続・生物多様性:生態系におけるホモサピエンスの立ち位置

 生物多様性について、まずは人間による生物多様性の破壊の程度を評価する必要がある。自然界では放っておいても生物は死に絶える。だが環境省のHP[1]によれば1975年以降、生物種の減少が著しく、恐竜時代の4000万倍とされている。認知されている生物種数も違うだろうし、この数字を額面通りに受け取るべきかは議論の余地はあろうが、人間の活動が生物の絶滅を加速させているという推論は行き過ぎではなかろう。


 自然は人間にとって都合の悪い面を持つ。病気や猛獣による命の危険。人間はそれらを滅ぼしてきた。あるいは遊戯として殺してきた。それらの行為単体をみればさほどおかしなことではない。シャチはアシカを弄び、悪ふざけでクジラにちょっかいをだす。


 だがシャチは生態ピラミッドの頂点だ。生態ピラミッドについて考えよう。種を語るということで、人間ではなくホモサピエンスと呼称しよう。ホモサピエンスは動物としては貧弱にみえる。ダーウィンが言うところでは雑食性の猿の延長。自身の膂力でライオンやバッファローに勝てるものではない。筆者は鹿も倒せないと思う。デカいし角あるし。たぶん山の中で蹴られたら死ぬ。ホモサピエンスの『科学』は、ほとんど『チート』みたいなものだ。ゲームバランスが崩れる。


 生態ピラミッドを眺めていると色々なことを考えさせられる。例えばシロナガスクジラだ。あの巨体で一定の個体数を維持する仕組みとして、シロナガスクジラはピラミッドの低層であるオキアミを食糧とする。上層に行くほど個体数が減るため、何をどれだけ食べるかは種族の繁栄に重要なファクターだ。増えすぎて食糧が尽きたら滅びるしかない。サバンナの大型草食動物も同じような仕組みを持っているだろう。

 

 そんなわけでホモサピエンスは科学を手にしたことで、生態ピラミッドからの離脱を果たしたように思える。猛獣に命を狙われることは稀だ。たまに熊被害のニュースを見ると、本来のポジションを思い出す。

 

 人の活動が他の生物にどの様な影響を及ぼすかは前話・生物多様性で述べた通りだ。安全や利便性を追求すれば、本来のピラミッドの頂点に立つ種が害される。永い年月をかけて作られたバランスが崩壊する。滅ぼした種の代わりの動物を輸入するアイデアもなくはない。だが外来種という別の問題を呼ぶ。アメリカがキラービーの駆除にスズメバチの導入を検討して恐れ戦いた話や、アメリカに蔓延る葛、グリーンモンスターを思って欲しい。人間は移動するだけでも種や菌などで外来種を連れて行く。本当に厄介な存在だ。


 というわけで、自然と共に生きたいと思うなら、ホモサピエンス本来のポジションに立つ覚悟が必要ではなかろうか。あるいは快適な暮らしを求め、地球という広大なフィールドでの共存を図るならば、自然界とは距離を置き、接触面積を最小化するのが妥当に思う。手を出しては行けない領域はあると思うのだ。


 余談だが、最近では生物多様性の経済効果も評価されているようだ[2]。お金でしかモノを判断できない人達への説得材料。相手の立ち位置に立つというコミュニケーションの基本ではあるが、なんだか悲しくもある。




[1]環境省ホームページ 図で見る生物多様性の危機と私たちの暮らし

https://www.env.go.jp/policy/hakusyo/zu/h22/html/hj10010301.html



[2]環境省 生物多様性センター

https://www.biodic.go.jp/biodiversity/activity/policy/valuation/service.html

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