第三章 オートドールのいる日常
第21話 夏祭り
ギラギラとした強い日差しを地面が照り返している。
外出すればに水分と体力をミルミルうちに奪われるほどの酷い暑さが続く。
僕はほとんど家に引きこもっていて、これが正しい夏休みの過ごし方である。
「ハルト、水着を買いに行きましょう!」
イリスが妙なことを言い出した。
「なぜそんなものが必要なんだ……?」
「もちろん、海かプールに行くためですよ」
イリスは真っ直ぐな淀みのない視線を向けてくる。
まぁ、だいたいいつもそうなんだけど……。
「は? なんで僕がそんなとこに行かなくちゃいけないんだ?」
「そんなの夏をエンジョイするために決まってるじゃないですか!」
イリスがおなじみのドヤ顔で答える。
「却下」
「え~っ! どうしてですか!」
さも意外なことを言われたみたいなリアクションをされても困るぞ。
「水が怖い」
「……狂犬病ですか?」
「勝手に殺すな」
狂犬病の患者は極度に水を恐れるようになるとか。別名〈恐水症〉。
ちなみに発症するとほぼ確実に死ぬ恐ろしい病気だ。
「それじゃ何が怖いんですか?」
「水に入ったら故障するかもしれないだろ?」
「え? ハルトって水に入ったら故障するんですか? そういえばこの前、機械がどーたら言ってましたね」
だからそれは比喩だって――言ってなかったな……。
「この前のアレは比喩に決まってるだろ、言わせんな恥ずかしい。おまえが今使っている身体のことだよ……」
「この身体って完全防水仕様ですよね?」
「一応、そういうことになっているけど、わざわざ危険を冒すことはないと思うよ」
風呂に入ることはあるが、“穴”の多い頭部を湯船に沈めることがないように指示している。
もちろん『地獄の黙示録』ごっこは厳禁だ。
「う~ん」
イリスが珍しく難しい顔して唸る。
「あと、忘れているかもしれないけど、その身体……泳げないぞ……」
そう、圧倒的な比重により絶対に水に沈む、究極のカナヅチなのだ。
「それくらいわかっていますよ。ワタシはハルトとキャッキャウフフしたいんです! ハルトはワタシの水着姿を見たくないのですか?」
「は? おまえは僕の気分一つで裸に引ん剝けるんだよ?」
「え? ハルトは水着を半裸ぐらいにしか思ってないのですか!」
「……違うの?」
当たり前のことを言ったつもりだったのだが、イリスは意外にも驚いた様子だ。
「女子の水着はオシャレなんですよ! 知らないのですか? そんなのだからハルトは陰キャなんですよ!」
「僕は陰キャだけど陰キャの悪口は許さないぞ」
水着がオシャレ……ねぇ。
言われてみればそうかもしれないが、僕の趣味ではないなぁ。
「うう……。プール行きたくないですか? 水がたくさんあるんですよ?」
「体育のプールで十分だよ。夏休み前に十分楽しんだ」
水泳の授業は陸上競技や球技と違って、勝ち負けがあまりないから精神的にちょっと楽だ。
「どうしてワタシを呼んでくれなかったのですか?」
「むちゃ言うなよ。あと、水がたくさんあるから問題だってさっき言っただろ」
「〈スーパーハイドロランド〉に行きたくないのですか? 巨大スライダーですよ!」
「いや~、わざわざ出かけるほどではないなぁ」
「や~だや~だ、プール行くの~、スーパーハイドロランドに行くの~」
イリスお得意の“駄々をこねる”が発動した。
仰向けになって手足をバタバタと動かす。
まるで小さい子供だ。
しかし、そう何度も同じ技が通じるものか。
「それ以上駄々をこねると別のAIと入れ替えるよ」
そう言った直後、イリスはピタリとおとなしくなった。
「…………まぁ、別にプールとか行く必要は全然ないですね」
「ふぅ……やれやれ……」
僕はため息をついた。
自分が作ったゲームのクリアに手間取った気分だ。
う~ん、プールはともかく、どこかに出かけるのはアリかもしれないな……。
*
「ハルくん……どうですか?」
浴衣に着替えたシノブが少し恥ずかしそうな仕草で問いかけてくる。
紺を基調とし、薄紫色の蝶の絵柄がいい味を出していると思う。
「とても可愛いよ」
人間にはとても言えない言葉も、オートドールになら言える。
いや、シノブだからか?
「まぁ、これはイリスさんの身体なのですけれどね……」
自分で訊いておいてその反応かよ!
しょうがないだろ、実身体は高価なのだから……。
ただ、同じ身体だけどいつもの人格と違うというのはそれだけでおもしろい。
仕草が違うから別人だとよくわかる。
「よし! それじゃあ、行くぞー」
今日はシノブと夏祭りへ行くのだ。
「しょうがないですね……」
「あー、ズルいっ! ワタシを連れて行ってくださいよぉ」
ホログラフィックディスプレイの中のイリスが激しく主張してくる。
なんというか……バリアの中に閉じ込められているみたいでおもしろいな……。
「では、わたしは自宅警備をしていますので、イリスさんがハルくんと行ってきてください」
実身体のない警備はちょっと心許ないなぁ。
まぁ、実身体自体が狙われかねない高級品だけど……。
警備用オートドールが強奪されるというまさかの事件が起きたことがあった。
「今日はシノブと行く気分なんだ。オーナーの要望に応えろ。そもそも入れ替えるのに時間がかかる。イリスはマリオネットシステムに対応してないこの身体を買うのに反対しなかったじゃん?」
ジェネシスAIはデータサイズがとても多いので、1つの実身体に複数インストールするのは難しい。
「だって、わたしがずっと使えば問題ないじゃないですか!」
「それじゃあ、僕がおもしろくない」
「わたしの方がハルトを楽しませることができます!」
「そういう意味じゃない。僕はそもそも入れ替えることを楽しんでいるんだ。この実身体は気に入っているけど、マリオネットシステムに対応していないことだけは残念に思い始めている」
「ぐぬぬぬぬ……」
さすがにこれは反論できなかったようだな。
まぁ、本当に論破されたら悔しさのあまり即座に停止させてしまうだろうけど。
僕の貧弱なメンタルを舐めてじゃいけない。
「しょうがないですね……。では、イリスさん、自宅警備はよろしくお願いします」
「うう、わかりました……。ARグラス越しで我慢します」
「祭りにはつけていかないよ。イリスは完全に留守番だ」
どうせ文句しか言わないから、今回は付けなくていいだろう。
「えー、経験値が……」
まったく……もっとスマートに送り出してくれないものか……。
もちろん、そういう方向に育てた僕のセキニンなのであるけど。
電車に乗っていると、シノブと同じように浴衣を着た人を多く見かける。
まぁ、目的は同じだろう……。
電車を降りて駅から出れば、目的の〈お~いサマーフェスティバル〉の会場はすぐだ。
この祭りは神社やイベントホールのような施設を会場にしているわけではなく、道路を使用している。
「ハルくん……人がいっぱいます。帰りましょう……」
到着早々、後ろ向きなこと言い出すシノブ。
確かに人が大勢いるのは僕も好きではないが……。
「安心しろ。その身体は重いから簡単には押し負けないぞ」
これでシノブもやる気が出る……わけがない。
「はぁ、そうですか……」
「では、行くぞ」
シノブの手を取って進もうとすると、彼女はおとなしく付いてきた。
なかなかの蒸し暑さで僕は早くも汗まみれだが、もちろん彼女にそういうことはない。
模擬店が立ち並ぶ中、かき氷屋を見つけて立ち止まる。
苺、レモン、メロン、ブルーハワイ、カルピル、コーラ、練乳と様々な“味”の札が吊り下がっている。
価格は1つ700円、なかなか強気な価格だ。
「このかき氷、味なしってできますか?」
と、店員に訊いてみた。
「味なし!? 価格は同じでいいならできますよ……」
彼は驚きつつもそう答えてくれた。
「では、味なしをひとつ、レモンをひとつください」
「あ、はい。2つ合わせて1400円です」
電子マネーで決済し、かき氷を2つ受け取る。
「ほれ、シノブ用だ」
シノブに味なしかき氷を手渡した。
「ハルくん……まさか、これを食べろというのですか?」
「オートドールが食べれるほぼ唯一の食品だぞ。ありがたく食すがいい」
そう、現在のオートドールは人間のように飲食はできない。
ただし水は飲める。ということは、氷を食べることはできるのだ。
「……いただきます」
――シャリ、シャリ。
シノブがかき氷を食べ始めた。
おお! オートドールが食事を取っている!
その感動を噛み締めつつ、僕も自分の分を食べ始める。
この味は本物のレモン果汁を使用しているな。
これは……当たりだ。
かき氷のシロップが香料と着色料で押し通しているものが多い中、これはなかなか真面目である。
着色料を使わなければさらに上品な仕上がりになったと思うけど、そこはご愛嬌だろう。
この鬱陶しい暑さにも、かき氷が美味いという利点はあるんだなぁ……。
「シノブ、どうだ?」
「冷たくて美味しいです……これで満足ですか?」
シノブの視線と口調はかき氷より冷たかった。
ゾクゾクする。本当に素晴らしい表現力だ。
「それで、ハルくんが食べているのはどうですか?」
「なかなかのものだぞ。ちゃんとレモン果汁を使っている」
「レモン果汁かければたいてい美味しくなりますからね。食べたことないですけど……」
「おまえ……唐揚げとかに勝手にレモンかけるのはやめろよ?」
「何を言っているのですか? 命令されない限りやるわけないじゃないですか……。それに、どうしてそんなシーンにわたしがいるのかわかりません」
「そ、そうだな……」
「さぁ、かき氷も食べ終わりましたし、これでハルくんも満足したでしょう……。では、帰りましょう」
「何を言ってるんだ? 僕の食事フェーズはまだ終わってないぞ!」
「ふぇええええ、もう食べられないよぉ」
シノブがわざとらしく嘆く。
「安心してくれ! シノブの分まで僕が食べる!」
「安心要素……ゼロですね……」
そして、僕は焼きそばを購入、もちろん一つだけだ。
シノブの分まで僕が食べると言ったな……あれはジョークだっ!
僕は少食なんでね……。
――ズルズル。
「うんめぇっ!」
その様子をシノブはじっと見ていた。
恨めしそうというより呆れている感じだ。
「食事できないオートドールを前にしてモリモリ食べる焼きそばの味はどうですか?」
「いや、最高だね。AI相手だと遠慮しなくていいからさぁ。悔しかったらおまえも食べてみるか?」
「悔しくないから別にいいです……。オートドールは食事できないって小学校で習いました」
「おまえはいつの間に小学校に通ってたんだよ?」
「常識の例えに決まっているじゃないですか?」
やっぱりシノブはこういう性格だ。
これがイリスなら無理に食べて、内部洗浄するハメになる状況を想像せざるを得ない。
実際はそこまで馬鹿ではないが。馬鹿では……ないよな?
「しかし、焼きそばが食べたいなら、ユウカさんかイリスさんに作ってもらえばいいのではないですか? 屋台風に作るレシピもありますよ。材料ももっと上質なものを使って……」
「何を言っているんだ? 祭で食べるからいいんじゃないか」
「そういうものですか……」
「そういうものだよ。しかし、まぁ、せっかくだから今度、シノブに作ってもらおうか……」
「やっぱりハルくんは鬼畜です」
さて、いつもはイリスに振り回されがちだが、今日はシノブをさんざん振り回して楽しかったな。
やっぱり愛玩用オートドールは方向性の違うのが複数いるといいよね。
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