あの曲に寄せて
栞野ワタリ
1曲目 出会い
僕は春が苦手だ。暖かな日差しが、明るく色づいていく景色が、そして桜の花が、心をふわふわと空気に漂わせて、自分の立っている場所をよくわからなくしてしまうからだ。冬や夏みたいにはっきりした季節の方が、落ち着く気がして好きだった。
2月後半のある日、僕はなんとなく鬱々とした気持ちでくもり空の下を歩いていた。その日の最高気温は16℃で、真冬用の重たいコートが、ボタンを一つも留めずに着ていても暑苦しく感じられるような、もったりとした午後だった。
街のざわめきを避け、静かな住宅街を奥へ奥へと進んでいくと、突然目の前が開けて原っぱのようなところに出た。緑と茶色の中間みたいな色をした草が一面に生えている。何の植物かなんて知らないけれど、春になればピンクや黄色の花が咲いてさぞきれいだろうなどと想像した。
アスファルトの上をずっと歩き続けるのも疲れてきたところだったので、草を踏み分けて原っぱの真ん中あたりまで行ってみる。体育座りに腰を下ろしたそのままの勢いで仰向けに寝転がった。この季節なら虫もほとんどいないだろう。
雲がうすくなったところから白い光が漏れ出てきて、眩しくて目を閉じた。
ああ、嫌だなあ。凍りついていた時間が融けて滑らかに動き出すようなこの感じ。僕はいつだって、何もかもがものすごいスピードで新しくなっていく春に追いつけなくて居場所を失くしてしまうのだ。
ふいに、アコースティックギターをかき鳴らす音と、それに乗せて伸びやかな歌声が聞こえてきた。アコギって結構音が大きいし、広くて人気のないこの原っぱは確かに練習には最適な場所だろう。彼女は多分、べったりと地面に貼り付いた僕には全く気づいていない。演奏しているのは、どうやら最近の流行りの曲ではなさそうだった。
芯のある声が僕と原っぱの上を流れていく。
その声を色に例えるならばきっと、鮮やかで濃い緑色だ。
あの曲に寄せて 栞野ワタリ @lowlander_sora
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。あの曲に寄せての最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます