第2話 失う

 美咲さんの告白を受けた翌日。

 俺は普段と変わらず学校に登校していた。


 山のふもとにある小さな高校で、生徒数は1学年200人ほど。学力も平均レベルで部活も特段強いわけではない。特に何の特徴もない平凡な高校だ。

 そんな平凡な高校で平凡に過ごしてきた俺の日常は、たった一夜にして変わろうとしていた。


「何だこれ……」


 昇降口を抜け下駄箱のロッカーを開けた俺の目に、思ってもいなかったような光景が飛び込んでくる。


「これ全部俺にか……?」


 溢れんばかりに詰められた手紙。

 しかしそれは、決して良心的な意味を込めて作られたものではなかった。


 そのほとんどには赤いマーカーで『死ね』の2文字。

 中には『ヤリチン』などという意味のわからない言葉まで書いてあった。

 一体どうしてこんなことに……。


「やべえ、時間……」


 いつも遅刻ギリギリに登校しているため、こんなところでのんびり悩んでいる暇はない。

 俺は床に落ちた手紙を拾い、再び下駄箱の中に押し入れた。

 靴を履いた感じからして、幸い靴には何もされていないようだ。


 それにしてもどうして急にこんなことになったのだろう。

 俺は学校で特別目立っている存在じゃない。何なら影の薄い方だと思っている。

 そんな俺がこうして誰かに攻撃されるようなことは、今まで一度もなかった。


 思い当たる節があるとするならば、昨日の告白。

 神社で彼女と別れた後は、何事もなかったかのように家に帰った。

 もちろんその後、彼女から連絡が来ることはなく、俺のケータイは再びゲームをするだけの機械にグレードダウンしたわけだ。


 ——今日から少し気まずいな。


 そんなことを考えながら登校してきた俺だったが、事態はそんな小さなことでは済まされなかった。

 教室に向かうまでも、教室に入ってからも、俺に向けられている視線はとても冷たく、怪訝けげんささえも感じられる。

 俺は思わず、教室の入り口で立ちすくんでしまった。


「おい春」


 そんな俺に話しかけてきたのはこのクラス、いやこの学校で唯一の友人、三宅雄一郎みやけゆういちろうだった。


 サッカー部の部長にしてエースストライカー。短髪で清潔さを感じさせる爽やか系イケメン。

 コミュニケーション能力も高く、クラス内に限らず友達が多い "THEモテ男" のような奴だ。

 そんな奴が俺みたいな隠キャと一緒にいることに対し、誰以上に俺が一番疑問に思っているわけだが——。


「お、おう三宅……」

「おうじゃねえよ。お前一体何したんだ?」

「何って?」

「色々噂されてるぞ、お前」

「俺がか?」


 三宅の言ってることの意味がイマイチ理解できなかったが、どうやら俺の噂話がこの学校で流れているらしい。

 どうりでいつもよりたくさんの視線を感じるわけだ。


「噂ってどんな?」

「それは俺もよく知らないんだが、おそらくいい噂ではないだろうな」

「ああ、それは俺も何となくわかる」


 今まで浴びせられた視線と、かすかに聞こえてくる話からして、その噂が俺にとって良くないことなのもわかる。

 そして下駄箱に詰められていた大量の手紙。

 あそこまでされるということは、相当俺のことを恨んでいる奴がいるという事。


 確かに俺は最低で、受けた恩を仇で返すようなクズ野郎だ。

 自分で自分を嫌うほどに、その程度の低さは理解している。


 だが理解しているからこそ、俺は誰にも迷惑をかけないように生活してきた。

 誰の害にもならないことを取り柄にしてきた。

 そのはずだったのに——。


「どうしたんだ一体……」

「なあ、本当に春は自覚ないのか?」

「あったらこんなに動揺してねーよ……」

「それもそうだな……」


 教室の入り口で、三宅と揃って頭を悩ませていると、


「ちょっと邪魔なんだけど、どいてくれる?」

「お、おお、わりい……」


 廊下側からそう言われ、俺はその場を避けるようにして振り返った。


 その瞬間——。


 目の前に映った光景に、俺の思考は完全に沈黙した。

 衝撃以外の何ものでもなかった。


「マジでキモいんだけど、早くどっか行ってくんない?」

「ホントキモいよね。死んじゃえばいいのに」

「視界に入るだけで不快だよねー」


 俺に向けて容赦なく罵声を吐く3人のクラスメイト。

 その中の1人はあろうことか、昨日俺に告白してきた大里美咲おおさとみさきだったのだ。

 俺は目の前の出来事に思わず言葉を失う。


「てか美咲大丈夫? 今触られたりしなかった?」

「あいつ危ないから気をつけたほうがいいよ」

「大丈夫大丈夫。もしまたそんなことしてきたら警察に通報するから」


 ——警察に通報?


 俺は彼女が言っている言葉の意味を理解できなかった。

 警察に通報するようなことを、俺は彼女にしてしまったのだろうか。

 むしろ俺は何もしてあげられなかったはずだ。

 彼女の真剣な気持ちに、ちゃんと向き合うことができなかったのだから。


「おい春……本当に何したんだ?」

「いや……俺は……」

「何もしてなかったらこうはならねえって」


 三宅の言う通り、何もしてなければこうはならない。

 だとしたら、原因はやはり昨日の告白か……。


「じ、実はだな……」


 そして俺は、三宅に昨日あった出来事を包み隠さず全て話した。

 俺が美咲さんに告白されて、彼女の望んでいた答えを出してあげられなかったこと。

 振った理由を明確に伝えてあげられなかったこと。

 どれもこれも、思い出すだけで自分をもっと嫌いになりそうだった。


「なるほどなー。それで? 他には?」

「他に?」

「いやだって、普通それだけでああはならないだろ」

「いや、特にはないが」

「本当か?」

「あ、ああ」

「そうか……」


 すると三宅は再び難しい顔で頭を抱えた。


 確かに俺が美咲さんを振ったからといって、今の状況になるかと言われたらおそらくはならない。

 多少彼女やその周りからは憎まれるかもしれないが、俺が振ったという噂が流れたところで、ここまで全体から敵視されることはないはずだ。


 だとすればもっと大きな理由が何かある。

 俺がクラス全体から憎まれるような大きな理由が——。


「なあ三宅。わるいが誰かに聞いてきてくれないか?」

「お、俺がか?」

「今こうなってる元凶は俺だろ。さすがに聞きにくいっての」

「わ、わかった」


 そして三宅は、俺の代わりに理由を聞きに行ってくれた。

 その行き先は、偶然にも一番近くにいた女子2人組。

 俺は今まで一度も会話したことはないが、三宅が話しているところはたまに見かけたことがある。


「おう、わかった。サンキューな」

「どうだった?」

「ああ……それがな……」


 俺がそう尋ねた瞬間、三宅の表情が一気に曇ったのがわかった。

 おそらくは相当酷い理由なのだろう

 いずれにしろ俺には何の自覚もない。


「やっぱり……昨日の告白の件か?」

「いや、そうじゃない……」


 そして三宅は声が漏れないように小声で、


「お前、大里のこと襲ったことになってるぞ……」

「……はっ?」


 思いもしなかった理由に、俺の思考は再度動きを止めた。

 意味がわからなすぎた。


「俺が……美咲さんを襲った……?」

「あ、ああ……。どうやらその噂のせいでお前に注目が集まっているらしい」


 心当たりのカケラもない。

 それどころか、その言葉の意味すらも理解できないほどだ。


「襲ったってのは……つまりは……あれ……だよな?」

「ああ、おそらくお前が想像してるので間違いない」

「だよな……」


 言葉の意味は理解できたが、やはり俺には自覚がない。

 昨日美咲さんと別れた後、俺は寄り道することなく家に帰った。

 その後も彼女と会うことはなく、俺はひたすら1人で罪悪感の波にのまれ続けていたわけだが——。


「その噂っていつの話だ?」

「どうやら昨日の夜らしい」

「昨日の夜か……」

「お前昨日大里に告られたんだろ? その後は何してたんだ?」

「普通に家に帰って死んでた」

「死んでたって……。その後大里と会ったりはしなかったのか?」

「ああ、告白された後は一度も会ってない」

「んんー……。そうなると春が大里を襲ったってのはありえないな……」


 春が大里を襲ったってのはありえない——。


 今の三宅の言い方に、少し引っかかりを感じる。

 少なくとも俺の中では一番付き合いの長い奴だ。

 俺がそんなことをするような奴じゃないとわかってくれていると思っていたのだが。


 ——もしかしてこいつは、俺のこと……。


「……まさかお前。俺が本当にそんなことするとでも思ってるのか?」

「思ってはいないが……。ほら、噂がな?」

「噂がって……」


 ——どいつもこいつも噂噂……。


 三宅の言葉を聞いた瞬間、俺の中で何かがはち切れるのがわかった。

 自然と胸の内から怒りがこみ上げてくる。

 今度は昨日のような自分に対する怒りではなく、噂というくだらない情報に流されている奴ら全員に対する怒り。


 頭が燃えるように熱くなる。

 何かを壊してしまいたいような、そんなむしゃくしゃな衝動にかられる。


「だったらてめーも信じてりゃいいだろ!! そのくだらねえ噂ってやつをよ!!」


 気づけば俺は大声をあげていた。

 三宅の顔を全力でぶん殴るかのような大声を。

 クラス全員の視線が俺に向いたのがわかった。

 三宅も戸惑っているような、そんな表情を浮かべている。


「春……別に俺は——」

「わるい。俺帰るわ」


 その後のことはよく覚えていない。

 三宅に呼び止められていたような気がするが、俺は一切後ろを振り返らなかった。


 そのまま一階へと駆け下りて、下駄箱のロッカーを勢いよく開けた。

 詰められていた手紙がゴミのように溢れ出る。


「何が死ねだよ……クソが……」


 外履きを取り、昇降口を出た。

 行き先はわからない。

 とにかく学校にいるのだけは避けたかった。


「ちくしょー……」


 全力で校内を駆け抜けたが、不思議とあまり息苦しくはなかった。

 それよりも今俺の中にあるのは、整理ができないほどの複雑な感情。

 たった1人の友人に向けてしまった怒りへの後悔。

 それだけだった。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 気がつけば学校から少し離れた公園へと来ていた。

 俺はその入り口に立つ電灯に寄りかかりながらふと思う。


 ——もう、あそこには帰れない。


 あれだけの噂を立てられ、ましてや唯一の友人である三宅に怒りまでぶつけてしまった。

 あのクラスの中に、俺のいられる場所はもうない。


「嫌われたよな……俺……」


 それは "多分"  ではなく "確信" だった。

 なぜなら俺自身がそうなのだから。


 噂一つで心を乱してしまった自分が嫌いだ。

 三宅に怒りをぶつけてしまった自分が嫌いだ。


 自分で自分を嫌っているのに、クラスの奴らが俺を嫌わないわけがない。

 三宅とももう話すことはないだろう。

 俺はこの先ずっと孤独に生き、誰からも必要とされない日々を送る。

 それが嫌われ者である俺にふさわしい末路だ。

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