夜明けに蹄音は鳴り響き
空ひつじ
戦争が終わった日
セグリア軍、第二分隊の陣営は、今までになくなごやかに、賑やかであった。
談笑と、時折あがる笑い声、杯をぶつけあう甲高い音──穏やかな喧騒から離れた厩舎にまで、浮ついた空気は布に染みる水のように広がっていた。馬たちが忙しなく耳を動かし、首を振り、時折小さく嘶いている。
ロバートは、ただ静かに、深い鹿毛の馬の首筋を撫でていた。
もし、今誰かが厩舎にやってきたら、ロバートの横顔を見て声をかけるのを躊躇っただろう。壮年の男だとは思えないほどに、ロバートの表情は無気力で、暗い影が落ちているのだ。しかし、馬を見つめるその瞳だけは、幽かな光を宿していた。
「お前は本当に、ここを撫でられるのが好きだな。アヴァロン」
うっとりと目を閉じていた馬──アヴァロンが、薄く目を開けた。心地よさげに、歯を剥き出しにしてあくびをする。それから首をもたげると、猫のように頭をロバートに押し付けた。
当然、猫よりもずっと大きな頭の力は強く、ロバートはよろけそうになった。腹と脚に力を込め、全身でアヴァロンを受け止める。
ひとしきり甘えると、アヴァロンは鼻をロバートに向けた。自分を真っ直ぐに見つめる一対の目は、薄暗い厩舎の中でも潤んで見える。途端に、ロバートはたまらない気持ちに襲われ、アヴァロンの顔へと手を伸ばした。
包むようにアヴァロンの顔に両の手を添え、目を閉じて、互いの額同士を触れ合わせる。視覚を閉じれば、アヴァロンの熱と毛並みの柔らかさ、呼吸の音をよく感じる。ロバートはしばしの間、アヴァロンの体温を確かめた。
「……お前は、達者でいておくれよ」
やがて目を開けて額を離し、ロバートは呟いた。ゆっくりとアヴァロンに背を向け、勲章を鳴らしながら軍服のジャケットのボタンをはずし、内ポケットから拳銃を引き抜いた。
ゆっくりと、安全装置を上げて解除する。何度も握った拳銃の冷たさが、一層肌を突き刺した。
いつの間にか浅くなっていた呼吸を、落ち着けるためにロバートは深く息を吸った。それでも、急き立てるように鼓動が骨に響く。
──もうすぐ、鐘が鳴る。隣国との国境を争う戦争に、ようやく勝利と終結が告げられるのだ。
皆が、長き地獄からの解放を待ち望んでいた。ロバートだけが違った。砲弾が飛び交う戦場を駆け抜けるよりも、戦争が終わったその先の時間を生きていくほうが、ロバートにはずっと恐ろしかった。
戦争の終わった世界で、己が生きていく意味も、価値も、ないのだから。
目を閉じ、まぶたの裏の暗闇を見つめる。ゆっくり、ゆっくりと銃を握った方の腕を上げ、銃口をこめかみに押しつけた。
脳裏に、妻子の顔が浮かんだ。とうに逝ってしまった、愛しい家族。引鉄を引いてしまえば、彼女たちと同じところには召されない。
(──すまない。メアリ、レイチェル)
それでも、ロバートには、こうするしかなかった。
肺に酸素が満ちたところで、呼吸を止める。微かに震える引鉄にかけた指に、力を込めた。
鼓膜を突き抜けたのは、銃声ではなく馬のいななきだった。
銃を握る手が、腕ごと引っ張り上げられる。強張っていた手から力が抜けて、拳銃が落ちた。
ロバートはよろめいた。体が馬房の柵に叩きつけられ、束の間呼吸が止まる。放心状態で、ロバートは己の腕を捉えたものを見た。
アヴァロンが、袖の裾に噛みついていた。裾を捕まえた歯は剥き出しで、鼻腔がぶるぶると震えている。
ロバートは何が起こったのかわからず、束の間ぼんやりとした。切れ切れに顔にかかる馬の荒い吐息が、生ぬるい。薄暗い厩舎でもはっきりと見えるほどに異様に光ったアヴァロンの大きな黒目が、自分を見つめている──ロバートは、己の心臓が胸を強く打っていることに気がついた。
「……アヴァロン、離してくれ」
アヴァロンは、彫像のように動かない。
「アヴァロン」
もう一度名を呼び、左手を伸ばして鼻先を押す。それでもアヴァロンは、万力のごとき強さで、決して袖を離そうとしなかった。ロバートは、アヴァロンの鼻先に当てた手に力を込め続けたがびくともせず、やがてロバートの左手は脱力して、地へと垂れた。
それでもなお、アヴァロンはロバートを離さない。
「どうしてだ、アヴァロン……」
掠れた声で、ロバートは呟いた。
ふと、砂と藁を踏み締める音が耳に届いた。足音の主はロバートへと近づいていき、そばで止まると、銃を拾い上げた。
「武器はすべて返却するよう、全隊に命じたはずだったが」
ヴァルター大佐は、静かな口調で言い、安全装置のレバーを押し下げた。耳をぱたりと動かしたアヴァロンは、やっとロバートの袖を離した。解放された腕は、糸が切れたように脱力している。ロバートはのろのろと顔を上げた。
「今日は武装は必要ないぞ、フィッツロイ君。これを使うべき場は、戦場のみで充分だ。……ましてや、戦友の目の前で引鉄を引くなど」
鷹のようなヴァルター大佐の目に見つめられ、ロバートは視線を落とした。
ヴァルター大佐は、依然として荒い呼吸を繰り返すアヴァロンに近づくと、その首筋を撫でた。繰り返し撫でるうちに、アヴァロンの目つきに穏やかさが見え、呼吸も落ち着きはじめた。
「アヴァロンは賢いな。いつまで君の腕を掴んでいればよかったのかをわかっている。──君に懐いているからこそだな。傍にいなくてはならないほどに」
ロバートは、顔を上げられなかった。わずかな沈黙ののちに、ヴァルター大佐がため息をついた。
「銃は没収だ。頭が冷えたら、執務室に来たまえ」
それだけを言い、ヴァルター大佐は厩舎を立ち去った。
ロバートの視線が、ぼおっと揺蕩う。心臓が脈打つごとに、胸骨の奥が有刺鉄線で締めつけるように痛んだ。
アヴァロンが、鼻先をロバートの頭へ寄せた。鼻息が、はしばみ色の髪を揺らす。のろのろと顔をあげると、アヴァロンの潤んだ大きな目に、己の顔が小さく映っていた。どんなに小さくとも、生気の抜けた顔をしているのがわかる。そんな自分を、アヴァロンは見つめ続けている。
ロバートは、馬房の柵に手をかけた。腕に力を込め、柵に縋るようにして立ち上がる。慈しむように肩のあたりを食んできたアヴァロンの首に手をあてる。
その毛並みは、厚みを増していた。深まる秋、その先の極寒にも耐えられるよう、冬毛へと変わりつつあるのだ。その柔らかさと、下から伝わる熱を、鼓動が静まるまでロバートはただ掌で感じていた。
兵舎は薄暗く、冷え込んでいた。今は皆が食堂で、勝利と終戦の宴に興じているのだろう。己の長靴の音だけが耳に聞こえる。
〈執務室〉のプレートを掲げた扉を、緩慢な動きでノックすると、一拍おいて「入りたまえ」と声が聞こえた。
入室したロバートは、少し振り返って扉を静かに閉めた。書類の山に埋もれた大ぶりな文机で、ヴァルター大佐はペンを走らせている。ロバートが足を揃えて立つと、大佐は顔をちょっと上げた。
「後始末の書類の山が弾幕の如く降ってきてな、見ての通りの惨状だ。これにサインするまで、少しばかり待ってくれたまえ」
ペンを握り直した大佐は、単語をひとつ書き加えたところで再び顔を上げた。
ロバートは扉の前で、気をつけの姿勢をとったままだった。大佐が一つ、小さなため息を吐くと、文机の前に設られた応接用のソファをペンで指した。
「かけたまえ」
「いえ、このままで」
「かけたまえ。君のような医学の心得がなくとも、座らせたくなる顔色だ。かけたまえ、そうでなければ私の書類仕事も終わらん」
そう言われてしまえば、従う他なかった。ロバートがソファに浅く座ると、大佐はペン先をインクに浸した。
書類仕事を進めるヴァルター大佐を待つ間、ロバートは首だけを少し動かして執務室を眺めた。書類や雑貨類が、床のあちこちに雑多に積まれ、埃が舞っている。戦時には、どれほど荒れた戦況でも整えられていた部屋だった。
文末に署名をしたためると、ヴァルター大佐は文机を離れ、空白の目立つ戸棚を漁り始めた。ラベルの剥がれかけたウィスキーの瓶を左手に、曇ったロックグラスを右手で二つまとめて持ち、ロバートの向かいのソファにどっかと座った。
「さて、こうして君を呼び出すのも何度目になるか」
大佐はもう半量もないウィスキーを躊躇いもなくグラスに注ぎ、ロバートの前に一つ置いた。
「……お心遣いはありがたく思っています。ですが、辞退の意思に変わりはありません」
「そうか。私は君にこそ、褒賞を受け取ってほしいのだがな」
「…………」
大佐は、グラスに口をつけながらも視線をロバートからはずさなかった。ロバートは一度目を落とし、唇を湿らせてから大佐を見つめ返した。
「私は先ほど自死を図りました。そのような人間が褒賞をいただいても、無駄としか言いようがないでしょう。それよりも若者たちにやってやったらいかがですか。武功を挙げたということなら、彼らこそふさわしい」
「若者たちへの褒賞はもちろんだが、それはまた別の話だ。お前が、彼らが生き延びるために尽力したことは事実だ」
ロバートはふっと目をそらした。
「……私が、どんな理由で志願したのかはご存知でしょう」
「だとしても、だ。やはりお前は褒賞を受け取るべきだ」
もう一口ウィスキーを飲んだ大佐は、グラスをテーブルに置いた。
「それに、褒賞の内容は私に一任されている。この軍隊の財産、資材から与えることもできる。……さて、ここからは雑談だがね。まあ要はそのあたりの管理は、ある程度私に一任されているというわけだ。終戦した今は、その解体が第一任務だがね。その任務で、上から解体方法はいくつか命じられているが……軍馬の後処理も、含まれている」
ロバートの肩が、わずかに揺れた。
「この戦争のために召集、あるいは捕獲した馬のほとんどは、売却せよとの命令だ」
「売却とは、どこに」
「まあ、ほとんどは肉問屋たちの競りにかけられるだろう。前線付近の町々は、ほとんどが畑も潰され、飢餓寸前だ」
大佐は、再びグラスを傾けた。一口目よりも多く酒を飲み、グラスを置けば鈍く甲高い音が響いた。
「──アヴァロンも、例外ではない」
喉元に、冷たいナイフを刺し込まれたような感覚がした。
ロバートは、心臓が突き上げるままに言葉を発しかけ、しかし両の拳を強く握り込んでそれを抑えた。
一度死ぬことを決めた以上、アヴァロンの行末に関与できなくなることは、覚悟していたはずだった。しかし、そのアヴァロンに自死を阻止され、今は酒を目の前に五体満足でいる。だというのに、己を助けようとしたアヴァロンには死が目前に迫っている。
アヴァロンは、先住民が捕獲し、軍が徴収した野生馬であった。かつては暴れ、誰も背に乗せようとはしなかったアヴァロンだったが、ロバートにだけは心を許してくれた。弾幕の中を、アヴァロンの背に乗って駆け抜けたあの恐ろしい時も、アヴァロンはロバートの指示に忠実に従い、生き抜いた。
ロバートは、無意識に両手で目を覆った。
「しかし、私には何もできません」
食いしばった歯の隙間から絞り出すように、ロバートは言った。
「私は、あくまでも志願した一兵でしかありません。志願兵は、戦争が終われば退役する。軍馬は国の所有物だ。戦争が終われば、もう彼の生死には関われない。それは動かぬ事実ではないですか」
微かな怒りが、ロバートの胸に湧き上がった。
「それなのに、何故こうも無情なことを言うのですか」
声を荒げることは、抑えられなかった。
ヴァルター大佐は、背筋を正した。
「だから、褒賞をお前に勧めているのだよ。……褒賞は、本人が望めば金銭ではなく、現物でもいいとされている。軍が所有する物資でさえあれば」
「物資……」
まさか、とロバートは掠れ声で呟くと、大佐は頷いて見せた。
「お前が望みさえすれば、軍馬一頭を褒賞として譲り渡すことができる」
ロバートの胸に、一筋の喜びが差し込む。しかしそれは、すぐに消え去った。
「しかし、他の馬たちは……生きる道は絶たれるというのに、私の身勝手さで、アヴァロンだけを連れ出すのは……」
「フィッツロイ中尉」
ヴァルター大佐の目には、仄暗い光があった。
「諦めろ」
大佐は、グラスを煽ると疲れ切ったような溜息を吐き出し、ソファに深く座り直した。
「お前のそれは、悪足掻きだ。わかっているはずだ、どれほど正義感をもって倫理を突き通そうにも、権力を捨てた俺たちが救えるものなど、ほんの一握りだと。お前に、この軍の馬すべては救えない。なのに一頭だけを掬い出そうとするのは、成程確かに傲慢な選択かもしれない。──だから、アヴァロンも見捨てるのか? お前が導き、希望を与え、運命を共にせんとした愛馬を? 自分を、愚かな人間にしないがために?」
「それは……」
薄暗い部屋の中で、ウイスキーの、グラスの底のまろい光を、ロバートは見つめた。
「……私の愚劣さを否定したいのではありません。しかし、私はあまりにも悍ましい欲求から、軍に志願した。そのような人間が、戦争で死にきれず、あまつさえ馬一頭を救う資格など……」
一瞬、沈黙が落ちた。
「だから、私はお前に諦めろと言うんだ。どうせ、こんな戦争、国のお偉いさんが喧嘩して勝手に始めたんだ。それでどれだけの人が死んで、お前のように振り回されて戦火に身を投げ出すものがどれだけいたか……。そんな戦争で、身勝手に命の一つや二つ、救ったっていいだろう。真っ当な善など、諦めろ」
大佐は再びグラスを煽ってウイスキーを飲み干し、瓶を手に取った。注がれるウイスキーが波のように揺れるのを見て、ロバートはぼんやりと思った。
(この人は、今、何もかもに怒りがあるのか)
この戦争にも、国にも、ロバートにも、そしておそらく、己にも。理不尽への憤りが、静かな大佐の顔から透けて見えるようだった。
(真っ当な善行、か。なら、アヴァロンだけを救うことは……偽善だろうか)
そう思った瞬間、空気の塊のように喉元に詰まっていた何かが、すとんと、滑り落ちた。
ロバートは、感情に揺さぶられて弛緩した背筋を、今一度伸ばした。
「ヴァルター大佐。褒賞を望みます。アヴァロン号を、下げ渡していただけますか」
大佐の口が、弧を描いた。
「それを待っていた」
ヴァルター大佐は、ロックグラスを持って目配せした。それに応えて、ロバートもグラスを持ち上げ、大佐のグラスと互いに軽く触れ合わせる。
ロバートは口をつけたグラスを、ゆっくりと傾けた。枯れた土に水が染み込むように、唇の隙間から燻した香りと共に、ウィスキーがじわりと口の中に広がる。
酒は、妻と娘を失ってから絶っていた。数年ぶりのアルコールに、喉が焼けつくようだった。
──国境を争う戦争は既に終わり、最早この瞬間は、家族の痕跡が残る戦中とは時代を違えた。本当は、戦中の時代で、死にたかった。しかし、それは叶わなかった。戦場では弾はことごとく自分の心臓を逸れ、ならば自分の手で引鉄を引こうとして、愛馬に阻止された。
亡き家族を思い、苦しみ、憎しみを敵兵にぶつけ、その己の愚かさに血反吐を吐いた自分は今、戦後にいる。戦後を生きる価値など、己にはないと思っていた。今もそうだ。しかし、自死を理解して止めまでしても自分を慕ってくれたアヴァロンを、見捨てることも、どうしてもできない。
ならば。ならば、自分はこれからどうするべきか──
「……こうして、お前と酒を酌み交わしてみたかったのだ」
ヴァルター大佐の呟きに、ロバートは目を見開いた。
「自分などと、ですか」
「俺も、お前と同じ穴の狢だからな」
大佐の顔には、苦笑めいた表情があった。大佐は、また一口ウィスキーを飲んだ。ロバートは、何も聞けず、大佐にあわせるようにグラスを口へ運んだ。
「それはそうと、いつ隊舎を出る? アヴァロンはいつでも引き渡せるが」
「明日にでも。夜が明け次第、出ようと思います」
「また生き急ぐのか。まあ、好きにしたまえよ。実家に帰るのか?」
「……もう私にとっての実家はありませんよ」
「なら、どうするのかね」
「何も考えていませんでしたから」
ロバートはグラスをテーブルに置くとソファの背もたれに体重を預け、束の間目を閉じて考え込んだ。
瞼の裏に、アヴァロンの輪郭を描く。戦場の荒野を映す深い色の瞳に、風になびく黒いたてがみ……。もし生きることが許されるなら、と妄想した夢が、脳裏にひらめいた。
「──北東へ。アヴァロンが、生まれたという場所へ」
静かな声だった。
「それは……随分と遠いな。この大地の果てとも云われる場所だ。道も整備されていないぞ」
「ええ」
「余生をアヴァロンに捧げる気か」
「……そうなるでしょう」
ロバートの口元が、わずかに緩む。
「彼のためと思えば、まだ少し生きてもいいか、と思えました」
ヴァルター大佐は、表情を変えなかった。だが、その目はどこか哀しげであった。
机上のロバートのグラスを、大佐のグラスが軽く打った。
「……お前の旅路に、幸福があることを祈ってるよ」
グラスの中で、少しだけ残っていたウィスキーの水面が震えていた。
もともと持っていた私物は少なかったから、荷造りはあっという間にすんだ。身の回りのものをまとめた荷袋を抱え、ヴァルター大佐から旅立ちの餞別だと言って半ば押し付けられた小銃は背に、ロバートはこざっぱりとした小さな寝室を出た。
薄闇に沈む馬繋場で、アヴァロンに丁寧にブラシをかけていく。アヴァロンは、厩舎にロバートが現れてからずっと興奮気味だったが、ブラシをかけるうちに落ち着きを見せつつあった。しかし、隙あらば首をぐっと曲げ、ロバートをつっついたり、たてがみを押し付けようとしてくる。
「わかった、わかった」
思い切り袖を引っ張られたロバートは、観念してアヴァロンの首筋を柔らかくたたいてやった。アヴァロンが鼻を鳴らす。ロバートの口が、かすかにほころんだ。
毛の流れを丁寧に整えてやってから鞍をつけ、荷物を載せる。手綱をつけようと馬銜(はみ)を口元にあてると、アヴァロンは素直にそれをくわえた。
馬繋場からアヴァロンを引き出し、手綱を背に回してから鎧に左足をかけると、ロバートは一息にアヴァロンの背に乗った。
アヴァロンの歩を進ませ、砦を突っ切って門をくぐったところで、ロバートはアヴァロンを停止させた。
振り返り、門を仰ぐ。赤煉瓦造りの門は、ところどころ崩れ、欠けが目立った。
空がほんのりと白み始め、門の向こうでは薄明かりに兵舎が浮かび上がる。
ロバートが兵舎を出た時、中は沈黙に満ちていた。ほとんどの兵は、宴の場で酔い潰れて眠ってしまったのだろう。
目が覚めたら、彼らは何を思うのだろう。砦を出たら、どこへ向かうのだろうか。
ロバートが右脚に力を込めると、アヴァロンは素直に従い、くるりと体を反転させた。
門の真正面に向き合ったアヴァロンは、背筋を正し、敬礼をとった。これを最後の敬礼にしようと、心に誓いながら。
空を切るように腕を下げ、ロバートは再びアヴァロンに、砦から背を向けさせた。
「行こう、アヴァロン。お前の故郷へ」
首筋を撫でると、アヴァロンが、小さく鳴いた。砦の門から最前線まで、木々がまばらに立ち並ぶ原野を横切る道を歩き出す。道にある深い轍を、アヴァロンの蹄が削った。やがて、地平線から太陽が昇り始め、ロバートたちの影が大地に黒く、細く伸びていく。朝日の眩さに、ロバートは目を細めた。
一人と一頭はしばらく轍を辿り、砦が遠く見えなくなる頃に道を逸れた。
彼らの行く先で、同じ朝日を浴びているものたちがいた。
少女は埃まみれの娼館の片隅で震えながら、曇った窓から差し込む光を見上げていた。
青年は野の真ん中で、外套から隊章をむしり取り、朝日に照らして見て整え直している。
国境の向こうでは、幼い妹を起こさぬように家を出た少年が、朝日を一瞥もせずに水汲みのバケツをぶら下げて行く。
深い森の中で、先住民の娘は焚き火を消し、弓を背負い直していた。
遠く離れた若者たちも、旅立った男と馬も、朝日は皆等しくその行く先を照らし、白んでいた空を橙色に染め上げていった。
夜明けに蹄音は鳴り響き 空ひつじ @sorahitsuji
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