夢を描くことは罪ですか?

齋藤瑞穂

prologue

序章 紡績工場

 ガタッガタガタガタッ。


 舗装されていない不安定な道を、一台の軽自動車が走っている。


「ねぇ、お父さん」


「……」


 ガンッガタガタガタッ。


 車内は揺れている音がうるさく、少女の声は父親の耳に届かなかった。


「お父さん?」


「なんだい、リズ」


 今度は届いた。

 エリザベスは、激しい揺れで下を噛まないようにするため、できるだけ字数を減らして訊いた。


「あれなに?」


「あれはな──」


 エリザベスが指差したのは、窓の外――鋭い柵で囲まれた大きな建物だった。それを認識した父親の眉間に皺が寄った。訊いてはいけない気もしたが、その時のエリザベスは警戒心よりも好奇心の方が強かった。


「なんなの、あれ」


 急かすように言うと、父親はハンドルを強く握り直してから口を開いた。


「あれはな、紡績工場だ。とーっても大きな工場だろ。たっくさんの人が働いているんだ。敷地が広いのはそれだけじゃない。働いている人のお給料は全部、寮での家賃になっているんだ。朝から晩まで働いて、寮の床でごろ寝する。ご飯は1日に少ししか食べさせてもらえない。シャワーなんてない。一度働き出すと死ぬまでやめさせてもらえない。そんな辛い生活を送っているんだ。――あ、ほら、あそこ。左手に見えるのが寮だ。いうなれば、ブラック企業だな。実際に、ここの紡績工場は“第2のアウシュヴィッツ収容所”と陰で言われているんだ」


“ブラック企業”という単語に8歳のエリザベスは小首を傾げた。しかし、“アウシュヴィッツ収容所”という単語を聞いた瞬間、エリザベスの顔が曇ったのを父親はミラー越しに見た。父親は我が子を元気付けようと


「まぁでも、全部噂だからな。情報を鵜呑みにするのは良くないよ」


 と優しく言った。エリザベスは不安そうな面持ちでこう言った。


「うん、でも……。怖いからもう見たくないな、この工場。ねぇ、お父さん。新しいおうちとこの工場って遠いよね?」


「そうだなぁ。地球と月くらい遠いぞ」


 父親は真顔で冗談を言った。エリザベスはそれを信じたようで、笑顔になった。


「ねぇ、お父さん。新しいおうち、楽しみだね」


「そうだな」


 舗装されていない不安定な道を、一台の軽自動車は去って行った。


 エリザベスの脳内には、もうあの工場のことなんてない。


 なぜなら、エリザベス自身が記憶から消したからだ。




 地球上ほし地球上どこか──いや、紡績工場。これは、その紡績工場で働く貧しい少年の物語。その少年の名は──。

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