内気少女の怪奇な日常 ~世与町青春物語~

彩葉

一章、落ちる男

1、見つける

「み、宮原みやはらハルです……よ、宜しくお願い……します」


 ボソボソと言いながら頭を下げるハルに対し、教室内からは小さな溜め息がそこかしこで漏れ出た。

失望されている──

瞬時にそう察した彼女は頭が真っ白になり、考えていた自己紹介の言葉は全て吹き飛んでしまった。


 石のように固まるハルを見かねた担任が助け船を出す。


「宮原さんは東京からきたそうだ。ま、仲良くやるように」


 ハルは視線をさ迷わせながら、おずおずと用意された席に向かう。

途中、「暗い」だの「地味」だのといった小声ながらも率直な感想が彼女の耳に届く。


 彼らに悪口のつもりはないのだろう。

しかし気にしている事を囁かれる側はたまったものではない。

恥ずかしいやら悔しいやら──彼女は前髪を弄る振りをして唇を噛みしめた。



 ハルが転入した世与せよ高校は、S県世与市にある公立高校である。

田舎というほどではないが都心部からは少し離れている。

その土地柄故に東京に関心のある生徒は数多い。

そんな中で「東京から女子が来る」という噂が早くに広まっていた事が、彼女にとっての不運だった。


東京の流行に詳しいだろうか──

おしゃれな子だろうか──

可愛ければ尚良し──


 生徒達の勝手な期待は転校生本人の登場により打ち砕かれる事となる。


 背中までダラダラと伸ばした黒髪。

前髪は重く、化粧っ気の欠片もない。

スカートは規定通りの膝が隠れる長さ。

モジモジしながら泳ぐ視線、小さな声。


 緊張しているのは明らかだったが、それにしても暗い印象だった。


 このままではまずい事は本人も重々理解している。

しかし焦れば焦る程、言葉は詰まって出てこない。

初めこそ声をかけてくれる者もいたが、終始受け身の彼女に面白さを見出だす者はいなかった。


 結局、悪印象を挽回する機会も度胸も無いまま、昼休みになる頃には彼女は完全に孤立してしまっていた。




(あれ? 今一瞬何かが動いたような……?)


 本日の授業もあと十五分、といった時である。

黒い影のような物が視界の端に走った気がした。

虫嫌いのハルは眉をひそめ、視線を左側に向ける。


 左隣の男子生徒は板書する振りをしながら寝ており、異変は見当たらない。

気のせいかと黒板に向き直ろうとした時、男子生徒よりも遠く、窓の外に動く影を捉えた。


(人……? 男の人、かな)


 やたらと大声で英文を読み上げる教師に気を使いつつ、目を凝らす。


 教室の窓からは体育館へ続く渡り廊下と旧校舎の一部が見える。

更に奥には高めのフェンスがそびえ立ち、住宅街が顔を覗かせる。

その住宅街の中でもそこそこ大きなマンションの屋上に誰かが居た。


 梅雨入りした薄暗い空の下、妙に存在感のある人影だ。


 視力には自信のあるハルだったが、人相までは分からない。

灰色の作業服を着た男性だろう、という認識に留まった。

その人影は具合でも悪いのか、ふらつくようにうろついたり、しゃがみ込んだりと緩慢な動きを繰り返している。


(何かの作業中かな。危ないなぁ)


 見ていても仕方ないと思うものの、つい気になり目で追ってしまう。

屋上の縁で右往左往していたその人物は、ふいに動きを止めた。


「あっ!」


 瞬間、教室中の視線が声の方へと向く。

思わず口をおさえてしまったハルの姿に、皆すぐに声の主は彼女であると悟った。


「どうした? えっと、宮原さん?」


 転校初日という事もあるのだろう。

男性教師が猫なで声をかける。

クスクスと沸き上がる生徒達の笑い声から、これは彼の本来の性格でない事は容易に想像がついた。


「す、すみません、何でもないです……」


 ハルは小さく頭を下げた。

すぐに授業は再開され、皆の興味も他へ移る。

しかし彼女は俯いたまま動けずにいた。


(どうしよう。今、あの人、こっち見た。それで……それで……)


 先程見た光景を思い出し、身震いする。

彼女が動揺している間に授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。


 人影は、確かにハルの方に顔を向けた。

 そして彼女が目が合ったと理解すると同時に、崩れ落ちるように地面へと消えていった。

まるでスローモーションのような現実味の無い光景が脳裏に焼き付き離れない。


 授業から解放され、生徒達が賑わい出す。

その世界から切り離されたかのように、ハルだけが固まっていた。

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