4、独占欲

 小道からわき道へとつき進む内、ハルはすっかり方向感覚が分からなくなってしまった。

十分程歩いて辿り着いた場所は「ナナサト床屋」という看板が掲げられた小さな床屋だった。

外観はかなり年季が入っている。


「ここは……?」


「ハルさんさ。その髪、邪魔じゃない?」


「え?」


「嫌じゃないなら、切っちゃおうよ。なんて、いらないでしょ」


 ハルが返事をするより早く、竜太は床屋のドアを押した。

カランコロンと軽快な音が響く。


「七里さーん、今ヒマ?」


「おぉー竜太ぁ。久しぶりだなぁ」


 店内には白髪の老人が椅子に座って新聞を読んでいた。

七里と呼ばれた老人はハルに気が付くと目を見開いた。


「何だぁ、いっちょまえに彼女でも自慢しに来たんかぁ」


「馬鹿言うなよ。この人、宮原ハルさん。で、こっちは七里ってじいさん」


 竜太の仏頂面などお構いなしに、七里は「おぉ、宮原さんの孫か!」と立ち上がった。

聞けばハルの祖父はこの店の常連だったという。

嬉しそうに話す七里に、ハルは気まずい思いで相槌を打った。


「……無駄話する気、ないんだけど。七里さん、身代わり人形って余ってる?」


「おぉ、下の引き出しにあんべ。なんかあったんか」


「ハルさんの髪に女が引っ付いてる」


「そうかぁ、そりゃあ大変だなぁ」


 そう言って七里はハルを鏡の前に座らせた。

特に拒否する理由もなく、彼女はあれよあれよという間に散髪の準備をされてしまった。


(何が何やら……髪を切ったら声の人が居なくなるって事? このおじいさんも何か知ってる人……なのかな?)


 鏡に映る自分は疲れた顔をしているが、いつもと変わりなく見える。

店の奥からは竜太が棚を漁っている音が聞こえた。


「さぁて、切るっつっても、どん位だんべ」


「え、えっと……」


「二十センチもあれば充分じゃない?」


「おめぇなぁ、二十センチて結構切るぞ」


 後ろで言い合う二人に、ハルはおずおずと声をかけた。


「あの、肩にかからない位まで、切っちゃって大丈夫です」


 彼女の髪は下ろすと腰近くまであり、結構な長さである。

「そんなにか」と驚かれたが、今の彼女にとってこの髪は恐ろしいモノの住み処でしかない。


 本人が良いならと、七里はハルの髪を下の方できつく結い直す。

そして大きな鋏でザクザクと切り落とし、髪の束をそのまま竜太に手渡した。


「ほれ」


「ありがと。と思う」


 意味が分からず首を傾げるハルの顔に、竜太は何かを近付ける。


「わ、何?」


「これに息、三回かけて」


 彼の手にあるのは白い布製の人形だった。

顔のないシンプルなもので、綿が入っているのかコロンとした形をしている。


(この子、いつも説明が無いな……)


 ハルは少し不満気に息を三回吹き掛ける。

鏡ごしに人形の背に文字が書かれているのが見えたものの、内容までは分からなかった。


「後はよろしく」


「おぉ、任せろ」


 竜太はすぐに人形を引っ込めたかと思うと、今度は椅子に腰掛けて漫画雑誌を読み始めてしまった。

七里も「若いわけぇ子の好きそうな髪型は難しいべなぁ」と楽しげにハルの髪を整えていく。

一人取り残された気分で、彼女はされるがままに身を任せた。



 散髪は滞りなく終わったものの、七里とハルの間では代金を払ういらぬの押し問答が繰り広げられる事となった。

結局、竜太の折衷案で七里は千円だけ受け取り、ハルはまた来ると約束する形で終結した。


(大分スッキリしたなぁ)


 短く整えられた前髪を軽く弄る。

おかっぱだかミディアムボブだかの髪型は、思いの外彼女の心を軽くさせた。


 店を出た二人は床屋の駐車場の隅で足を止める。

彼女としてはいい加減に彼の思惑を知りたいものである。


「あ、あの。これから、どうするの? 髪を切ったら居なくなるんじゃ、ないの?」


「違う。あいつはハルさんと、その髪を気に入ってる」


 竜太は先程の人形と髪の束を両手に持っている。

ハルは先程まで自分の一部だった髪を、なんとも奇妙な感覚で見つめた。


「俺は霊能者じゃないから、どうなるか分かんない。……とりあえず、この人形をハルさんの代わりって事にしてさ、髪の一束でもプレゼントして、妥協してもらおうよ」


「は、はぁ……」


 まさかの取引という発想にただただ驚く。

竜太はハルに向かって両手の物を掲げた。


「ねぇ、聞こえてたでしょ。出てきなよ」


 自分に対して言われている訳でも無いのに、ハルは緊張した面持ちで直立不動になった。

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