第22話 ダメとは仰いませんでしたもの(おいっ!)

 翌日。


 あたしは髪をゆるく束ねて耳を隠し、酒場に出た。


 出がけにゴブリン子ちゃんがまた軟膏を塗ってくれたけど、目立たないに越したことはないから。



 ——確かに、今まではきちきちにひっつめていたので、相当目立っていたかもしれないなあ。



 酒場はいつも通り、満員だった。


 昼食どきなので、厨房も店も、目の回るような忙しさ。


 ——今日は、護衛兵は来ていないわね。良かった。あと、あの青年はいるかしら——?


 とあたしがカウンター周りを見まわそうとした時、背後で囁き声がし、飛び上がるほど驚いた。


「髪型変えたね」


「あ、支配人——」


「似合ってるよ」


 意味ありげに微笑んで、勘定台の方へ行ってしまう。


 ——支配人は、何か気づいてるかしら? 


 ……怪しまれてるのは間違いない。普通の人間なら、耳が毎日伸びたりしないもの……。



 あたしは支配人の背中を見つめたが、彼の心中はわかるはずもなく。


 ——とりあえず、仕事を始めよう。


 汚れた皿を片付け、家畜にやる残り物と、捨てるゴミを分けて——


 手を動かしながら、あたしは目の端に例の青年の姿を捉えた。


「お姉さん、こんにちは——今日も梨酒と、軽食をお願いします」


 あたしは軽く頭を下げて挨拶し、軽食の準備にかかる。


 ——ゴブリン子ちゃんが期待して待ってるから、何かこの人に質問してみよう。


 軽食とお酒を渡す時、あたしは何気なく聞いた。


「毎日いらっしゃいますよね。この辺りに住んでいるんですか?」


 青年は、あたしを値踏みするように見つめる。


「どうして?」


「どうしてって——、別に深い意味はないですけど。何かお気に障ったのなら、すみません」


 一応謝っておくが、青年は疑いの色をありありと浮かべている。


 ていうか、この辺りに住んでいるか聞いたからって、何を疑うことがあるのだろう?


 青年は警戒を解いたように柔らかい口調で言った。


「まあ、そうだよね——失礼しました。僕は最近移住してきたのです——この前、聖女様を探してるって話はしましたよね」


「ええ」


「ほら、このあたりに聖女様を攫ったモンスターがいるって噂になっていたので、腰を落ち着けて探そうと思って——あれ?」


 青年は、急に目を細める。


「あれ? 君、この香り——、この——香水? いったい——」


 あたしの耳につけた花の香りに青年が気づいたのか、こちらに身をかがめて。 


 カウンター越しなのに青年の顔が妙に近く感じて、私は思わずあとずさる。


「あ!!」


 途端に何かにつまづいて、派手に後ろに転んでしまった。


 匂い草と百合のような香りが、ふわっと漂う。


「きみ、大丈夫?」


 青年が慌てたように声をかけてくれて、あたしはにっこり笑って見せた。


「大丈夫です——ありがとうございます」


 それより。


 足元にはつまづくようなものは何もなくて——そしてこの匂い草と百合の、甘い香り。


 あたしは、床の上の何かを片付けているようなふりをして、しゃがんだまま小声で言う。


「まさか、ゴブリン子ちゃん、そこにいるの!?」


 これって、ゴブリン子ちゃんの魔法陣の香りなのだ。


「……だって、ナギ様、危ないよとはおっしゃったけど、来ちゃダメとは仰いませんでしたもの」


 一瞬魔法陣を解いてそう言い、またすぐ姿を消す。


 あたしはこめかみを指で押さえた。


 頭痛がしてきた。


 その後も例の香りはあたしの後ろにずっと留まっている。


 ——今はあたしとカウンターの死角にいたから、誰にも姿を見られてないだろうとは思うけど……



 まったくもう! 何かあって危険にさらされるのは、ゴブリン子ちゃんだけじゃないんだから!

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