でろでろの飴

めぞうなぎ

でろでろの飴

「んああ〜〜〜、だぁだったよ〜〜〜」

 襖の敷居を隔てた居間から、間抜けな声が聞こえた。

「何が?」

「ハードだよハード、だぁ〜〜〜もぉ〜〜〜」

 最後の皿から泡を洗い落とし、手をタオルで拭いてから居間を覗き込んだ。

「なぁ〜〜〜あぁ〜〜〜」

「お前、最初なんつったの?」

「『だめだったよ〜〜〜』」

「何が?」

「これよこれ、ん」

 突き出された画面には、色鮮やかなゲーム画面が映っていた。タイトル画面だけから察するに、障害物を避けてゴールまで向かうとか、そんな感じのゲームらしい。

「たまにはお前も皿洗えよな」

「やだよ〜〜〜、手荒れるもん」

「それは俺も一緒なの」

「毎回ぐずぐず言うけど、めーくんは毎回洗ってくれるもんね」

「誰かがやんなきゃいけないんだよ、回んないんだ」

「私はぜぇったいやんないけど」

「にょろ子、お前……」

 冷蔵庫に貼った家事分担表に目をやった。風呂掃除、ゴミ出し、皿洗い、その他その他、いつの間にか全てのマス目に俺の名前が入っている。

「お前なぁ……」

「いいじゃん、許してよ、ね、ね、ね、」

 にょろ子は半端な大きさの手の平で、わしわしと俺の頭をかき回してきた。

「これくらいで許すわけないだろ、やめろ、ぼさぼさになる」

「いーじゃん、どうせすぐお風呂入るでしょ」

「だとしても、気が散るんだよ、引っ掻き回されると」

「じゃ一緒に入る? 入ったら許してくれる?」

「ゆ、許さん」

「やだー、一瞬考えたでしょー。すけべー」

「考えてない」

「めーくん、嘘つくと視線が斜めになるからね」

「——」

「ず、ぼ、し」

「だとしてもすけべではない」

「耳赤いじゃん、じゅんじょーじゃん」

「堪らんな……」

 にょろ子の隣に腰を下ろし、ベッドに背を預けた。リネンからにょろ子の匂いがする。

「そこはSS席だから、高くつくよ、いーの?」

「お前のライブなんか誰も観ねーよ」

「森が勝ってますかー?」

「盛り上がれよ」

「めーくんが洗い物してる間にガスつけといたからちゃらにして」

「ボタン一発押すだけだろ」

「えー、何回押せばちゃらなの」

 にょろ子は脇に置いてあったリモコンを取り上げ、テレビの電源をつけた。

「これで二回だよ」

「ボタンを押す行為は家事じゃないんだよ」

「なんだとぉー、見てろよ私の指捌き」

 リモコンを横持ちして、音楽ゲームのようにボタンを連打し始めた。ランダムに殴打されるボタンに反応して、テレビ画面が目まぐるしく変わる。

「あっいーのー、せーんしー」

「てきとうな歌を歌うな」

「まっもれー、ちーきゅうー。たっおっせー、ドーミノー」

「ほんとにそいつら愛の戦士なのか?」

「てれれっ、てれれっ」

 ばぁ〜ん。

 飽きたらしく、後方のベッド上にリモコンを放り投げた。

「お腹いっぱいになったから眠い、寝る」

「待て、風呂入れ」

「いーよもー。眠いもん」

「入って寝ろ。その服明日の朝洗わなきゃいけないんだから」

「じゃ脱がして……」

「自分で脱げ」

「恥ずかしいんだな? ん?」

 床に突っ伏したにょろ子は、脇の下から視線をくぐらせて俺を見る。

「ほら、女の子脱がすチャンスだぞ、もったいないぞ」

「頼むから、自分で脱いでくれ」

「ねむ……」

「だから、なあ、風呂入ってから寝ろっての」

「むにゃ……」

「おい、意識落とすな」

「だめ、こんなんだったらお風呂ん中でねる、ねるよ」

「えー、じゃあ」

「ん?」

「あの」

「んん?」

「一緒に入ってやるから、起きろ。な」

「やっぱ一緒に入りたいんじゃん、すけべー」

「そう言うと思ったから言いたくなかったんだよな……」

「わかったよー、入るよー」

 にょろ子はたるそうに立ち上がり、もぞもぞと身を縮こめ出した。

「脱ぐよー」

「えー、あー、おう」

「脱げばいいんでしょー。うりゃー」

 あっという間ににょろ子は完全脱衣を完遂した。

「めーくん、早くお風呂行こ。眠い……」

「んー、んー、分かった。服を脱ぎ捨てるな。洗濯機に入れるまでが脱衣だ」

「めーくん入れといてよー。嗅いでも別に、私怒んないよー」

「するか。ほら、早く行け」

「ふぁぁ……」

 にょろ子の背を押して、風呂場まで連行した。毎日なだめすかして風呂に入れるのが俺の日課になってしまった。言うなれば、こいつが最後の洗い物である。一緒に風呂に入ろうと俺に言わせるためだけに、ただでさえふにゃふにゃなにょろ子がのらりくらりと俺の手を掠めている気がする。

「めーくん隣にいないと寝れないから、早く入ろ」

 すでに目の焦点が怪しくなりだしたにょろ子の手が、そっと俺の服の裾をつかんだ。

「俺は抱き枕かよ」

「安心するからね——」

 へらっ、と零れたにょろ子のだらしない顔は、とろとろで、隙まみれで、そして、駆り立てるものがあった。

「入るぞ」

「ほぁぁ……」

 負け試合をこなすのも大変なのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

でろでろの飴 めぞうなぎ @mezounagi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る