の爪が僅かに右腹をかする。

 地面に打ち付けられた妖怪は起きあがらなかった。何かが警戒しながら妖怪に近付いていく。覗き込むような近さになったとき妖怪が動いた。蹴りが放たれ、拳もだされる。二つの攻撃を受け止める。バランスの悪い体勢の中で妖怪は頭突きを仕掛けた。慌てて後ろに避ける何か。体制を持ち直す前に妖怪が仕掛ける。その攻撃を塞いだのは良いがバランスを崩して後ろに少し吹き飛んだ。

 妖怪の次の攻撃が迫る。それを避ける暇もなく地面へと吹き飛んだ。それは世夜のすぐ近くだった。

 妖怪がニヤリとこちらに向かってくる。世夜はびくりと肩を震わせる以外何もできない。そんなところに声がかけられた。

「何か壁になるものをだせ!」

「はぁ!」

「先、説明したでしょう! それをやってみてください!」

「え、いや! 無理だし!!」

「そんなこと言っている暇はないわ! やって」

 叫ぶ何かの言う通り、言っている暇はなかった。妖怪が近付いていている。パニックになりながら彼は壁になるようなものをと思った。

(壁になるような物って何だ。え、え、)

 混乱している彼の脳に浮かび上がったのは今日彼が見た一つの物体。それのことを強く思い描いた。そうすると頭の中に色々な言葉と画像が流れ込んでくる。

(なんだ、これ、わけわかんねえ。この中の一つを欲しいって思えばいいのかよ)

 戸惑いながら画像の一つに視点を合わせた。

 妖怪は後ほんの少しでこちらに届く。

 その前に光とともに何かが現れていた。それは洋風建築の家ならどの部屋でも必ず見ることができるだろうものだった。それがない部屋などあり得ない物だ。一つの板に取ってのついたそれ。

 そう目の前に現れたのはドアだった。

 ドアに妖怪の爪が突き刺さる。突き破ろうと妖怪はドアに向かい頭突きを繰り出す。何度もやるそれにミシミシとドアが音を立てる。ひいと世夜が声を漏らすが、それと同時にに笑い声が響いた。

「捕まえた」

 何かの声だ。

「これでチェックメイトだ!」 

 いつの間にか妖怪の背後に回っていた何かが、身動きが取れない妖怪に向かって鎌を二つ振り下ろした。

 妖怪の断末魔が辺り一面に消えていく。

 ズタズタの扉と共に跡形もなく消滅した妖怪。腰を抜かしている世夜の前で何かがにっこりと笑った。

「いやーー。ありがとうございました。一人でも片づけられたとは思うけど、何分ちょっと素早くて」

 ニコニコと笑う何か。その何かの言葉にふっと世夜は嫌なものを感じた。

「……おい」

「何」

「……もしかして、こっちに飛ばされたのってわざとだったりしないよな。俺にアイツを止めるもの作らせるために……」

 まさかな、と思いながら聞いたこと。だが、何かはそれを肯定するように笑っていた。

「いや、半信半疑でやったんですけど、やればできるもんですね。やっぱり人間は命の危機に瀕した時は、命がけでやってくれるんですね」

 時が凍り付いた。彼の表情が固まる。ぴくぴくと口元が震える。

「おい! テメェ、何してくれるんだ! 俺が死んだらどうするつもりだったんだよ! ああ!」

「大丈夫。もしできなくても助けには入るつもりでした。言っただろ。一人でも片づけられたって」

「そうだけど、そうだとしても!」

 止まらない彼の怒り。だが、そんなもの何処吹く風で何かは笑う。

「大丈夫ですって。それより、もとの世界に帰りましょうか。俺は大丈夫だけど貴方は体から魂が抜け出している状況だと思うから長居したら体に戻れなくなる可能性も」

「え、俺、魂なの。今」

「はい。普通の体では電脳世界には入ってくることができないので」

「ちょ、さっさと帰るぞ」

「はい。じゃあ、私の手を取って」

「おう」

「帰りましょう」

 何かの手に手を重ねればぐにゃりとした感覚が襲ってくる。そして気付けば最初と同じ青を基調とした世界をぐるぐる回っていた。

(最初は驚きすぎて感じなかったけど、これ……。スゲえ、気持ち悪い。  吐く)

 世夜の意識はそこで途絶えた。  目を開けるとそこは見知った己の部屋。パソコンの前。いつも起きるときと同じ体制での帰還だった。夢だったのではないかと、一瞬思ってしまうほどだったが、隣に何かがいるので違う。

「目を覚ましましたね。どうでした。電脳世界」

「吐く」

「そうですか」

 望まれている感想はそんなものではないだろうが、今の彼にはそれを言うのが精一杯だ。吐き気が酷かった。

 暫くそっとしていたら収まった吐き気に世夜はホッと息をつく。

「大丈夫ですか」

「おう」

「そうですか。で、何か聞きたいことありますか」

「ない」

「ないんですか」

 何かが不思議そうに世夜を見るが、世夜には本当に聞きたいことはなかった。

「ない。そりゃあ、不思議に思うことはたくさんあるが、たくさんあり過ぎてどれを聞けばいいのか分からないし、聞いたって全てを処理しきる自信がない。だったら、もう何も聞かない。変に知ったら余計知りたくなるからな。聞かない方が良い。だからない」

「そうですか」

「ああ。どうせ、今日限りですからね」

「え?」

「え?」

 驚く何かに世夜が驚く。

「今日限りだろ」

「いえ、これから妖怪を対峙するのに手伝って貰おうと考えていますというか、僕の中では決定事項だから、手伝って貰う」

「……嫌だ」

「パソコンの中に入っているデータ全部流した上で消去しますよ」

「やらせていただきます!」

 こうして、世夜と何かの日々は始まった。

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